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これほど狭量だなんて気づきたくなかった

基本的に自分から遊びに誘うことのないわたしは、友人からの誘いで遊ぶことが多い。先日も三人くらいから立て続けに「○日暇?あそばない?」などと連絡がきて頭を抱えた。
結果、自分の都合をつけてそれぞれに返信することにすら胃がきりきりしてしまい、すべて体調不良で断った。気分屋にもほどがある。

さて、友人のなかには当然子どもがいる子もいて、彼女らと遊ぶときに一緒にいることが多い。預ける先が限られているから仕方のないことで、たいへんそうだなといつも思う。
子どもを見ているのもいっしょに遊ぶのも好きだけれど、普段の生活からは子どもと接する機会はほぼないに等しいわたしにとっては彼女らの子どもと遊ばせてもらえるなんてありがたいとすら思っていたのだ。
つい先日までは。

年明けに連絡があり、「○△へ行かない?」という誘いの連絡が来た。それだけなら行ってもいいかな、と思い始めていたわたしは、続きの文章を読んでもやもやしてしまって、考えに考えて誘いを断った。
「子どもを遊ばせてあげたくて」という一言だった。
友人と遊ぶのはうれしい。そして彼女にとって子どもはいて当たり前の存在だ。不思議でもなんでもない。そして友人の子はかわいい。
なのに、わたしと遊ぶ連絡をとるときに子どもを理由に誘ってほしくなかったと強く思っていた。被害妄想も甚だしいが、利用されているんじゃないかとすら思ってしまったのだ。
子どもも連れてくね、の一言ならよかったのにとすら思った。なんなら当日言われる方がよかった。

断られた彼女は、あなたが行かないならやめるねと予定をとりやめた。そのことも、どこか引っかかっていたのかもしれない。
あなたと一緒に行けないならば意味がない、くらいにうぬぼれられればよかったのに、行きたいといっていた場所にそこまでの思い入れはなかったのか、と思ってしまったのだ。


なんと面倒くさい人間なんだろう!
ここ最近の自分を冷淡だとひとりあざわらっていたけれど、さらに狭量まで付随しているなんて、と我ながらげっそりした。

しばらく、だれの誘いも受けられないだろう。

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