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65.書くこと=「継続は力なり」

11月から始めたこのnote、最初の頃はどうも自分を信用できず「今回も三日坊主になるんだろうな~」、と三日坊主常習犯の心に予防線を張っていた。それがまさか、今日もこうして次の更新のために記事を打ち込んでいるではないか!11月中に行った「#毎日note」程ではないけれど、コンスタントに更新を続けていられることに一番驚いているのは、自分なのだ。

・noteの楽しさ、居心地のよさ

noteを始めたのは、エッセイを書くことを通して「誰かに読んでもらえる文章」の書き方を習得することが、一番の目的だった。加えて、文芸の楽しさを日々に取り入れたいとか、多くの方の記事を読んでみたいとか、様々な理由もある。実際に始めて感じたことは、「noteってとても居心地がよい!」ということ。具体的な理由として、

・クリエイター同士の交流が穏やか
・競争による「SNS疲れ」を感じない
・創作の自由性が尊重される空気感

なんといっても、noteの「――つくる、つながる、とどける。」、まさにこのテーマがあってこそ、のびのび続けられているのだなぁ、と感じる。自分の書いた記事が誰かに読まれて、ちゃんと届いている、それを実感できるってすごい。もちろん「スキ」やコメントでリアクションをいただけることもとても嬉しいし、かといってSNS特有のぶいぶい競争をしている雰囲気もなく、それぞれが創作者として自立しているような感じがとても好きなところ。そしてnoteを通じて多くの方と交流し、共感や新たな発見を感じられることも楽しく貴重な時間。

・「継続は力なり」を実感した5ヵ月間

noteを始める前、公募関係や仕事上の業務などを除くと、誰かに読んでもらえる文章を書く機会はほぼなかった。気持ちの整頓方法として、愛用中の手帳に文字通りつらつらと、宛てもない文章を綴っていたくらい。それからnoteを始めて、幸い自分の書いた記事を多くの方が読んでくださるという状況になり、少しずつ意識が変わってきたことを感じる。

エッセイは誰もが書ける作品だからこそ、そこに魅力がある。自分では感じ得られない、様々な価値観や気持ちを受け取ることができるし、それを伝えることもできる。表現技術や語彙、知識に関してはまだまだ勉強中。だけど、「文章を考えて書く→その先に読んでくださる方がいる」という気持ちの出発点に戻ると、書くことは本当に素晴らしくて、楽しいこと。(だから三日坊主にならずに続けてこられた)自分だけでは完結できないこの創作活動は、皆さんによって支えられていると実感。

加えて感じたことは、何かについて書こうと思い立った時、紙あるいはPC画面を前に委縮しなくなったこと。これは完全に「慣れ」、だと思うのだけど、とにかく筆を、キーボードを動かしたり打ち込むなどしている内に、めちゃくちゃにしろ文章が形を成していく。文章を読みやすいように整え、お化粧していくのはそれから。以前は、頭から「読みやすい・伝わりやすい文章だけを書きたい」、と思っていたことが原因で筆が進まず、書くことが億劫になることも。まずは書きたいことを書く→そこから時間をかけて推敲をする。そうすると、なんとなく伝えたいことがまとまることに気付く。文章に対しての抵抗を減らせたことこそ、私の「継続は力なり」となった。

・noteを通してこれから何をしよう

現在、このようにエッセイを中心に更新中。
2022年の目標のひとつとして掲げていた、「文芸に携わる・創作する」という点を叶えるべく、たまにマガジンで詩も公開するようになった。今年は始まったばかりのようで、実はあと十ヶ月ないことに焦りを隠せず、もう一歩、いや、二、三歩くらい踏み出してみてもいいじゃないか、と感じるようになった。私にとってエッセイは自分の気持ちを整頓する術なので、引き続きこのように更新は続けていくし、たまに詩も創る。そして、短編小説・ショートショートの創作に触れてみようと思っている。思っている、というか、ショートショートに関しては既に何編か仕上げている状況なので、それらが増えてきたら、お馴染みのマガジンにまとめてみたい、そんなことをぼんやり考えているところ。

最後になりましたが
日々読んでくださるnoterの皆様、いつもありがとうございます。

おわり

*やさしい詩、を更新中*


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