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ちょっとは卑屈に浸らせてくれ

最近、とてつもなくいたたまれない。

ツイッターを眺めていると「今日も一日いいことがありますように」とか「今日も元気にがんばろう」とか「いいことあった!」などのツイートが今日も今日とて流れてくる。ポジティブ思考が精神衛生に最上なのだと言わんとばかりに。朝から画面が眩しい。
だいたいそういったいいことばかりツイートしている人たちは愚痴をほとんど言わない。言うとしてもポジティブな言い回しか、笑いをとれる方向にうまく昇華している。聖人なのでは? 悟りを開いてるのでは?
ひるがえって私ときたら、自分がツイートするときは皮肉や愚痴や揶揄といった毒ばかりである。ネガティブ思考のかたまりなので、基本的に「うれしかった!」などのポジティブワードは呟かれない。決して呟かないというわけではないが、書き込むまでに至らないささいな幸せは一人で感じ入っておしまいなのだった。加えて普段ネガティブさをツイートで発揮しまくっているので、事ここに至って、こいつの精神不安定すぎやしないか?と思われるのではと自虐気味に思い躊躇ったりもする。まあ今更ではある。

いたたまれない。胃の腑がじくじく痛む気もする。
仕事でストレスをためまくり仕事を辞めるたびに再発する胃の膨満感が発生しているので、これはやばいのでは、などと思う。

ここ数日、見なければいいものをツイッターを徘徊し、むくむくと生じたいたたまれなさをツイッターで吐き出そうと一瞬思った。が、ここではだれも悪くないのにこれをわざわざ書く必要が?と疑問に思ってしまった。思ってしまったのだ。
思ってしまったがために、私は何日かそのもやつきを自分の心に留めおいてみたが、やはり私はポジティブに昇華できるはずもなかった。まあ、特に何もしていないし。留めおくだけでは消化するわけもなく。
きちんと噛んですりつぶさないと呑み込めない人間が、噛まないまま口の中においといてどうにかなるわけがなかったんですよ。

とはいえ、確かにネガティブ思考はまき散らされるとうっとおしいのはわかる。卑屈は面倒くさい。
自分をして妙にプライド高いわりに卑屈気味だなと思い込んでいる私ですら、目の前で自分をはるかに上回る卑屈で自虐的な発言をずらずらと並べられたときには驚いた。内心で「比較的ネガティブ思考の私ですら引いてしまいそうな見事な卑屈っぷり……」といっそ感心してしまったものである。卑屈な発言は同情もしづらいし、むやみに励ますわけにもいかないし、どう扱っていいかはかりかねる。わかる。しかしてそんな彼はいつのまにやら私の知らぬうちに彼女ができ、その二年後くらいには結婚していたらしい。マジか。彼女、いや奥さんすげえ。

閑話休題。

ツイッターのツイートなぞ公開自慰みたいなものなのだから、今更恥ずかしがらずに吐き出してしまうというのもありだ。ありなんだけれども。どうも躊躇う。
そしてどうしてかあの140字、いやスレッドとして繋げて呟こうともすっきりしない気がしたのであった。

こうして、ここに吐き出している。

ツイッターもここも、思考整理の場所として私は活用していて、必ずしもうれしいことを書き記したいわけではないのだなと思い知らされる。
ネガティブ思考も確かにしんどい。ときどき「めんどくさっ!」と自分でも自分自身に嫌気がさすときもあるが、ポジティブ思考のあのきらきらしさは到底真似できない。無理。生まれ変わったら可能性があるかもしれないが、今生ではありえないと思われる。
世の中の、ネガティブを滅せんといわんばかりの流れには心底憂鬱である。ひねくれものには生きづらい。日陰者でいいし好きで日陰にいるわけじゃないかもしれないけど、日差しの下に無理やり引っ張り出されるのはごめん被ります。

少しはネガティブに浸らせてくれ。

そんなに器用に切り替えられるくらいなら今頃ポジティブになってるよ。そんなことを思った次第である。


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