『ボーンズ・アンド・オール』

現代の人々が抱える疎外感、関係性への渇望、抑圧される葛藤を、象徴的にカリバリズムとして表現している。KISSのレコードをかけて上機嫌に歌うリーは、鏡に映った自分を見て我に返る。1983年にリリースされたKISSの『地獄の回想』は、バンドメンバーがメイクを落として活動を始めた際のアルバムだという。爆弾のような喰人衝動を抱えて生きていること、そしてそれから逃れられないことを血のついた自身の素の顔を見てリーは青ざめる。ちなみに、彼のファッションはおそらく盗品がほとんどであり、髪を赤く染めていることもひとつの予防線として働いている(パンフレットに衣装関連の話がある)。

リーが殺して食べてしまったホモセクシャルの男性には家庭があった。1980年代のアメリカにおいて、大衆の同性愛への理解は乏しい。メインの登場人物ではないが、彼もまた抑圧、渇望、疎外感を持っていた人物のはずだ。ホモセクシャルの彼のように社会性を持っていようとも、マレンやリーのように社会の中で生きていくのが難しい者でも同種の苦しみが普遍的に存在している。ちなみに同監督作品『君の名前で僕を呼んで』のオリバーも、同性愛の事実を押し殺し、社会の中で生きていく道を選んでいる。

マレンに拒絶されたサリーは、他者という写し鏡を持たないため、一人称を自分の名前で呼んでしまう。同族を見つけ、少ない理解者だと思い、異常なまでの執着をみせるサリー。性質が同じだからといって、同じ考え方をするわけではない。社会的模範などを全てすっ飛ばして考えた時に、欲望に飲まれて相手を犯す、食べ尽くすことが、本当に自分を満たすことができるのか。合意の上のセックスだとしても、本当にひとつになることができるのか。

愛した相手とひとつになるために、体を重ねること以上に「愛して食べる」というのが、マレンとリーの答えであり、終着点だった。その先のことは想像の範疇を出ないが、ラストシーンで二人は一糸纏わぬありのままの姿で、確かに寄り添っていた(下半身は多分履いてた)。

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