川口 鉛筆 (Enpitsu Kawaguchi)

飲食関係の仕事をしながら、ふわっと物書きをしていましたが、2021年8月31日をもって…

川口 鉛筆 (Enpitsu Kawaguchi)

飲食関係の仕事をしながら、ふわっと物書きをしていましたが、2021年8月31日をもって退職。なので…なんでも言ったもん勝ちです。作家です。と、言いたいところですが、駄文家です。毎回1110文字で個人的見解を綴るエッセイ『名刺代わりの1110文字』全108回予定を連載中。

マガジン

  • エッセイ 〜名刺代わりの1110文字〜

    飲食関係の仕事をしながら物書きをしている、覆面作家・ナナシ(仮)のエッセイ。毎回1110文字で綴られる、日々思うこと、疑問や解釈。包み隠さぬ思想と言葉は、時に過激で、時に独特で、時に普通。読者に刺激を与えたり与えなかったり…与えられなかったりの個人的見解・全108回。 読むほどに紐解かれ、想像することでボンヤリと見えてくる人物像。 ナナシ(仮)とは、一体ナニモノなのか? 3割は真面目に、5割は頭カチカチ、2割でくだける。 現在、ナナシ(仮)は良さげなペンネームを募集中。

最近の記事

第53回・打ち上げ花火、感謝を打ち上げます

ある時、私は周囲から寄せられていた多くの期待を裏切ったことがある。 何をしたのかは具体的には書かないが、時間をかけてゆっくりと、少しずつ少しずつ積み重ねたモノが、片方では一気に露呈し、そして片方では一気に崩壊した。 露呈したのは私が繰り返していた愚行。 崩壊したのは、信用だった。 あの時の、周囲の人間が散っていくスピードは、凄まじいほど早く、まるで大きな音を立てて破裂し、四方八方に散って静かに消えていく、打ち上げ花火のようだった。 ドーンという音と共に、どことも表現出来

    • 第52回・本能としての嗅覚

      ということで、前回までは『ガラスビンと信用の話』を書いたが、実は少しずつ話の角度を変えていたのだが、第45回から同じテーマに基づいて書いていた。 そして今回、第52回にて、ある報告をしようと思う。 それは第46回でも、軽く触れたことだが、先日、会社に退職の意思を申し出してきた。 あの時は『辞めると思う』という、おそらくといった表現だったが、それが確定となった。 この記事は、公開よりもだいぶ前に先行して執筆しているので、現在は2021年6月30日なのだが、退職は8月末日とな

      • 第51回・天地無用の処置不要

        ガラスビンの収集を止めてしまったのは、その内の1本を割ってしまったからだったとは書いたと思うが、壊れてしまったモノは、もう2度と元には戻らない。 接着剤や金継ぎで、破片の断面同士を繋ぎ合わせ、元の姿のようには出来るが、それはシルエットが再現されただけであって、そこには確かに過去には無かった、傷跡が残る。 1度壊れてしまったガラスビンは、再び壊れやすい。 どうしたって、修復した箇所には、負荷がかかりやすく、今まで以上に繊細に、慎重に扱わなければ、擦り合わせた箇所は、また離れ

        • 第50回・するが先か、されるが先か

          数回に渡り、ビンを『集める』話を書いたので、ちょうど良いから、もうひとつ集める話を。 以前、職場の上司に「信用は大事。可能な限り集めろ。それが人間として自分を大きくさせ、より人生の幸せに繋がる」と言われたことがある。 今まで、多くの職場で、同じような『人生の教訓』的なことを言う人がいた。 こんな大量生産されたような、それっぽい言葉を、かなりのドヤ顔で伝えてくるのだが、誰ひとり尊敬も憧れることも出来なかったので、私にとっては、その言葉には何の力も宿っていなかった。 ある日

        第53回・打ち上げ花火、感謝を打ち上げます

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        • エッセイ 〜名刺代わりの1110文字〜
          53本

        記事

          第49回・割れ物注意

          前回、あれほど小さくて透明でロマンの詰まった小ビンの話を書いたのにも関わらず、『実は』といった感じで、今回は始めようと思う。 実は、小ビンの収集だが、集め始めて1年ほどで止めてしまっていた。 なので、大人になった今は、小ビンは集めていない。 もし、あのまま収集を続けていたら、きっととんでもない数になっていただろうし、もしかすると小ビン収集評論家として、世界中の小ビン収集家からリーダーと呼ばれていたかもしれないが、それは続けていたらの話。 幼少期に始めて、幼少期に止めてし

          第48回・メッセージ イン ア ボトル

          人生で初めて、自分で何かを選んで集めたモノは、コルクの蓋が付いた透明なビンだった。 キッカケは、確か父親が、出張のお土産で買ってきたキーホルダーに付いていた、小さなビン。中には砂のようなモノが入っていた。 コルクの頭の天辺のところに、丸い輪っかが付いたネジが刺さっていて、その輪っかからは短い紐が伸びており、そのキーホルダーのメインのパーツとなる部分に、オマケのように繋がっていた。 ただ私は、なぜだかそのオマケの部分の方が気に入ってしまった。 受け取ると、すぐさま小ビンのコ

          第48回・メッセージ イン ア ボトル

          第47回・イロトリドリノ世界を束ねましょう

          私には、小さい頃から収集癖がある。 日本のバブル経済絶頂期、欲しいモノが簡単に手に入った時代の中で育った、私や同世代の人間に刷り込まれてしまった、一種の現代病とも言っても良いのかもしれないが、だからと言って、その時代の日本に生きた全ての人間が、そうではないと、始めにハッキリと書いておこう。 それを言い訳のように書いたところで、今度は私が色々と勘違いと誤解を刷り込んでしまう結果にもなりかねない。 ほぼ冗談で書いたことで、ナンダカンダと言われても、対応が大変だし面倒だし…まぁ

          第47回・イロトリドリノ世界を束ねましょう

          第46回・勝手に進路発酵

          キャンピングカーの話。 アパレル時代の話。 そして現在の自分の話。 それらを前回は書いたが、今回も、それら全部の話の続きを書く。 だから、前回を読んでないのであれば、まずは前回を読んでおいた方が、より良いとは思う。 より良いとは思うが、そこは好きにやってくれて構わない。 なぜなら、あなたは、あなただから。 私だって好き勝手に書いているのだから、あなただって好き勝手にすれば良いと思う。 服を買うのか?買わないのか?は、販売員が決めることではないのと同じように、私が何を言

          第46回・勝手に進路発酵

          第45回・何かお探しですか?

          今日、キャンピングカーを見に行ってきた。 すぐに買う予定があるわけでは無いが、正直買えなくもない。 その代わりに、我が家の財はほぼほぼブッ飛ぶ。 間違って、ノリで買ってしまった後には、それに乗って、どこかへ出かけ、思い出を沢山作ることは無いだろう。 『キャンピングカーをギリなのに買った』という事実が思い出のピークとなり、それが唯一の思い出となるはずだ。 20年ほど経たなければ笑い話にも出来ない。 ローンを組めば良いのでは?と思われるかもしれないが、それで購入出来たとしても

          第45回・何かお探しですか?

          第44回・花火が消えたあと

          幼稚園の頃、お泊まり会があった。 読んで字の如く、幼稚園にみんなでお泊まりしましょうというイベントだ。 後日、先生は「この間のお泊まり会の思い出を、絵に描いてみましょう」と言ったので、私たち園児は、それぞれの思い出を画用紙にクレヨンで描いた。 周りの子たちは、かき氷を食べている絵を描いたり、花火をしている絵を描いていたりしていたが、その中に、1枚だけ画用紙全面が黒のクレヨンで塗り潰された絵があった。 その1枚が、私の思い出だ。 先生からも母親からも、「なんでこんな絵を描

          第44回・花火が消えたあと

          第43回・ふわりふわり

          最近、夫婦で散歩をすることが多くなった。 木に留まる野鳥を見上げたり、川を泳ぐ魚の影に指を差したり。 季節の花が咲いていたら足を止め、ただ一言「キレイだね」と言葉を交わし、名前も分からない木の実が生っていたら、実は小さい頃にその実を隠れて食べていたのだと、笑い合ったり。 子供の頃は、家から100mも離れれば冒険だった。 それが、成長するにつれ、自転車に乗れるようになり、車の運転免許も取り、電車や飛行機にも乗って…そうなる度に、移動範囲は広がり、所要時間は短くなった。 そ

          第43回・ふわりふわり

          第42回・汚い話

          今回は、汚い話だから、ちょっとキツイ。 お食事中、またはこれからという方は、控えた方が良いかもしれない。 これを読むベストなタイミングは、作者としては『寝る前』がベストだと、そう考えている。 寝落ちするくらいがちょうど良い。 翌日になって、「あれ?」と忘れてしまうくらいなんか最高だ。 何しろ後味の悪い話だろうから、頭に入った直後に寝てしまえば、自然とリセットされて、気分よく目覚めることが出来るだろう。 とにかく、私は忠告した。 興味本位で魔が刺して…なんてこともあるかも

          第41回・助け合いの精神でよろしく

          これだけ繰り返して、何本か書いてみると、自分でもなんとなく気付くことがある。 その感覚が気になって、改めて気持ちをリセットした上で、最初から読み直してみたが、やはり間違いではなさそうだ。 正直言って、文章だけで読んだら、つまらない。 発想や着目点は、面白いところもあるが、その表現の方法にユーモアが欠ける。 大部分のところは、思ったままに書いていたので、言葉選びも雑な感じがするし、特に比喩表現というか、例え話は唐突過ぎるので、解りにくい。 少々独特というかなんというか。

          第41回・助け合いの精神でよろしく

          第40回・地図でもコンパスでも知れない道

          休みの日に、なんとなくの思いつきで、夫婦で自宅の近所を走る公共バスに乗ってみた。 普段、仕事の日は原付で移動することがメインで、休日はひたすら歩いて散歩をしながら移動している。 自宅は、電車の駅からもすぐ近く。 今まで乗る理由も必要も無かったバス。 だから、乗ってみたくなったのだ。 予め乗る前にルールを決めた。 ①乗車は、それなりに沢山の方向に向かうバスが集う、駅前のロータリーから ②どこ行きのバスか、時刻なども事前に調べず、今から!と決めた瞬間から、次に来たバスに問答無

          第40回・地図でもコンパスでも知れない道

          第39回・特に意味の無い話

          同じ行為でも個人差があって、それぞれ行動は違う。 例えば、私のパートナーは、顔を上に向けて洗髪をするが、私は逆だ。 顔を下に向けて行う。 何度か「なぜ顔を上に向けて洗うのか」と聞いたが、その度に「前屈みになると、腰が痛くなる」とか「下を向くと、目にシャンプーが入りそう」とか「溺れそう」とか、それらしい理由が返ってはきたが、たぶんそれらはなんとなくであって、本当はただの習慣。 体に染み付いたクセなのだと思う。 実際、私は顔を下にしてシャンプーをしていても、目に入ることは滅多

          第39回・特に意味の無い話

          第38回・浮遊するトクベツ

          私がまだとても小さかった頃。 幼馴染みの7歳上のお兄ちゃんが「今夜はハレー彗星が観れるんだよ」と教えてくれた。 その時は、スイセイというモノが、いったい何なのか、全くもって理解出来ていなかったが、とにかく今回のタイミングを逃すと、次に地球から観れるのは何十年も先で、その時には私も老人になっているのだと聞き、これは何がなんでも観ておかなければならない、特別なモノなのではないかと、両親に駄々を捏ねた記憶がある。 そのお兄ちゃんは、この日のために望遠鏡を用意したのだと自慢げに言

          第38回・浮遊するトクベツ