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母のいない夜、電話をかける

祖父の葬式でさんざんなことになって以来、母は義理の実家との関係を絶った。
もともと私の母は義理の実家を、「実の親じゃないし、私は他人」とか「あなたたちはかわいがってもらえるけど私は余分なのよ」などとよく言っていたし、義理の実家に行くたびにしょっちゅう便秘になったり無事帰宅すればからだの調子を悪くしたりしていたので、さもありなん。ストレスにしかならなかった実家付き合いが一切なくなったおかげで、むしろせいせいしたとすら思っているだろう。
私は祖母と母との間に長いこと挟まれてこのざまかと思うし、もっとうまく縁を切ってほしかったなとも思う。なにせおじおばに言われた「あなたのおかあさんにはこの家の敷居を跨いでほしくないのよ」が忘れられないので。

祖母は祖父が亡くなってからひとりきりになった。
近くに住むおじおばがときどき様子を見に行ってくれて、なにくれなく世話をしてくれているらしい。祖母は他人にはよく見せようとする見栄っ張りなところがあるので、身内扱いのおじおばもきっと大変なところがあるのだろうと思う。私は離れて住む孫たちの一人でしかないので、おばあちゃーんっていい年して無邪気に言うだけだけれども。

ときどき祖母へ電話をかける。母のいない夜に。
祖母は話す相手がぐんと減ってしまったせいか、たまに私には愚痴をこぼす。孫にこぼしてもいいと思うような範囲や内容。きっとおじおばには別のわがままや横柄さで困らせているのだろうけれど、責任からかけ離れた孫娘には違った意味で言いたい放題できるのだろう。いいことかもしれない。
高齢になって徐々に痴呆があり、同じ話をループするようになった。数分前に聞いたことをまた説明しなくてはいけないこともある。
かくしゃくとしてやれ草刈りだ畑の世話だと言っていたしっかりものの祖母がそうなってしまったことに、電話をかけて話しているとき、さみしさを覚える。

我が家の固定電話は私が覚えているかぎりは一度も買い替えたことがなく、ダイヤル式のものだ。NTTからもらった、みたいなことを親が言っていた。
やれFAXだやれ子機だと革新的なものを通り過ぎ、今では一人一つ携帯電話を持つことになってしまったせいか、固定電話はここしばらく置物と化していた。なにせシャープも米印も押せない。留守番電話機能もない。お問い合わせ電話に使おうと思っても利用できないシロモノとなっている。たまにかかってくるアンケート電話すら回答できないのだ。かかってくる電話は勧誘ばかり、自宅電話を知る人も少なくかけてくる人もいない。電話をとる意味もなくなった。
電話は使えないインテリアと化していた。
……私や父が、祖母にこっそり電話をかけることになるまでは。

母がいない夜をねらって、祖母に電話をかける。
ジーコ、ジーコ。
ダイヤル式の電話をかけるのは祖母の自宅電話にかけるときだけだ。子どものときのようにすばやくダイヤルを回せなくなった。ジーコと回したあと、シャーとダイヤルが巻き戻っている時間が長い。毎回わけもなく、くやしくなる。
先だってから、詐欺防止のためか祖母の家の固定電話にも「この電話は録音されています」の案内音声が流れるようになった。
よそのおうちだとどきどきしてしまうだろうが、私はれっきとした自身の祖母へ、孫娘である自分がかけるのでどきどきなどしない。

明日の夜はきっと母がいない。
私はきっと、祖母へ電話をかけるだろう。

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