たまに思い出す、当然のことだがとんでもないこと
8月13日。今日はランニングをして銭湯に行ってきた。
銭湯からの帰り道、ほてった体に灼熱が襲い掛かる。
コロナ、猛暑、マスクによりさらに猛暑。心なしか道端に裏返った蝉の数もこの時期にしては多い気がする。
このように8月になるといつも我々は生物であることを思い出される気がする。
上述の蝉、干からびた蚯蚓の死骸、戦争のドキュメンタリー。
生きるということはいつだって死と隣り合わせだという当たり前の事実を8月は教えてくれる。
さらに話を大きくしてみよう。
地球は回っている。僕たちを乗せて。
某ジブリの主題歌みたいになったが、これも中々に恐ろしいことではないだろうか。
もしかしたら振り落とされるんじゃないだろうか。
自分を置いて逃げていくのではないか。
まだまだ大きくしてみようか。
今この瞬間に地球が爆発するかもしれない。
地球外に目を向けてみよう。
巨大隕石が向かってきているのではないか。
宇宙人が攻めてくるのではないだろうか。
宇宙が無くなってしまうのではないか。
SFだというかもしれないが。現に私たちも外部からしたら宇宙人だ。
世界や宇宙は万象ではない。団体にすぎないのだ。
ただ今は”2つ目”の生命体や宇宙を見つけられていないだけである。
そんなことを考えながらクーラーを消し忘れた部屋に帰り、梅酒をサウナ後の水風呂のように浴びる。
お盆とコロナで、会いたい人にも会えず、外出のままならない中、僕の宇宙はこの部屋に広がり、この部屋で完結している。
きっと明日には地球や宇宙の真理も忘れてしまうだろう。2割は僕の記憶力、8割は梅酒の力で。
しかしそれでいい。
忘れてしまった方が生きやすいことも何個かある。
また来年思い出せばいいのだ。
それまで地球と宇宙が無事だったならば。
ナスオ
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