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オリジナル=誰も知らないところからパクってくること

 と、このタイトル自体がパクリなんですね。筒井康隆がいっていたことのパクリです。たぶん『乱調文学大辞典』にあったはずと思うんですが。うろ覚え。

 さて誰も知らないとはどういうことか。簡単に例えるとマイナーなもんであれば大多数が知らんので、そこからパクるとオリジナリティらしきものは立ち現れるであろう。マイナーの最たるものは著者の日常生活でしょう。隣の家に住んでる人に接したときのその人の様子などはもう著者にしかわからない。隣人だけでなく家族もそうであろうし、あとは親戚とかもですか。日常生活を書いて評価されることも多々あるので、そこをうまく書けば「光るものがある」とかいわれるんじゃね。マイナーないしオリジナリティを見出す眼力ですか。

 それと人生の中でのできごとにもわりとオリジナルな要素はある。誰の人生にもあるようなこと以外なら珍しいもんなんじゃないの。これは「10歳のときにサバンナに捨てられてハイエナの群れと一緒に生きてきました」とか、そこまで極端でなくてもですよ。なんかあるじゃん。学生時代の人間関係だの職場での経験だのと。それが珍しいものなら書いちゃえばオリジナルなもんが出てきたって話になる。

 あとは切り取り方ですか。おもしろい素材があっておもしろく書けるならそれでいいが、せっかくの素材をつまらなくしてはいけないんで、切り取り方、書き方によって完成度が変わることもあるでしょう。ここは技術のところなんだと思うけど。おもしろいと思われなかったときに「こんなの俺でも書ける」っていわせてたらダメなわけでしょう。けっこうみんなそれいうけど、だいたい書けないからね。書いてみろよって話になる。ともあれおもしろいものはおもしろくさばきたいもんですな。

 そしてつまらないものをおもしろく書く、これはたぶん上級の話なんだろう。あたくしは上級者ではないのでこれはできない。つまらないとは何か。さほど話題として取り上げたくないようなことである。じゃあおもしろいとは何か。こちらはぜひ話題に取り上げたいことである。ただしどちらも主観によるものなので正解というものがない。つまらないことがおもしろい、これは矛盾だろうかと問うに、一例を挙げれば漱石の猫なんかが当てはまるでしょう。苦沙味先生のところにたむろする学者連中のなんかどうでもいいダベリ、あれがなぜかおもしろいじゃないですか。江戸からの落語の系譜なんだろうかと思うが。

 ここまで書いて何がいいたいかぜんぜんわからないんだけど。小説のことをようやく考え始めたってところか。

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