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中学生の私が教室で孤独を感じなかった理由

「あなたたちは素晴らしい学年だと保護者の方から言っていただける」と学年主任である私の担任の先生は誇らしげに繰り返しよくそんなことを教壇で言っていた。実際に私の中学時代は、同級生にも先生にも恵まれてたなと思う。

私たちはひとクラス35人程度、1学年3クラスしかない学年だった。自分の両親の時代だと7クラスほどあったと聞く。7クラスもあれば名前も知らない、顔も思い出せないという同級生がいてもおかしくない。

私は、中学校の同級生においては漢字までは思い出せないけれど、フルネームと顔を全員今でも覚えている。なんでだろうと大人になってから考えてみたところ、先生のクラスマネージメントが抜かりなかったからだということに気がついた。

あの時理解できなかった先生の教室管理メソッドを大人になった今分析してみようと思う。


お弁当の時間で交流会開催


私の中学は給食はなく、お弁当だった。これも学校やクラスによると思うが、給食制度があった当時通っていた小学校では、周辺の机同士をくっつけて島を作って食べていたので、席替えがない限りは1ヶ月は同じメンバーで食事をする。そして、お弁当となると基本的には好きなもの同士で食べさせるのが一般的だと思う。実際、中学1年の頃の担任の先生のクラス制度はそうだった。私はグループに所属することが昔から嫌いだったので、お弁当の時間のこの作業は苦痛でしかなかった。

私の中学校はお弁当の時間は教室から出てはいけない決まりがあったので、他のクラスの子と食べたり、人目の付かない校内のどこかで食べることも許されていなかった。ドラマやアニメで憧れた屋上で購買のパンをかじる青春なんてものは、実は現実世界では一切存在していないのかもしれないとその頃から思っているし、がっかりした。

それに、教育者の立場としては、教員の目が届かないその時間に何か大変なことが起きてしまった場合に安全面の責任がとれないし、生徒がゴミをポイ捨てしたりなどの秩序が乱れる懸念もあるだろうなと想像するとエリアは教室内に収めたほうが断然いい。

私たちはお弁当のたびにくじを引かされた。くじだったか、先生がランダムに決めたか、詳しいことは忘れてしまったけど、毎度4、5人のグループを日替わりで組まされる。もちろん、男女の分け隔てはない。
そして、事前にクラス35人から集めた「お題」について話合いをする。人数的にも1人1つのお題だけで1ヶ月分のお題が集まるのでちょうどいい。

「話すことがない」と黙々と食べることもない。「みんなで話しなさい」と先生が言うし、グループのなかで誰かだけ話さないとかそういうこともない。

あとでどんな話になったか各グループで出た内容をクラスでシェアするから、グループ化されていても結局クラス全体アクティビティになる。

今でも忘れられないのは、当時小説家志望だったひつじちゃん(仮名)のお題。

「目玉焼きに何かけるか」

これが、おもしろいことにものすごく白熱した。
醤油派、マヨネーズ派、醤油マヨネーズミックス派、ケチャップ派、塩だけ派…

こんなにシンプルなお題で、クラスの一軍から1番の後ろの席で窓の外を眺めているような寡黙な奴らまでが楽しそうにあーだこーだと議論している。

ひつじちゃんは、物静かな生徒で、休み時間はいつも小説を書いていた。一度だけクラスの一軍男子から「なあ、いつも何書いてるん?読ましてや!」と声をかけられ、大きな声で小説を読み上げられていたのを見たことがあるのだけど、確か夕日の描写を書いた一文だったかと思う。
「すげぇ!!ひつじちゃんすげぇな!!なんなんこれ!俺こんなかっこいいの書かれへんわ!何この難しい言い方!?」と興奮しながら感心されていた。

普通は混じり合わないふたりのこういう些細な絡みも、お弁当のあの時間にひつじちゃんの名がちゃんとあがってみんなにお題が発表されたことで、普段はあまり目立たない彼女にもスポットライトがあたったのだと思う。

学年のひとりひとりにうまくスポットライトを向けた先生のストラテジーはそれだけに留まらない。

アナログなニュースレター購読


週毎に「学級通信」と月毎に「学年通信」というニュースレターが発行されていた。
学年主任の先生がA3の茶色い紙に表裏全面にコンピューターで文字を打ち込んだだけの通信なのだけど、クラス全員に配布したら、家に持って帰る前に先生が読み上げて、クラスのみんなで一緒に目を通した。

掲載されている内容は、主に終学活カードという1日の終わりに書かされる日記のようなもののコメントや、ゲストを学校に呼んで講演してもらった時に集めた感想文だったり、先生が修学旅行などの学校行事で発見した生徒のおもしろい一面を紹介するようなコーナーもあった。

今でも忘れられず当時印象的だったのが、3年間一度も同じクラスになったことがない女の子の感想文。

「私は、苦手だなと思う人がいても、その人のいいところを探すことにしています。」

13歳でこんな成熟したことが書ける同級生が同じ学年にいたことにびっくりした。すごく素敵な考え方だし、私はどちらかというと苦手な人は自分の人生に一切かかわらせないようにしたいと思っているほうなので、大人になってからも13歳の彼女のこの言葉をたびたび思い出す。

あの通信がなかったら、彼女のことを知らないままだったかもしれないし、こんな考え方に自力で至ることもできなかっただろうとも思う。
今はソーシャルメディアが普及して、中学生でもネットを利用することも当たり前になった時代だけど、こういう道徳的なコンテンツを若い子が自発的に見る方が珍しいとも思うし、自分が子を持つ親だったとして、子供が学校から持って帰ってくる通信に13歳の子がそんなことを書いていたことを知ったら、親目線でも感動すると思う。


歳を重ねて、仕事でも違う役職に就き、今までとはちがう視点で物事が見え始めた時に、自分が若かった時に大人がとっていた行動の意図や意味をやっと理解できてきた気がする。

私の人生は学生時代を終えて社会に出た後に出会った大人たちの振る舞いも含め、本当に尊敬できる人たちばかりに巡り逢えたなと感謝している。

20代まではすごく尖っていたし、今もその名残が拭えないでいるのも事実なんだけど、この先生の計らいは、大人たちにも響いていて、だから保護者から褒められる学年になれたんじゃないかなと思ったりした最近です。


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