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飼いならせない

かっとなると、物に当たるくせが抜けない。
子どもの頃からだ。相手に言われた一言に頭に血がのぼって、傍にあるものを投げたり、蹴っ飛ばしたりする。
口が達者だった私のキョウダイは鼻づらにミニカーが当たったし、母の茶碗はシンクで無惨にも割れたのだ。蹴っ飛ばしたあとは自分の足が痛かったし、まれに物を曲げてしまったことがないでもない。

大人になってからはさすがにしなくなった。
物を投げると相手にあたったときに面倒くさい、そもそも相手を傷つけることが本意ではないのだし。
そして蹴り飛ばすこともやめるようになった。蹴り飛ばしたものが自分よりかたいものでできていることが多く、だいたい自分が痛い思いをするだけなので。

その代わりに、扉をばたん!と閉めることを覚えた。引き戸ならまだいいが、ドアなんて最悪だ。おかげさまで私の部屋のドアは閉めてもときどき自然と開いてしまうようになった。南無。
もう一つは踏みつけること。自分の部屋に戻るときにだんだんと床の音を立てる。部屋に行けば、ベッドの上の羽毛布団や枕が被害者だ。やわらかいものは踏みつけても痛くないので。とはいえ、足の裏の熱さと、普段しない動きのせいで軋む膝と、むなしさもセットなのがいただけない。


どうしてこうも乱暴なのかと自分でもあきれ果ててしまうが、自分が怒っていることをうまく言えない、相手に言っても無駄だと察してしまうのがよけい苛立ちを募らせているのだと思う。

今日の苛立ちは、相手が言った言葉にかちんときたせいだ。
苛立ちまぎれにさすがに戸一つで済ませたが(それもどうかとは思ってはいる)、開きっぱなしの戸を思うと相手はさぞや腹立たしいだろうし、私だって怒っている。なにせ戸が開きっぱなしだと寒いので。いい気味だとも思うし、戸はやはり普通に閉めておくべきだったとも冷静に考える自分もいる。

何に怒っているかというと、相手の言った言葉に腹を立てたというのもある。それ以上に、相手が私によって困らせられていることに対して直接苦言を言うのではなく、自分だけではなくあくまでもみんなに迷惑なんですよと敷衍したような言い方に腹を立てたのだと。
ずるい、と子どもじみた感覚にとらわれる。
自分が困っているのだから、「私が嫌だからやめて」とはっきり言えばいいのに。
二段階くらい遠回しに言ってきたことがたぶん私の怒りを増幅させている。そしてその遠回しに言ってきたことに対して不満を感じるのに、相手に唯々諾々と従ってしまう自分にも。
相手の言外に言わんとしていることを勝手に察してしまって、私は相手の不快と衝突するのが面倒くさくて、自分のしたいことをやれないまま、やらないで終わる。
結果、いろいろと言いたいことがあるけれどそれを飲み込んでやり過ごそうとして、それに失敗するからだいたい物に当たり散らす。みっともなくて嫌気がさす。

頭の中でぐるぐると言いたいことが乱立して、絡んだそれをこうして一つずつほどいて書き出してみると、考えていることが口に出せないまま腹の底にたまっていくだけになっているのだなと思う。

腹の底の飼いならせない動物は、いったいに何になるんだろうか。

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