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「爪、きれいなほうだね」

ネイルをしても不思議ではない昨今、いまだにネイリストにお世話になったことがなかった。爪の手入れに興味がわいたことがないわけではなかったが、ネイルカラーを塗ったあとの蓋をされて呼吸ができなくなるような閉塞感がどうにも苦手でたまらなかった。
他人のきれいなつけ爪を眺めながら「きれいだね」「新しい色なの?」「かわいいね」「テンション上がりそう」「いいねえ」と声をかけるだけだった。
うらやましい。
そう思わない感覚がないでもなかった。ただ、わたしにとってはネイルをすることはおしゃれに気を遣うことで、おしゃれに気を遣うなら化粧や髪の毛もおしゃれにしないとつり合いがとれないように思われて、ついぞ試せないままだった。
表面に透明なトップコートを塗ることすら、ためらわれたのだ。

そうとはいっても、関心がないわけではないのだ。
唯一わたしにできたことは、ひっそりと気に入った色を、ネイルとして靴下の下へ忍ばせるくらい。それも、ふだんのわたしが身につけそうもないような色合いを。本当に、ときどき。

もともと、小学生の中学年くらいまではおしゃれに興味があったのだ。祖父母たちと出かけたおもちゃやさんで、子ども向けおしゃれバッグと子ども向けマニキュア、子ども向けリップがあって、それを買ってもらったわたしはものすごく喜んでいたのだから。
ただ、わたしは小さい頃からずっと爪噛みの癖が高校生くらいまであって。ひとの前で噛みはしなくなったものの、成人しても数年間は爪をいじったりむいたりすることをやめられなかったのだ。

ずいぶんと長いあいだ深爪をしていた。
おかげで、普通なら指の先ぎりぎりまであるピンク色の部分は指先から3~5ミリほど内側にある。どんなに爪を伸ばしても、普通の人よりも白い部分が多いことがわかる。
ピンク色の線がくっきりと残っていて、爪と肉がくっついたところからそのピンクの線の色を境にしてすこし薄くなったピンク色とはっきりとした白い色がその先をいろどっている。
それが、わたしがずっと深爪をしていた跡なのだと否応なく知らしめる。
いつだって、わたしは深爪に戻ってしまえる。


ネイリストの検定試験を受ける友人が、モデルの予備候補としてくれないかと言ってきた。
検定試験にはモデルが必要らしく、第一候補のひとの爪が折れてしまった場合にのみお願いしたいということだった。
深爪を経験し、爪を頻繁に切るとつい指で爪をむいたりしたくなってしまうので最近はできるだけ爪を伸ばし続けるか、やすりでなんとなく削るかをしていただけだった。わたしは、まあどうせわたしがやることにはならないだろうしと安請け合いをした。
爪を伸ばすだけならそんなに苦でもなくなっていた。そこまで伸ばすなんて衛生に悪いのでは、と思われるくらい伸ばした経験が幾度も重ねられた。だから、できるだけ爪を切らないまま伸ばしておいてほしいという要望はそこまでむずかしいと感じなかった。

あとすこしで検定試験らしく、友人から爪の状態はどうかという確認の連絡が来た。
二本の指は運悪くぶつけてしまい爪先の先端に罅が入ったため、バッファーですこしだけ自分で整えた。もう二本別の爪も、いつものごとく、よくある二枚爪の状態、伸ばし途中の白い部分のピンク色より1,2ミリほど上の真ん中くらいでうっすら浮き始めていた。
わたしがいくら自分の言葉で文章で説明をしたところで、検定試験で問題になるレベルかわからなかった。念のため写真を送ってみせたところ、「爪、きれいなほうだね」と返答があった。

きっと、ネイルをしているひとたちは自分の爪の状態が必ずしもいいひとたちばかりではない。そういうひとたちと比べて、きれいなほう、と言われたのだと思う。
わたしにとって二枚爪はよくあることで、爪の健康状態は決していいわけじゃない。
だから、そう。これは抱くべき感情としてはよくない。わかっている。

でも、すこしだけうれしかった。

ネイルをしているひとが多くなって、それがさも当たり前になっているなかで、息ができなくなるような気持ちになるからとネイルケアすらしてない自分の爪が。これ以上爪をいじらないようにと、半ば惰性で伸ばした爪でしかないのだけれど。

爪というものにコンプレックスを感じていたわたしにとっては、救われたような気持ちになったのだ。

きっとわたしは友人のネイルのモデルにはならないけれど、すこしだけネイルケアをがんばってみようかな。


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