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松下幸之助と『経営の技法』#122

6/16 引き際

~引き際の見極めは難しい。熱心さが足りないと、いつまでもわからない。~

 事業経営をしていると、引くに引けないという状況に直面する。いわば死に直面するようなものだが、そういう状況下で、捨て身になって仕事をしていくうちに、引き際というものが初めてわかってくる。熱心に事業に取り組んでいれば、おのずとわかってくるが、熱心さが足りないと、いつまでたってもわからない。
 また、この見極めは会社が大きくなってくると、全体が見えないようになってくるから、さらに難しくなる。どうしても一部分だけ見て判断しがちになるから失敗しやすいし、失敗しても自分の失敗が全体に及ぼす影響が分かりにくいから、よけいたちが悪い。これは、国家経営にもあてはまることだと思うが、伝統のある大きな会社があっという間に倒産したり、国でさえも潰れてしまう危機に陥るのは、そういうことがあるからである。
 だから、やりたいものがたくさんあっても、自らの力なり、自分の立場、会社の立場というものを考えて、やってはならないものはやらないし、やめるものは断固としてやめる、ということが適時適切にできてはじめて、一人前の経営者といえるのではなかろうか。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

1.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 いつもと順番が逆ですが、まず、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資の世界では、これは損切りの問題です。投資は確率の世界ですから、失敗もあります。もちろん、失敗する確率を下げることが、投資の能力を高めることですが、地味に難しいのが、損切りする判断です。損していて、将来も回復しない、という状況を客観的に受け入れ、しかも、損を現実化させて、自分自身を傷つける、という判断・行動が、とても難しいのです。これを投資家である株主と経営者の関係で見た場合、松下幸之助氏に言わせると、経営者の資質として、この損切り(引き際)を決断できる能力が必要、ということです。
 実際、しんがり(「殿」と書く)が難しく、しんがりをやり遂げることで経営者(織田信長)に格別の信頼を得ることができる(豊臣秀吉、朝倉攻めの失敗)のは、洋の東西を問わず、昔から様々な形で証明されてきたことです。
 このような引き際の決断が重要であり、しかしとても難しいことを、現在の会社経営の問題として確認しましょう。
 まず、「引き際」の判断が必要なのは、その前に、失敗するかもしれないチャレンジの決断ができることを意味します。
 つまり、経営者としては、失敗を恐れずにチャレンジすることが求められています。利益はリスクなしに得られませんから、経営者には、リスクを取らない能力、つまり、失敗しない能力は、求められません(世間の一部に誤解がありますが)。失敗を恐れて何もチャレンジしない経営者は、投資家に対して「儲ける」ことを約束し、莫大な資産を託されているという立場に照らせば、明らかに怠慢です。そして、経営者個人の話ではなく、会社組織をそのチャレンジのために駆り立てることが、経営者に求められることなのです。
 失敗も覚悟しつつチャレンジする、失敗したときの引き際も素晴らしい、これが、経営者に求められる資質なのです。

2.内部統制(下の正三角形)の問題
 次に、社長が率いる会社内部の問題を考えましょう。
 すなわち、経営者が、そのミッションである「適切に」「儲ける」ことを実際に実行するのが、会社組織です。
 そのためには、①引き際以前の問題として、失敗する可能性も覚悟しつつ、そのリスクを取ってチャレンジできることが必要です。もちろん、チャレンジするかどうかの決断は経営者がしますが、博打やギャンブルではありません。デュープロセスの要請を満たし、経営判断の原則に適合するような、「やるだけのことはやった」「人事を尽くして天命を待つ」だけの下準備をしたうえで、つまりお膳立てをしたうえで、経営者が決断します。この「お膳立て」をできるような、会社内部の組織やプロセスを、経営者が整備しなければなりません。
 次に、②いよいよ本題の「引き際」です。
 この「引き際」の判断が難しいのは、チャレンジする判断と、「引き際」の判断を比較すれば明らかです。
 すなわち、チャレンジする判断の場合、その判断の時点でまだ結論が出ておらず、取るべきリスクといっても、抽象的で形に見えないものです。他方、「引き際」の判断は、現実化してしまった損失やリスクを取る判断であり、財務諸表に与えるインパクトがよりダイレクトになります。つまり、損失を受け入れる、という判断が、直ちに会社業績を悪化させるのです。
 したがって、形としては、①の判断を支える会社組織やプロセスと、②の判断を支える会社組織とプロセスは、一見すると同じものですが、特に②の場合、その妥当性が、先送りすることできず直ちに、しかも具体的な数字で示される損失を正当化できるものでなければなりません。会社の組織とプロセスが、それだけインパクトの大きい決断を支えられるだけの「強さ」を持つ必要があるのです。

3.おわりに
 松下幸之助氏は、経営者や管理職者の資質の問題として、「引き際」を論じていますが、難しいのは、それを会社組織として受け止めることです。個人の意識や責任で何とかなる問題ではないからです。しかも、その会社組織を作り上げるのが、経営者の能力であり、責任であるのです。
 そして、引き際を見極めるためにも、熱心さが重要、すなわち、「やるだけのことはやった」ということが重要であるとコメントしています。これは、「熱心さ」という経営者の気持ちの問題として説明していますが、組織論として見た場合には、「やるだけのことをやった」と言えるだけやり遂げる、という意味であり、デュープロセスや経営判断の原則そのものです。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。


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