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自分の就職活動について②

☆ ☆ ☆

私は、思春期の頃から将来の夢を失くしてしまった

小学生の頃は、『ズームイン!』の羽鳥アナを観て、アナウンサーになりたいと思っていた。だが、いつからか諦めてしまった。顔/声/活舌がさほど良くないことに気付いたから、倍率が高いから、面白くなさそうに思えたから… 諦めた理由は定かでない。

中学から高校は、将来のため、とにかく偏差値が高い学校に行くことを目指した。

「もしやりたいことが見つかった時、有利になるからなるべく良い大学に行きなさい」

大人たちは 中学生/高校生の私に期待しながら、勉強する意味をそう教えた。
自分も特に疑問を抱かなかった。疑問なんて抱こうとしなかった。
点数がどんどん伸びるゆえ勉強自体が楽しく、「勉強することの意味」なんて自分で考えようとしなかった。

大学の学部を決める時、なんとなく「社会」「環境」の勉強をしようと思った。
理系は(当時)数学が苦手だったから厳しい。「政治」「経済」は嫌だ。
多分私のことだから、消去法だっただろうな。もしくは「社会を勉強しておけば、大人は喜ぶ」とでも思ったのかもしれない。なんでも良かった。

とにかく将来の職業のことなど、カケラも考えようとしなかった。

☆ ☆ ☆

高校2年生の終わり、担任の先生に「東京大学」を受験することを勧められた。
東大には、どうやら「進学振り分け」という、入学後に学部学科を選択するシステムがあるらしい。それを聞いて、東大を目指してみることにした。

「東大で〇〇がしたい」なんてこれっぽっちも無かった。
だが、点数/成績/模試の判定はどんどん上がっていった。受験勉強自体が友達のおかげで楽しかった。

受験勉強の中で、私は「世界史」が好きになった。
他の教科に比べて 高校での授業の進度が遅く、本腰を入れた受験学年に大きく成績が伸びたこともあるだろうが、一番大きかった理由は 歴史が大局的な視点で繋がっていくからだった。学べば学ぶほど全体像が分かってくる、その感覚が心地よかった。

3年の秋頃、自分は歴史の研究者になっても良いと思った。
勉強することへの意欲を湧かせてくれた世界史に、もっと取り組めたら良いと思った。
自分に夢のようなものが出来たのだ。

そうして、勉強へのモチベーションを維持したまま、私は東京大学に合格した。

しかし、大学に入って、特に文系の研究職への道は厳しいことを知った。
安い賃金、空かないポスト、厳しい競争社会…。
「なっても良い」では決して務まらない世界。自分の考えが甘かったことに気付いた。

また、大学の歴史の講義は、高校世界史と比べて、どこか味気なく感じてしまった。
大学の歴史学は、とことん細部を掘り下げるものであり、一応の区切りのある高校世界史とはうって変わってどこまでも果てしない世界が広がっていていた。
知識をどこか「クイズ」のように捉えてしまう私にとっては、答えがない問題に取り組むことが苦痛であったのだ。

そうして、私は研究職の道を「自分には厳しい」と諦めた。
諦めたと言う程 大層なものではないかもしれない。ふらっと寄り道をしたが、その道が舗装されていないことに気付き、元の道に戻っただけのことだ。

とにもかくにも、私のぼんやりと見えかけた将来は 大学に入ってすぐに白紙に戻ってしまった。


③に続く


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