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母と仏教。そして密教への学びへ

木内家の母。

木内いづみ。


御年69歳。



宗教学や哲学が好きな母。


学外者でありながら

大好きな教授の授業を聴講するために

学生運動が激しい最中に早稲田大学に行き、

聴講を許された過去もあるらしい。


40年ほど前から毎朝ヨガをやる母。

毎朝般若心経を唱えることが日課でもある。

道端で托鉢をしているお坊さんには必ずというほどお布施をする。



口癖は、

「素敵な人がいたら丁稚奉公や
 
 かばん持ちでもいいからすぐ近くで学びなさい」

である。

(この言葉のおかげで仁平先生ともご縁が生まれている)



そんな母が幼き僕にはじめてくれた漫画は

手塚治虫さんの「ブッダ」である。


読んだことがある人はわかるだろうが、

幼少期の僕にはあまりに衝撃的な内容だった。


物語の始まりは、

チャプラという母を愛する青年が

奴隷という身分を乗り越え勇敢に王族になっていく

というストーリーである。


僕はこのチャプラが勇敢に

その後のストーリーを展開すると思った。


ところが恐ろしいことに、

このチャプラという青年はあっという間に死んでしまう。


なんなら母親と一緒に串刺しにされ殺されてしまう。



幼き日の僕からしたらその衝撃はとてつもなかった。

これから勇敢に生きるはずの青年があっさり死んでしまう

という展開に。



その後もブッダの中では平気で人が死んでいく。

血が飛び交うなんてコマの中では日常茶飯事だ。



幼な心に僕は「こんな簡単に人が死ぬんだ」と

学んでしまい、生きることが怖くて仕方なくなった。



なぜ母がこの漫画をプレゼントしたのかわからなかったし、

でもそれ以上にとにかく怖くて怖くて生きるのが嫌になってしまった。


夜眠る時いつも死ぬのではないかと思い、眠れなかった。


そしてまたそんな怖がる僕があくる日に目を覚ますと、

いつもの日課ですぐ横で般若心経を詠んでいる母がいる。


幼い僕には死と相まってとても不思議な光景だった。



そんな母は折に触れて、

「あなたは将来仏教を学ぶといいと思うよ」

と言っていた記憶がある。



その時はそんな言葉は流すくらいでしかなかったのだ。




その後、当然時は過ぎる。


40歳になった僕がいる。



それは、ちょうど2022年の年末。



その頃に比べると今は多少は落ち着いたが、


年末当時の僕は自覚的に「なにか苦しくて仕方ない」と


感じていた。



まあ心理的にいうなら、

経済的な悩み、夫婦間の悩み、キャリアの悩み、

肉体的な悩み、人間関係の悩み 、


といったものが重なった、と言えばそれまでである。



でも僕の中で直感的に、

「これは今までのものとは何かが違う苦しみだ」という思いがあった。

もはや心理学という学問で解けない苦しみが存在する、

としか思えなかった。




そして、その日は訪れる。




友人の中で僕を遊びに誘う人物なんてほとんどいない。

でも空気の読めない素敵な友人が横浜で映画を見ようと

誘ってくれた。


元来からひねていて、かつあの時は苦しくて仕方がない

僕は「映画なんて行くか!」と内心思ったが、

でもなんとなく行ってみようと思った。




友人との待ち合わせ場所に向かうために

横浜駅を降り、西口に出たところでその人は現れる。




すぐ目の前に托鉢をしている巨体のお坊さんである。



あまりに苦しかった僕は、すぐにお布施をした。




そしてお布施をしようとするときには


すでに僕は泣いていた。


苦しくて苦しくて仕方なくて、泣いてしまっていた。




その姿をみたお坊さんは当然すぐに

「なにかあったのですか?」と問う。




そして僕は

『何が何だかわからないけど苦しくて仕方がない」

『この苦しみをなんとかしたい』と。




それに対してお坊さんは

「そういう苦しみや悩みによって

 ブッダは仏道に入っていったのだから、

 あなたも“ここ”に来たらいいのではないか?」

といい、【天鶴 阿闍梨】 と書かれた名刺をくれた。


つまりはそのお坊さんが天鶴先生であり、

都内のお寺に来なさいというお誘いをいただいたのだ。



僕は迷いもなく「行きます」と言った。





後日ご挨拶のお電話で天鶴先生にお電話したら、


僕は間違えて天鶴先生ではなく、


天鶴先生のさらに師匠である柴垣先生にお電話してしまった。


そしたら電話口の柴垣先生は開口一番、

「おー、得度するんだってなー」

と。


恥ずかしながら得度の意味がわからなかった僕は、

「まだどうするか決めていません」といい、

お電話を切った後に得度を調べ、“仏門に入ること”だと知る。



そして表層はまだ迷っているふりをしながらも、

実は今さっき知ったばかりの“得度”をずっと前から

したかったことにうすうす気づいている。




その後、先日初めて天鶴先生とゆっくりお話をした。


今後どのように修行をしていったらいいか相談したら、


まずは毎日般若心境を唱えなさいと宿題をいただいた。



そしてまたどのようにして師弟関係を

結んでいったらいいか相談したら、天鶴先生は、


『日常の全てを学びの師としなさい』


おっしゃっていただいた。



直感的に「これがこたえだ」と思った。

と同時に、これが「こたえ」であり、

“こたえ”は出ずに、また日常がこれから続くのだともわかった。




その後、その素敵な出会いがあったことを母に伝えた。


そういうときに母が言う言葉は、


「カバン持ちからはじめなさい」


意外にないし、予想通りだった。






ついさっき日課の般若心経を唱えていたら、

こんな文章たちが浮かんできたので、形にしてみた。




2023年3月7日。

その日は都内のお寺で天鶴先生と柴垣先生に

お会いさせていただく予定だ。



木内寛長。40歳。

人生はいつだって本当に面白いなと思う。



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