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エスカレーターがこわかった

 エレベーターの話題を見かけたので、ふと子どもの頃を思い返していた。
 苦手だったものごとはいくつもあって、私はエレベーターもエスカレーターも苦手だった。

 中でも、子どものとき、私はエスカレーターがこわかった。

 エレベーターは箱に歩いて入っていくだけで済んだ。
 目的の階までのあの浮遊感ときもちわるさ、一瞬おもらしをしてしまうのではないかというような奇妙な錯覚、知らない人と同じ空間で黙っていなければいけないこと、自分の背をはるかにこえた人たちに埋もれてしまうこと――そういったことをじっとこらえなければならなかったけれど、それでもだれかに手を引かれなくても自分で入ることはできた。

 でも、エスカレーターはだめだった。

 親に手を引かれてエスカレーターに乗ることはできたし、手を引かれなくてもエスカレーターから降りることはできた。背中をぽんと押されないと、エスカレーターに乗ることができなかったのだ。
 エスカレーターにはのぼりとくだりがあるが、私はくだりのエスカレーターが大嫌いだった。くだりに乗ることができなかったというのもあるが、降りていくということがどうにもだめだった。ひとりで降りられなかったのだ。
 ごうんごうんと動く機械音、階段の落ちる先は全く見えない。まるで真っ逆さまに落ちる滝か何かのように感じていたのだと思う。なのに、エスカレーターではなく辺りを見回すとはるかかなたに小さく動く人が見える。こわかったのだと思う。自分より大きな人の足が迷いなく歩き去ってエスカレーターに乗り、足から背中、頭が下へと消えていく。
 のぼりはよかった。階段が次々と下から浮かび上がってくるが、階段の角が出てくるのが少しずつ見えるので避けることができたから。そうして上を見上げていればだんだん天井が近づいて、おりくちまで自動でたどり着ける。
 くだりはだめだった。

 ある日、家族四人で出かけた先から帰ろうとしたとき、それは起こった。

 母は下のキョウダイを抱き上げてエスカレーターに乗っていった。父も「ほら行くよ」と言って声をかけてくれたけれど、手を引いてはくれなかった。「平気だよ、ほらおいで」とくだっている途中の父に言われたけれど、私は、待って、と父を呼び止めたような気がする。いやだ、と。その時点でくだりのエスカレーターに乗ることに怯えて、とっくに足がすくんでいた。
 ごうんごうんと響くエスカレーターの駆動音、階段が次々に飛び出ては下に落ちていく。乗ろうと思って踏み出したらうっかりとがった先に乗ってしまって転んでしまうんじゃないか。先の見えないあのはるか下に転げ落ちてしまうのじゃないか。
 先にエスカレーターで一階に降りて、はるかに小さくなった父と母たちが私を見上げているのが見えた。白い床がまぶしかった。待ってるからおいで、と大きな声で言われた気もする。
 たぶん、私は両手を握りしめて首を振ったと思う。すくんでいた。疾うに泣き出していたと思う。
 何人か、私の横を大人が通り過ぎ、エスカレーターでおりていった。
 怖くて降りられない。でも降りないと帰れない。どうしていいかわからず、はるか下の父と母たちをぼやけた目で見つめていた。こわい。おりなきゃ。でも。ひどい。こわいのにおいてった。

 と、そんなことを思っていたら、父が猛然とこちらに走り出してきた。

 父が、エスカレーターを逆走して何段飛ばしで駆け上がってきたのだ。

 安全上よろしくないという話をされてしまうと困ってしまうが、今でも父がすごい勢いと足音で上まで駆け上がってきたことはよく覚えている。段飛ばしをしていたかはわからない。駆け上がってきた父がどんな表情をしていたのか、その後、父に手を引かれてエスカレーターをおりたのか、抱き上げられておりたのかはさっぱり覚えていないのに。
 ただ、きっと父が迎えに来て、ひどく安心したのと同時にどうしてこんなひどいことしたのという怒りでわんわん泣いたろうな、ということだけは間違いないと思うのだ。

 数年前にふと思い出して、「そういえばエスカレーター降りられなかった私が上の階においてけぼりになったとき、逆走して戻ってきてくれたよね」と父に言ったら、「覚えてるのか? まあ、あのときは焦ったし、遠回りしてたらまずいかもって思ったんだよなあ」と返された。
 父のその、まずいかもしれないという直感があっていたのかあっていなかったのかはわからないけれど、少なくとも私にとっては正解だったかもしれないなと思う。

 こりゃあまずいぞ、というのはきっと親の危機感につながったのだ。
 それ以降、私がどうやってエスカレーターを降りられるようになったか覚えていないが、きっと父か母が練習させたのだと思う。なにせ今は平然と一人で乗ることができているので。

 今の私はエスカレーターを怖いだなんてまったく思わなくなった。けれども、ときおり、あのとき父がすぐに逆走して駆け戻ってきてくれなかったら、たぶん乗れないままだったのじゃないかなあと不意に思い出すことがある。
 小さい子の手を引いてエスカレーターを降りる親を見かけると、そう、思わずにはいられない。

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