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第31回 『火花』 又吉直樹著

 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、カズオさん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 私は現在、妻と二人で東京の吉祥寺という町に暮らしております。数年前に定年退職してからは、近所の井之頭公園を散歩するのが日課になっています。
 つい先日、近くに住む娘家族と一緒に夕飯をとっている時に、「そういえば、あの小説って、この辺りが舞台になってるらしいよ?」
 娘が話題にあげました。
「ほら、あのなんとかっていう芸人さんが書いて、有名な賞もとって話題になったあれ。その後、映画化もされてさ、ほら、なんて言ったっけ…」
 結局、その場では誰も思い出せず、地元に住んでいながら、誰一人読んでいないのでした。

 翌日さっそく、私は書店に出向き店員に訊ねました。
「きっとこれのことです」
 手渡されたのが『火花』でした。

 井之頭公園のベンチに座って読み始めると、どうやらお笑いの道を志す若者の話のようです。なるほど、主人公の「僕」は自分の慕う神谷という先輩芸人と吉祥寺界隈で呑んだりしています。私は青春時代にタイムスリップするような感覚でいつしかすっかり作品に没頭しておりました──

 漫才を志す僕と、先輩芸人神谷の日々を綴ったお笑い青春小説『火花』をまだ読んでいないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!

 天才は、ほんの一握りしかいないんですよね。けれども誰もが自分がそれと信じてひたむきに頑張る。やがてそうでなかったと気づかされる。あるいは始めからわかっていたのかもしれない。天才と自分とのあいだにある溝がどうやってしても埋められないことは、当の本人がいちばんわかっていたのかもしれません。
 主人公の「僕」は、4つ歳上の神谷の芸道に惹かれ、共感し、彼のようになろうと必死で努力するけれども、結局はお笑いの世界から足を洗うことになる。こういうことはどの世界でも、あることなのでしょうね。天才になれなかった凡人の青春──。
 私の暮らす吉祥寺という町には、音楽やお笑い、大道芸など、様々な芸を披露する路上芸人がたくさんいます。彼らが天才か凡人か私にはわからないけれど、この小説を読んでから、そうした路上芸人を目にするたび、ひょっとしたらあの作品の中で「僕」や神谷がすれ違っていたかもしれない、まるで登場人物の一人のように思えてきて、つい立ち止まってしまうんです。がんばれって応援したくなるのです。

 天才だって、すべてが報われるわけではありません。世間になかなか認められない神谷のその愚直なまでに己の芸道を貫こうとするがゆえの不器用さに、「僕」はもどかしさや恨めしさ、時には幻滅を覚えたりもします。自分が天才と信じる人間が世間で評価されないことは、自分自身が世間に認められないことよりも、あるいは辛く狂おしいことなのではないでしょうか。

 実は、私には娘の他にもう一人、息子がいまして、30もとっくに過ぎているのに所帯も持たず、バンド活動に明け暮れております。小規模のライブハウスではお客さんがどうにか埋まるほどにはなっているようですが、この先、成功するという保証はありません。
 私は残念ながら音痴なので、息子が天才かどうかわかりませんし、たとえ天才だとわめいたところでただの親バカにしかみえないでしょう。ただ願うのは、いつか成功するにしても、あるいは挫折するにしても、作中の「僕」がそうであったように、息子には「世界の景色が一変することを体験」していてほしいということです。自分の音楽を誰ひとりとして聴いてくれない恐怖を、自分の音楽で誰かひとりでも笑顔になる喜びを、一度でも経験していれば、自分は青春をきちんと生きたのだと胸を張って、その先の人生を歩んでいくことができるのではないかと思います。
 まあ、とはいえ私にしてやれることは大してありません。応援と言ってはなんですが、まずはこの小説『火花』を息子に読ませてみようかなんて思っています。

 カズオさん、どうもありがとうございます!
 カズオさんは読み進めるうちまるで青春時代にタイムトリップしたかのように作中の「僕」にどっぷりコスプレ体験してしまったようですが、それはこの作品の中で、「僕」という観察眼を通じて神谷という天才肌の芸人が語られる一方で、神谷のお笑いに対する執着や変態性に惹かれ、憧れ、ことあるごとに自分の器と比較し、振り回される「僕」自身の内面が徹底的に掘り下げられているからではないでしょうか。
 「僕」と同じような経験のある方がこれを読めば、過去の自分と重ね合わせてコスプレすることになるでしょうし、そのような経験のない方がこれを読めば、まったく未知なる「僕」を追体験という形でコスプレできるのでしょう。カズオさんは、果たして、どちらのコスプレを楽しまれたのでしょうか……。
 それにしても、自分の暮らしている土地が舞台となっている小説を読むというのも、面白い本の選び方ですよね。ぼくもさっそく「ご近所小説」を探してみたいと思いまーす!
 カズオさん、またお便りしてくださいね。

 それではまた来週。

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