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私が日本のテクノロジー業界の可能性を信じる理由

TAKA(@Murakami_Japan)です。今日は少し昔話を書いてみようと思います。

私は元々理系の学生、東京大学で宇宙工学を専攻していました。研究室も希望の航法・誘導制御系に配属され、民間初の小型衛星開発/打ち上げも経験することができました。その後、宇宙科学研究所(現JAXA)でロケットやソーラーセイル/群衛星、また深宇宙探査機(はやぶさ等)、様々な研究テーマに触れながら、刺激的な日々を送っていました。エンジニアリング、研究者、それぞれの観点で良い環境に居たと今でも感じています。

その頃、感じたことが今も私の活動の原点の一つであり、それは以降のキャリアにおいてもブレることはありませんでした。少し長く、断片的になりますが是非読んでみてください。

日本と米国の宇宙開発の違い

宇宙関係者にとっては自明のことですが、日本と米国では予算規模が圧倒的に違いました。国家としての規模が違うから当然でもあるのですが、ざっくり3,000億円の日本の予算に対してアメリカは4兆円と大きな開きがありました。それ以降、日本の宇宙予算は漸減、民間企業の統合・撤退などを受け宇宙産業全体の規模は減少を続けています。一方で、アメリカはアポロ計画が終了し、冷戦が終わりを迎えても、着実に予算と産業規模を拡大させ続けてきました。

この違いは、国家として宇宙開発に積極的に取り組んでいるという姿勢もさることながら、軍需予算の影響もあります。すなわち、軍事力を維持する観点でも宇宙開発に関わる技術開発を続けることは極めて重要だということです。実際に、宇宙開発から様々なテクノロジーが開発され、軍事転用が図られています。

実際、NASAの予算の何割と明確に開示はないと思いますが、かなり軍需予算が占めていると思います。加えて、大国ロシアや中国を筆頭とした新興国の台頭が予想され宇宙覇権の争いは激化することが予想されていました。つまり、アメリカは国家戦略として宇宙開発に積極的に取り組んできたのです。

軍需があると、その周辺にビジネスや産業が生まれます。結果として、日本の研究開発型の予算に比較して、軍需や産業といった大きな裾野の広がりがある点が日本とアメリカの決定的な違いでした。

一方で、日本の宇宙開発は完全に政府の予算に頼ったものでした。私が宇宙業界から離れた後も、政府の予算が増えることはなく、むしろ仕分けの対象となりJAXAに統合されるなか漸減のトレンドから脱することはありませんでした

民間初の超小型衛星開発

90年代から2000年前半は宇宙業界にとって閉塞感が充満していたように思います。60-70年代のアポロ計画が終わり、その後80年代からスペースシャトルの開発がありました。

日本ではバブルが崩壊し国全体が低迷期に入っていました。宇宙産業も1999年にH2ロケットが爆発するなど国民からの宇宙開発の必要性について大きな疑問が投げかけられていました。大国アメリカも例外ではありません。米ソ冷戦の終わりにより無尽蔵に宇宙開発予算を投じる大義がなくなりました。

宇宙ステーション開発と並行したスペースシャトル開発も2003年のコロンビア号の爆発事故で、当時大統領だったジョージ・W・ブッシュによって停止命令が下されました。2000年前後は、宇宙開発とは何なのか、何のためにやるのか。人類全体がその意義を見出しづらくなっていた時代、何か閉塞感を感じる時代だったように思います。

そんな中、私が従事していた中須賀真一先生がスタンフォード大学で提唱されたマイクロサテライト(超小型衛星)の開発に手を挙げました。宇宙開発の方向性をこの頃から見通され、全力で取り組まれていた中須賀先生は素晴らしいと思いますし、尊敬の念しかありません。研究室の学生であった私は当該プロジェクトに幸運にも関わることができました。詳細はリンクの中須賀先生のレポートをご覧ください。

政府主導の大規模宇宙開発には限界がある、民間が主体となって低コストで実現できる宇宙開発を目指すきっかけとしよう、そういうものだったと思います。性能保証に大金を投じる部品を利用するのではなく、秋葉原で売っているような汎用の低価格の部品を活用するなど、徹底的な小型化と徹底的な低予算化がプロジェクトの売りでした。東京大学が作った"CubeSat"は世界で最初に打ち上げられ今も軌道上でビーコン(衛星から発信される通信情報)を送り続けています

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspe/77/1/77_1_37/_pdf

なぜ、「はやぶさ」プロジェクトは生まれたか

その後、私は宇宙科学研究所(当時。現在JAXA)の川口淳一郎先生(※初代はやぶさのプロジェクトマネジャー=責任者)に従事する機会に恵まれました。川口先生は宇宙業界でも皇太子と呼ばれるぐらい、頭が良く神童でした。私が大きく疑問に感じたのが、そんな先生の時間の多くを予算獲得のための書類作成やお役所への説明に使わなければいけない実態でした。

ここでの経験が、私が宇宙産業にエンジニアや研究者としてとどまるのではなく、グローバルやビジネスを志すようになった背景です。

2003年に打ち上げられ、そのドラマティックなストーリーから世間の注目を集めた「はやぶさ」があります。私自身も微力ながら関連技術の研究や開発に関わらせていただきました。先ほど述べたように、日本の宇宙開発は規模でこそアメリカに劣りますが、技術力ではまだまだ負けてないということを世界に示したのだと思います。

ここのエンジニアや研究者の優秀さは私自身も身をもって感じていました。斜陽産業の道を歩みつつありましたが、それでも宇宙への憧れ、ロマンもあり多くの優秀な人材を抱えていたからです。

なぜ、「はやぶさ」が生まれたのか。それは偶然ではなく必然だと考えています。限られた予算で、何ができるのか。実証したいテクノロジーは無数にある。そこで考えたのが、あらゆる技術を詰め込み、少ない予算をチャレンジングなプロジェクトに集中投下することで、世界にないインパクトのある結果を目指そうとなったのです。

これは第二次世界大戦における日本の特攻とも重なります。もちろん「はやぶさ」に特攻がいたわけではなりませんが、限られたリソースでなんとか諸外国に一泡吹かせたやろうとい観点では正しく同じ発想です。つまり、身の丈に合っていないストレッチしたプロジェクトだったのです。

昨年はやぶさ2が見事な成果を挙げました。その際の記事にまさにこのことが書かれています。NewsPicksでも私も胸熱のコメントをしてしまいました。

<NewsPicksでのコメント>
コスパ、という言葉にあるように、やもすると日本においては「美談」として語られてしまうことが多いですが、そうではありません。この成果を次につなげる際はコスパも大事ですが、技術開発に加えて、スケールや持続性の視点が不可欠だと思います。
JAXAだけではこの課題は乗り越えられません。政府だけではなく、産学連携だけではなく、日本全体のエコシステムをフル稼働して、宇宙開発の意義を再定義し、次のステージへ引っ張っていく必要があります。はやぶさはそのきっかけを日本にくれた類稀なる存在です。

「予見可能性」型の宇宙開発は政治のトップダウンで決まっているが、宇宙研はボトムアップだ。
本当にそうだと思います。ただ、予算に関してはトップダウンなのです。だからこそ優秀なエンジニアが予算確保のために、途方もない時間をかけることになる。スタートアップでいえば、起業家のビジネスを磨き込む時間を奪い、投資家との対話や資金調達ばかりに時間を使わざるを得ない状況と同じです。少し前の日本のスタートアップエコシステムの状況は宇宙産業ではまだ放置されているように思います。

グローバルとビジネスの視点がテクノロジーに不可欠な理由

私は宇宙開発に関わっていた頃、ビジネスや経済、金融など全く何の知識もありませんでした。恥ずかしくなるほど全く何も知りませんでした。今でこそ、中高生や若い人でも、ビジネスや経済の知識は一定あると思いますが、私の頃はまだ理系全盛期で、理系は理系、文系は文系と学問ごとに大きな分断があり、理系の学生はマニアックで、そのことだけを考えていれば良いという風潮が強くあったように思います。

私は国際学会に参加したり、企業との共同開発などを通じて、日本に欠けているのがグローバルやビジネスという視点であると痛感しました。これからの宇宙開発は国の研究予算だけに頼っていてはいけない、自らテクノロジーの活用機会を見出し、宇宙産業として自らビジネス化することで新たな市場創出を行っていく必要があると考えました。

私が関わった"CubeSat"や「はやぶさ」といった宇宙開発プロジェクトも同じ危機感から生まれたものです。宇宙産業であるからには、グローバルで競争力を意識しなければいけない、台頭する中国、大国アメリカを見ながら、強くそう感じていました。

残念ながら、その頃私にベンチャーキャピタルやスタートアップという概念や知識は全くありませんでした。グローバルとビジネスという2つの強いキーワードに導かれ、金融ビックバンで日本で存在感を見せ始めた投資銀行ビジネス、そして世界最強と言われたゴールドマン・サックスとの縁に繋がっていったのです。

良いテクノロジーや商品であれば勝てるという幻想

90年代はインターネットの時代でした。多くのビジネス、テクノロジーの業界の人間はインターネットの可能性に狂乱していました。Windows95が登場した以降はまさにバブルそのものでした。私もインターネットの可能性を強く感じていた1人ですが、インターネットというインフラ、それにまつわる技術を制覇できることが最も大事で、完全に技術ドリブンに考えていた1人です。

確かに技術は大事です。しかし今振り返ってみると、大成功したGAFA、日本でもヤフーや楽天など、どれだけ技術があったでしょうか。最初は素人ながらのコーディングからスタートした企業も多かったでしょう。多くの起業家はスーパーエンジニアであったでしょうか。ビルゲイツはそうかもしれませんが、多くの起業家はスーパービジネスパーソンと呼ぶ方が近いのではないでしょうか。

つまり、実際にはテクノロジーだけではビジネスの成功は約束されておらず、ビジネスで勝つにはビジネスのルールを学び、武器を活用する必要があるのです。それがまさに「経営」だと考えています。

その後の実態は私が説明するまでもないでしょう。失われた10年、20年、30年と言われますが、特に失われた20年を語る上ではこの技術偏重が招いた功罪は極めて大きいと言わざるを得ません。ある種の過信から来る経営判断、国内での過当競争の放置、撤退判断の遅れ、中途半端な投資、これらが日本の産業の競争力を削り取っていってしまいました。

当時、理系の学生であった私は多くの産業構造について知る由もありませんでした。今の頭の良い理系の学生は私よりももっとそのことを頭では理解しているでしょう。実際に何をどうすれば良いかわかっていないのが実態ではないでしょうか。

私は宇宙産業に身を置いていた結果、インターネット業界より先に現実を突きつけられました。大きな課題に直面していたからこそ、技術ドリブンだけでは世の中に価値が提供できないということを当時から気が付くことができたように思います。

日本のテクノロジー産業の課題と強み

私は宇宙開発に関わっていた頃から、日本のテクノロジーの強みは、「すり合わせ」と「融合」だと思っています。宇宙産業は本来は日本が得意とする要素が詰まっています。素材の技術、小型化の技術、制御技術、画像処理、通信技術、電源技術、全ての融合でこそシステムが成り立ち、ロバストで自律的なミッションを可能にします。

他にもファクトリーオートメーションなどもそうです。任天堂やソニーが日本から生まれゲーム産業を牽引したのも、複数分野をインテグレートして価値を届けるからに他なりません。

一方で、これまでパソコン、半導体、ソフトウェアなど複数の業界で日本は競争力を失ってきました。技術力の差別化要因が、スピードや規模や微細化などに収斂してきた場合です。そうすると徐々に投資戦略や、スケールを実現するためのサプライチェーンや販売戦略といったビジネスモデルや経営の差別化要因がより支配的になります。

今、世界のテクノロジー産業は総合格闘技の様相を呈してきています。日本は特定種目の強みはあっても、総合格闘技では苦手分野を残し、「融合」しきれていないと思います。テクノロジー分野でも社会インフラや、ソフトウェアとハードウェア、電力制御と素材、など複数の領域を跨ぐことで付加価値を出すようなアプローチが一つの方向性だと思います。

これだけ、素材から電力制御まで幅広いエンジニアリングのノウハウや人材を有している国はそうありません。新興国も台頭してきていますが、ソフトウェアやインターネットなど新たな産業分野に集中している分、総合化への道筋は遠い。それは中国もインドも理解しているからこそ、着実に戦略を立ててキャッチアップしようとしているのだと思います。

ただ、気をつけなければいけないのは、それだけ「融合」で差別化を図ったとしても、それだけでは勝ちきれないということです。ビジネスとして、経営として、総合格闘技として勝ち切る姿勢が不可欠だと考えています。テクノロジーの融合はまだ日本に一定の優位性が残っています。そこがあるうちに、ビジネスとして「融合」をしっかりと果たし、経営力で差別化できるようになれば、日本はまだまだ飛躍できると私は考えています。

当時、川口先生がおっしゃっていたことを今でも覚えています。
「村上くん、これからはメカトロニクスの時代だ。特定分野の技術だけにとどまっていてはいけない。ソフトウェアの重要性は高まるが、メカトロニクスとして融合できるかが勝負になる。」

数ある研究テーマの中で「ソーラーセイル」というテーマも川口先生から頂きました。詳細は割愛しますが、極薄の膜を微小重力の宇宙空間で展開し太陽風で推進力を得るという構想です。極薄の膜を展開し制御することが、まさに最高峰の融合分野であり、そこに技術開発の面白さと他にはできない差別化の要因が詰まっていました。

ようやく時代が追いついてきました。ただ、今の日本は出遅れたインターネットや単なるソフトウェアで米中に追いつこうと必死で、融合分野への取り組みが徐々に弱体化してはいないでしょうか。20-30年前は圧倒的な優位性を有していたはずです。素材から部品、全てを融合できるだけの産業基盤を有していました。

ただ、失われた30年の間に、競争力のある産業は弱体化し、時に売却され、若手エンジニアも減少してきました。そんな中、むしろ米中が今この「融合」領域の価値に明確に気がつきそれぞれのやり方で戦略的な動きを見せています。追いかけているつもりが、追い抜かされそうになっているのです。

ゴールドマン・サックスで働いた理由

20年ほど前にこう考えました。日本の技術者や研究者のレベルは極めて高い。であるにも関わらず、それが社会に還元されるチャンスが少ないし、結果的に国際的な競争力が脅かされている。非常に「もったいない」と。

私自身、その課題感が本当に正しいのか当時は今ほど解像度をもって理解できていませんでした。ただ、グローバルとビジネスという領域に自らを投じることで、そのことに対する答えを見つけたい。そう考えるようになりました。

正直、色々な選択肢を考えました。海外に留学すること、大企業に就職すること。国家一種を受けて公務員になる道も一度模索しました(※全く肌に合わない&結果が出そうな気がしなかった)。ただ、残念ながら自分で起業するという発想は一ミリも持てませんでした。そういう発想も知識もなかったですが、そもそも自分がうまくいくイメージが一ミリも持てていませんでした。

そんな中、偶然出会ったのがゴールドマン・サックスの投資銀行部門だったのです。理系だったこともあり、周りに金融工学を駆使してトレーディングなどのビジネスに身を投じる人もちらほらいました。なので、私の中では投資銀行=金融=トレーダーというイメージしかありませんでした。

話を聞いてみると、投資銀行は私がイメージする金融とは全く異なり、グローバルの企業を相手に、経営戦略や財務戦略を駆使して、ダイナミックに価値創造を行う。そういうグローバルビジネスの専門集団に見えました。今でもゴールド・マンサックスの投資銀行の本質はそこにあると確信しています。そうして、グローバルビジネスに挑戦する場としてゴールドマン・サックスの投資銀行部門にお世話になることになったのです。金融知識がゼロだった私にとって、今も昔もゴールドマン・サックスは金融の会社ではなく、グローバルビジネスの世界最強の会社です。

一貫した日本、テクノロジー、社会還元への想い

15年ほどの年月、ゴールドマン・サックスでお世話になりました。二十代、三十代の若者(=私)には得難い経験を数多くさせていただきました。個別の事例に触れることはしませんが、数兆円のM&A、数千億円の企業買収、数千億円の資金調達、数千億円の非上場化、数千億円のJV設立、どれも社会的にも注目を集める、素晴らしい企業と経営者との仕事ばかりでした。

ただ、キャリアを順調に重ねれば重ねるほど、自身の中に一種の虚無感が芽生えるようになりました。果たして、私は日本やテクノロジー、社会にどれぐらい貢献できているだろうか。

私はゴールドマン・サックスでテクノロジー産業を主に担当していました。世界最強の投資銀行の日本のテクノロジー部門で働いていることは一種の誇りでした。グローバルからみて、日本はテクノロジーで尊敬を集めていました。その意味で、世界の最先端である日本と世界をつなぐビジネスとも言えました。ただ、年月が立つごとに、日本に対する世界の注目が低下していきました。

特に金融危機以降、日本のIT業界の責任者の立場でもあった私は、その地盤沈下を誰よりも敏感に感じていました。Facebook、アリババ、華々しいIPO、大型の再編、どれも世界の最先端のテクノジー企業とのビジネスで世界中がその動きに目を光らせていました。一方で、日本はどうか。世界がその動向を注目する企業はソフトバンクぐらいになってしまっていました。世界中の同僚から何も質問されない。世界中の同僚が日本に来ない。せいぜい中国訪問のついでに立ち寄る程度でした。

SlackやDocusignやDropbox、どんな素晴らしい企業をいち早く日本企業に提案しても、情報収集の域を超えることはなく、真剣に対抗策や買収を考える企業はいませんでした。

今、自分がやるべきことは他にあるのではないか。そして原点回帰、「日本」「テクノロジー」「社会還元」の軸で何ができるのか考えるため、長年お世話になった古巣から退職することを決断したのです。

そして、2017年にシニフィアン株式会社を創業しました。どうすれば、世界をよくすることができ、日本がそのリーダーとなり、活力ある国と「持続可能な社会」の実現が可能なのか。正直、まだ答えはありませんが、もがきながら日々奮闘している最中です。

今も次世代を担う産業、若者、社会課題を解決しうるビジネス、多くの心ある有望な方々と議論をさせていただく時間に恵まれています。これまでの自分の人生に後悔がないのは、そういう方々との時間を頂戴しているからに他ならないと心から感じています。

そして、宇宙工学の研究者・エンジニアであったからこそ、技術力の高さとそれを無駄にしてはいけない、「もったいない」と今も思っています。研究者・エンジニアと「ファイナンス」「ガバナンス」「組織」というものがいかに遠い存在かということも実体験を持って知っています。でも、これを遠い存在だと言っていては、何も成し遂げられないと、強く感じています。

川口先生がおっしゃったように「融合」させていくことができるかが勝負なのだ。テクノロジーとファイナンス/ガバナンス/組織といった経営力を本当に「融合」させることができれば、日本のテクノロジー産業は、いや日本は明るいと心から信じています。これが私が日本のテクノロジー業界の可能性を信じている理由です。

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