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恋や愛は大切で、最も重要な神による導き、尊い心

自分は、人気が欲しくてここに何かを書いてきたわけじゃない。お金が欲しいから何かを頑張ってるわけでもない。

素直な心で、思うことをただひたすら書き記してきた。自分がここで何を語ろうが恥ずかしさなどない、そんな羞恥心など持ってはいない。善悪の知恵もない。あるのは思うがままに、あるがままに表現したありのままの心の言葉、それだけ。

知識を自慢したくて披露してきたわけじゃない、最も大切な何かに自分で気がつくためでもあり、誰かに気がついてほしいからでもあって、それは心の自由のためでもあった。

何かに属して執着し時間を無駄にする、自分ではない誰かの思想主義に染められ、操られて生きるなんて、そんな悲しいことはない。

そんなの全部洗い流したい、真っ白に洗浄したい、本来の自分で、本当の自分として生きたい、生きていてほしい、そう願っていた。


世の中は人間社会でもとても残酷で、生きるのに疲れる。でもこの社会に生きているから便利で不自由なく今日も明日も不安もなく生きていられる、お金があれば。

人間社会以外では弱肉強食の世界、弱ければ生きてはいけない。それは生命にとって過酷な試練で、生きるとは凄く辛く苦しいもの。


確かに、そんな過酷な世界で恋や愛なんて言ってはいられない。それよりも今日、明日生きるために何かをしなきゃいけない、生きるために食べなきゃいけない、身を守るために戦わなきゃいけない。

それでも、なぜ人は今を生きてるのか、何で自分は今ここに存在してるのか、それは生命にとって最も重要なもの、恋や愛があったから。お金だけで子孫繁栄するわけじゃない、人の心が人類を進化させ繁栄させてきた。

何よりも大切なこと、多くの現代人はそれを忘れてる。恋愛プロパガンダじゃない、それはマインドコントロールや洗脳なんかじゃない、間違いなく我々に最初から備わっていた自然なる心、感情、神が与えてくれた自然法、自然の摂理、宇宙の法則。


だから、それを否定したり揶揄したり馬鹿にしたり見下したり、鼻で笑ったり、拒絶したり色欲や金銭欲に逃げたりすることが、悪魔の心を持つ者による陰謀、洗脳、思考の恥辱。

だから少子化になる、ルッキズムで苦しめられる、普通や当たり前を押しつけられ羞恥心を植えつけられる。レッテルを貼られる、鬼のような欲望で色欲を金銭欲に錬金される。

純粋や純情を恥ずかしがる、素直な心でいられない、誰かに従い普通や当たり前の中で生きようとする。二次元のものを好きになり、その二次元で色欲、欲望を満たす。

自分の心を重んじて誰かの心を軽視して生きる。自分の殻の中に閉じ籠り浦島太郎になってしまう、気がついたら白髪の老人になる。

でも、白髪の老人でも恋はする、愛を持っている、終わりは始まりであり、この世界には誰1人として誰かを愛してはいけない人間なんかいない。

たった1人を愛するのに、知恵と承認欲求、ルッキズム、富や名誉、人気やステータスなんかそんなに重要だろうか。それは誰かを一途に愛したわけじゃない、自分のルッキズムや富や名誉、人気やステータスに恋をし愛しただけ。

自分のステータスのために、誰かを愛したふりをする。自分の色欲のために誰かを愛しているつもりになる。自分の金銭欲のために誰かを愛しているふりをする。

本当の恋や愛には他に必要なものなんかない、そこにあるのは自然発生的に生まれた美しい感情、純粋で純情な嘘偽りなき汚れなき想いだけ。それを持たない、持てない人が羨み、やっかみ、嫉妬して憎しむ。光を眩しいと目を塞ぐ、やがて怒りとなり混沌とした闇に呑み込まれた檻の中に閉じ込められる。


なぜ自分が恋や愛にこだわり続けるのかと言えば、それが人を幸せにする光だから、闇を照らすのは光だけで、光が無ければ永遠に闇の中にしかいられない。どんなに欲望を貪っても、地位と名誉、富とステータス、ルッキズムや人気の数字を手に入れても心は永遠に満たされることはない。

恋や愛そのものが光であって、それが全てを生み出す力となり天地を創造する最初の力となった。生命がその光を失えば、その生命はやがて絶滅する。

人類は人工知能になど支配されない、絶対に支配などできない、シンギュラリティは起こらない。人工知能は悪魔になれても、愛を持つ天使にはなれない、AIが愛を持つことは不可能、その愛は神が与えてくれたもの、人間自らが心を持たぬ獣の像に愛を吹き込んでやることなどできない。しかし人間は愛を持つ、だから人工知能になど未来永劫絶対に支配されることはない。

だから恋や愛は大切で、最も重要な神による導き。これなくして子孫繁栄などなし得ないし、少子化など人間社会にある様々な社会問題の解決はできない。欲望、色欲だけでは人類はいずれ滅びゆく、それは間違いなく、愛を失う人類などもはや人間ではない。そうなれば、確かに人工知能による支配も成り立つようになるのかもしれない。


恋や愛は恥ずかしいことじゃない、当たり前にある感情、それを恥ずかしがり否定することは神を否定するに等しい。だから自分はこんな話を堂々と語る、それによって誰がどう思おうが関係ない、自分に普通や当たり前、常識的な悪魔の囁き、羞恥心の攻撃など通用しない。


恋や愛、それが最も大切なこと、自分はそう思う。














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