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我が子に有名大学に入ってほしいと思っている親が、気づいていない大切なこと

「我が子に有名大学に入ってほしいですか?」
「もちろん」
「できれば」
この質問は「有名」がポイントです。

誰もが名前を知っていて、合格したら、親戚や近所の人から「すごいわねぇ」やら「賢いわねぇ」と言ってもらえる学校。
そんな大学に入ってほしいと願う親。

小学校は6年。
中学校も高校も3年。
大学は4年。
「仕事」は40年以上。

最も大切なことは、人生の大半を占める「仕事」をどうするかということ。

「有名大学に合格してほしい」という親は、ゴールを大学合格に置いてしまっているのではないでしょうか。

「どの学校に行くか」よりも「何の仕事をするか」です。
「何の仕事をするか」が前提で、そのために「どこの学校に行くか」が付随してくるという図式です。

小中高大は、社会人として生きていくための「学びの場」なのです。

理想的なのは、17歳くらいまでに「何の仕事をしたいのか」がわかること。高校卒業後に、勉強が分野別に分かれるからです。
高校3年生になった時に、自分の進むべき道が見えているか。
将来就きたい職業があるか。ないか。
本人のビジョンが明確なら、その時点で、進む方向に向かって、勉強もおおいにすることでしょう。
目的が見えていないなら、勉強に気持ちが入りません。

さて。
17歳で「将来就きたい職業」をみつけたとします。
その仕事に就くために、勉強しなければならない分野が判明します。
その分野に優れている学校に進むことが、最も望む進路になるのです。

それは一概に「有名」な大学であるとは言えません。
その分野で「有名」な教授が、「有名」な大学にいるとは限りません。

ある生徒は、高校時代に新書を読んで、私淑した著者が大学の教授だと知って、その学校を受験しました。偏差値で言えば、もっと上の学力を持っていたのですが…。高校の担任から勧められる超難関大学は眼中にありませんでした。

無事、合格した後は、その教授の授業を、単位に関係なくすべて受講しました。何事にも替えられない、勉強することが宝物になった四年間になりました。
卒業後は、その分野の職業に就くことができました。
教授とは交流が続きました。年に2回ほど、その研究テーマを肴に、呑みに行っているそうです。

高校時代の担任に言われるまま「もっと上」の大学に入っていたら…。皆から「すごいねぇ」と言われていたでしょう。

けれども、私淑する教授は私淑するだけ。紙の中の尊敬する人物なだけ。その分野で第一人者の教授に、実際に直接学ぶ機会など訪れることはなかったでしょう。彼は、自分の力で、学ぶ機会を手に入れた。
一生のテーマをみつけたのです。

例えば。
もし、美容師になりたければ、専門学校に進むのが適切です。
そんな時「我が子には有名大学に進学してほしい」という親の気持ちが負担になるのです。それは、こどもの望む進路を妨げることになりかねません。

最も大切なことは、「どの学校に行くか」よりも「何の仕事をするか」です。



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