にわたつみ

あふれ出るものを留めておくために。 書くときに愛用しているのは『精選版日本国語大辞典…

にわたつみ

あふれ出るものを留めておくために。 書くときに愛用しているのは『精選版日本国語大辞典』が入った電子辞書。この子がいないと生きてけない。 フォローはするも外すもご自由に。私もそうします。

最近の記事

これほど狭量だなんて気づきたくなかった

基本的に自分から遊びに誘うことのないわたしは、友人からの誘いで遊ぶことが多い。先日も三人くらいから立て続けに「○日暇?あそばない?」などと連絡がきて頭を抱えた。 結果、自分の都合をつけてそれぞれに返信することにすら胃がきりきりしてしまい、すべて体調不良で断った。気分屋にもほどがある。 さて、友人のなかには当然子どもがいる子もいて、彼女らと遊ぶときに一緒にいることが多い。預ける先が限られているから仕方のないことで、たいへんそうだなといつも思う。 子どもを見ているのもいっしょに

    • 転地療養

      引きこもりと無職期間が長いせいか、見かねた周囲の人から声をかけてもらえるのがありがたいやら重いやら。 引きこもりと言っても全く外に出られないわけではないし、話ができないわけではない。友人からの誘いがあれば出かけられるけれども、そうかといって自分から出かけることはしない。持病の花粉症で病院に行く、家の庭に出る。そのくらい。 お金がないと出かけなくなって、誘いも断りがちになる。お金使わないことだったらいくらでも付き合うけれど、使うならちょっと……というわけだ。 お金がないから断

      • 「爪、きれいなほうだね」

        ネイルをしても不思議ではない昨今、いまだにネイリストにお世話になったことがなかった。爪の手入れに興味がわいたことがないわけではなかったが、ネイルカラーを塗ったあとの蓋をされて呼吸ができなくなるような閉塞感がどうにも苦手でたまらなかった。 他人のきれいなつけ爪を眺めながら「きれいだね」「新しい色なの?」「かわいいね」「テンション上がりそう」「いいねえ」と声をかけるだけだった。 うらやましい。 そう思わない感覚がないでもなかった。ただ、わたしにとってはネイルをすることはおしゃれに

        • 母のいない夜、電話をかける

          祖父の葬式でさんざんなことになって以来、母は義理の実家との関係を絶った。 もともと私の母は義理の実家を、「実の親じゃないし、私は他人」とか「あなたたちはかわいがってもらえるけど私は余分なのよ」などとよく言っていたし、義理の実家に行くたびにしょっちゅう便秘になったり無事帰宅すればからだの調子を悪くしたりしていたので、さもありなん。ストレスにしかならなかった実家付き合いが一切なくなったおかげで、むしろせいせいしたとすら思っているだろう。 私は祖母と母との間に長いこと挟まれてこのざ

        これほど狭量だなんて気づきたくなかった

        マガジン

        • 前略、母上さま
          4本

        記事

          その「ダメ」はだれのため?

          友人の子どもがかわいくて仕方がない。友人と遊ぶ予定だったのに、友人そっちのけで子どもに遊んでもらっていることもあるくらい。 ちょっと席を外すから見ていてね、と言われて「いいよー」とうなずく。 先日友人の子と遊ぶ機会があった。 友人は、目が余分にあるなら最大限利用させてもらおうの精神なのか、「子ども、ちょっと見てて~」と席を外した。 自宅で遊べる小さなすべり台。 自分がすべるよりも物を滑らせるのが楽しいんじゃないか?というくらい、子どもはボールをすべらせていた。弾むもんね……

          その「ダメ」はだれのため?

          母の日に感謝なんてできない

          一昨日、晩酌をしている父から「おまえ、母の日に何もしなかったろう」と話しかけられた。「知っている。だって何をするの?」と返した。 自分が働いてお金があるときだったら母の気分が上がるようなおいしそうなお菓子を選んで買ってきたろうが、今は振れる袖もない。「肩たたき券でもあげる? いらないよね、だって肩もみも嫌いだものね」と続けた。 「感謝の手紙? 喜ぶとでも思ってるの?」 「私ができること、ないよね」 言外に、だから何もしなかったと告げる。 父は、そういうことじゃないと言った。

          母の日に感謝なんてできない

          ハグしたい

           ハグが好きだった。もちろん子どもの頃には「ハグ」なんてしゃれた言い方はしなかったけれど。じゃあなんて言っていたのかといえば、抱き合うのも抱擁を交わすというのもちょっと違う気がする。小さい頃の私は、背の順でいうと前からだいたい2~4番目だったので、正確に言うならば「抱きつく」のが好きだった。大好きだった。  もちろんだれかれ構わず抱きつくわけじゃなくて、仲のいい子の中で、抱きついても嫌がらない子に抱きついていた。小学生から中学生くらいまでだったと思う。いや、そうでもないかもし

          ハグしたい

          エスカレーターがこわかった

           エレベーターの話題を見かけたので、ふと子どもの頃を思い返していた。  苦手だったものごとはいくつもあって、私はエレベーターもエスカレーターも苦手だった。  中でも、子どものとき、私はエスカレーターがこわかった。  エレベーターは箱に歩いて入っていくだけで済んだ。  目的の階までのあの浮遊感ときもちわるさ、一瞬おもらしをしてしまうのではないかというような奇妙な錯覚、知らない人と同じ空間で黙っていなければいけないこと、自分の背をはるかにこえた人たちに埋もれてしまうこと――そ

          エスカレーターがこわかった

          どうしたの、そんな顔して

           常から人の顔の造形や造作にまで興味がないけれど、見慣れたはずの顔がしょんぼりしていたらさすがに目を引く。人の髪型や化粧が改まったことに気づかず呆れられることはしょっちゅうあるが、それでも表情くらいは見ているものだ。 「どうしたの? なんか元気ないね」  冷蔵庫から缶ビールを出そうとしていた父の顔を見て思わずそう言った。  近づいてまじまじ見て、やっぱりなんだか表情に張り合いがない。思わず相手の両頬の肉をつまんでゆるく引っ張った。年をとって肉がそげたので触り心地はよろしく

          どうしたの、そんな顔して

          ちょっとは卑屈に浸らせてくれ

          最近、とてつもなくいたたまれない。 ツイッターを眺めていると「今日も一日いいことがありますように」とか「今日も元気にがんばろう」とか「いいことあった!」などのツイートが今日も今日とて流れてくる。ポジティブ思考が精神衛生に最上なのだと言わんとばかりに。朝から画面が眩しい。 だいたいそういったいいことばかりツイートしている人たちは愚痴をほとんど言わない。言うとしてもポジティブな言い回しか、笑いをとれる方向にうまく昇華している。聖人なのでは? 悟りを開いてるのでは? ひるがえって

          ちょっとは卑屈に浸らせてくれ

          顔と、化粧にまつわる話

          「〇〇〇ってさあ、顔のこと馬鹿にされたことないでしょ」 けっこう前に友人から言われた言葉だ。〇〇〇とは私のことだ。 言われてふと思い出そうとしたが、確かに顔のことをブサイクとかブスとか言われた記憶はない。そもそもかわいくしようと努力したこともなければ、顔の美醜に関してあえて言及する機会がほとんどなかったと思う。 「顔について悪口言われたことないって顔してるもんね」 そう言われてはたと気づく。 いじめられたことは一応あるのでブスという言葉を投げつけられたことがあるはずだ。

          顔と、化粧にまつわる話

          そんなことする人だとは思わなかった

          この言葉が嫌いだ。 人は見たいものしか見ない。見たいようにしか見ない。見えるものが真実だという人もいるが、それはあなたにとっての真実であって私も同じものが見えているとはかぎらない。 自分が自分であるかぎり、相手も相手でしかなくて、つまるところ、自分の一部を引っ張り出してコミュニケーションをとっているにすぎない。 だから自分が思っている自分と、相手から見える自分は違っていて、当然のごとく想像しもしなかった相手の一面にぶちあたることもある。当たり前だ。別の意思を持った、別の人間な

          そんなことする人だとは思わなかった

          売切御免

          数に限りがあるならば、当然のごとく販売予定個数が売り切れてしまえばごめんなさいとなる。ない袖は振れない、叩いたらビスケットが出てくる夢のようなポケットがあるわけでなし。 アニメやドラマといったメディア化によって、一部の人が知っていた〇〇で描かれていた土地や店、食べ物が注目を集めることがある。衆目に留まったならば、そのうちの何人か、いや何十人か、いったいどんな人数に触れたかによって「行ってみよう」「よし行こう」と思う人数が変わってくる。 父がメディア化されたドラマで、わりと

          踏み出すのが怖い

          初めの一歩は踏み出してしまえば実はどうってことのないものだったりするのに、ああだのこうだのと考え込んでしまって踏み出せないまま、ということが往々にしてある。 踏み出すまでに考えてしまうああだのこうだの、がけっこう面倒くさい。 踏み出してしまえばどうにでもなる、と思えないから、踏み出さないのもある。踏み出したあとの自分を信じられないから、踏み出さないでいる方が怖くないのもあるかもしれない。 バカの考え休むに似たり そう投げかけられた。 けれど、踏み出せずにいることに慣れてし

          踏み出すのが怖い

          飼いならせない

          かっとなると、物に当たるくせが抜けない。 子どもの頃からだ。相手に言われた一言に頭に血がのぼって、傍にあるものを投げたり、蹴っ飛ばしたりする。 口が達者だった私のキョウダイは鼻づらにミニカーが当たったし、母の茶碗はシンクで無惨にも割れたのだ。蹴っ飛ばしたあとは自分の足が痛かったし、まれに物を曲げてしまったことがないでもない。 大人になってからはさすがにしなくなった。 物を投げると相手にあたったときに面倒くさい、そもそも相手を傷つけることが本意ではないのだし。 そして蹴り飛ば

          飼いならせない

          訃報に合わせて動画サイトで上がっているものが非常に興味深かったので文字起こしをしたいけど、長いのがどうにも……。しかしまたお蔵入りしちゃうかもと思うと文字でもいいから残しておきたい気もする。

          訃報に合わせて動画サイトで上がっているものが非常に興味深かったので文字起こしをしたいけど、長いのがどうにも……。しかしまたお蔵入りしちゃうかもと思うと文字でもいいから残しておきたい気もする。