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孤独を貫き通さなくてはならない呪いを自分で自分にかけている

いよいよ何も分からなくなってしまった。彼に落ち度はなく、私のように気難しい人間ともなんとか向き合おうと、少しでも理解に近づこうと懸命に話を聞き、問い、思考し、苦悩してくれたというのに、それだけ寄り添おうという姿勢を目の当たりにしてきたというのに、彼ははじめからずっとそうだったのに、私は彼を自分の生活から切り捨ててしまった。拒絶し、それを告白してしまった。終わりにしてしまった。私は一体何がしたいのか、いよいよ分からなくなってしまった。幸せになりたいんじゃなかったのか。これだけ寄り添ってもらってもダメなのか。寄り添われることを望んでいたんじゃなかったのか。何が私をそうさせるのか。頭のおかしい女でごめんと、たった一ヶ月で何度も謝った。必要以上に謝罪の言葉を重ねることは、するのもされるのも気に入らないが、いつも本心のたった一言だった。わけのわからないことばかり言って振り回していたから。なんなんだろうね。何がしたいんだろうね。私は何を目指しているんだろうね。私が愚痴を言えば私よりも怒り、私が泣けば後でそれを思い出してひとりで泣くような人だ。優しく、真心のある人だ。気は弱いし、いつもびびってるし、スマートでもかっこよくもないし、うざいくらいに純真なとこも気に食わなかった。人のことばっかり考えてて貫くほどの我が育ってないとことか、育ちの良さやそのゆとりが滲み出た少し垢抜けない感じとかも、目を逸らしたいほど嫌だった。違いすぎる。あんまりまっすぐすぎて、自分がすごく汚いもののように思えてならなかった。高校生の頃、すでにりっぱにひねくれていた私は、好きなタイプを聞かれて「優しい人」とクラスの女の子たちが回答するのを、冷めた目で見ていた。"自分に優しくしてくれる都合のいい人"の間違えでしょ、とか思っていた。その頃の私の世界はまだ家と学校くらいで、こっちが思いやりを持って接すれば、大抵の人はそれなりに思いやりを持って対応してくれるもんでしょ、と思っていたので、"自分が相手にどれだけ優しくできるか"という点を度外視してとにかく優しくされたがるという姿にどうも納得がいかなくて、「優しい人」なんて私は死んでも答えないようにしよう、とか思っていた。幼くて、まだなにも分かっていなかった。今年で27歳になる。一人暮らしも9年目。今はもう知っている。どれだけこっちが懇意にしても、相手に人を思いやる気持ちがなければ、いつまで経っても優しくなんてしてもらえないのだ。優しい人も優しくない人もいる。そして彼は優しかったと思う。少なくとも、ここ何年間かで私が好きになってきた、気の合わなさを盲目でカバーしてきた(しきれなくて別れた)何人かの相手とは、並べて比較なんておこがましいほど優しかった。なのになんで。何でそれでもダメなの。何でうまくやれないの。愛の才能がないから?ひとりでいたいの?いたくないの?幸せになりたいの?なりたくないの?なんなの?結局、自分のことで常にいっぱいいっぱいで、人の面倒見てあげられる余力が常に残っていない。誰かに好きになってもらって、付き合う資格とかもはやない気がしている。今人生最高潮に結婚願望がない。なんでみんな好きな人の存在よりも「結婚したい」が先行するの。私も今までずっとそうだった。結婚したかったし、特に自分の子供が欲しかった。母親になりたかった。そう信じこんできたけど、急に全部が気持ち悪くなってしまった。「結婚したい」願望を叶えるために恋を探すことも、「親になりたい」「子供が欲しい」という勝手な都合で子供を作ろうとするエゴも、気持ち悪い。そんなの全部不自然じゃん。結婚したいって気持ちは、その人と過ごしてきた時間や関係性に対する敬意なんじゃないのか。後からついてくるもんじゃないのか。結婚目指して付き合いを深めていくのって、水面下でずっと審査しあってるみたい。結婚にこだわる気持ちが薄くなってしまって、私に今すぐ彼氏はいらない。全然いらない。過去のこと、思い出したくないこと、忘れようとしていたはずのこと、フラッシュバックみたいに思い出して、息苦しくて眠れなくて、消えてしまいたいくらい苦しい夜も、世界のどこからも切り離されたような気持ちになって、一人の家に帰れなくなってしまって、一生駅のホームで時間を潰すしかなくても、たったひとりでやり過ごすから、特定の人に縋ったり、電話したりなんかしないから、そうなれるようになんとか頑張るから、いっぱいがんばるから、適齢期でみんなが同棲したり結婚したりしている中でもひとりでいるってそういうことだから、お願いだから、もう軽率に理解しようなんて思わないで。ちょっと幸せの端っこが見えたって、私は自分の足でいつもここへ戻ってきてしまう。何度も何度も戻ってきてしまう。本当は抱き締めてくれる人がほしいなんて思い出さないようにするから、孤独も飼い慣らしてひとりで気楽にやってますみたいな顔してなんとか生きるから、お願いだから、優しくしないで、希望があるなんて思わせないで、信じさせないで、私はこんなとこでまだ死ねない、生き続けなくちゃいけない。うまく自分を騙くらかして、言葉にして、とにかくかたちに遺して、きっかけさえあれば、生まれた街のある東北の地か、心の故郷の広島で職を見つけて、逃亡して、自由を喰いつくして生きるから、自分の将来に対してだけ期待して生きるから、今度こそ、差し出された手にうっかり掴まらないように、足腰鍛えて、やっていくね。

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