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第43回・ふわりふわり

最近、夫婦で散歩をすることが多くなった。

木に留まる野鳥を見上げたり、川を泳ぐ魚の影に指を差したり。
季節の花が咲いていたら足を止め、ただ一言「キレイだね」と言葉を交わし、名前も分からない木の実が生っていたら、実は小さい頃にその実を隠れて食べていたのだと、笑い合ったり。

子供の頃は、家から100mも離れれば冒険だった。
それが、成長するにつれ、自転車に乗れるようになり、車の運転免許も取り、電車や飛行機にも乗って…そうなる度に、移動範囲は広がり、所要時間は短くなった。

それはそれで楽しくて、その先には新しい発見は沢山あったし、これからもあるだろうけど、それでも散歩は、とてもステキな手段のひとつだと、今は思っている。
移動出来る範囲は、確かに狭いかもしれないが、時間はゆっくりと流れ、身近な喜びや手元にある幸せを再認識させてくれるからだ。

私たちは結婚するまでに15年かかったが、付き合いは今年で19年目になる。
時の流れは、長いようで短くもあるし、短いようで長くも感じる。

2人で同じモノを見て、一緒に移動して。
そうやってずっと、やってきていたつもりだったのに、いつの間にか1人で見ている景色が多くなっていて、移動する楽しみよりも、移動した先の楽しみを目的にするようになっていた時期もあった。
そうなると、早く移動することを良しとし、時間を気にするが故に、時間に追われる。

また、人間は忘れてしまう生き物だ。
過去の『発見』は、一度知ってしまえば、それが経験や知識になり、なかなか喜びや驚きにはならず、幸せを感じにくくなる。
移動したその先にある、知らないことの発見は魅力的であるし、より大きな幸せを感じさせてくれるから、途中で見えているはずの景色や、身近な喜びや手元の幸せは、省略対象に見えてしまい、時には煩わしくも感じてしまう。

結婚はよく、『スタート』だとか『終わり』だとか、そういった風に言われることがあると思う。
しかし、結婚はスタートでも終わりでもない。

この世に生まれたことも、家族になることも、命を終えることも、全てのことが同じだと言えよう。

私は、そこに存在するモノ、そこに生き続けているモノなのではないかと思う。
つまりは、それは過程であり、移動する中で見えるはずの景色だ。

ずいぶんと遠くまで来た気もしていたが、実は常に『今』という時に、足を踏み下ろしているだけで、人生とは進まず戻らずのモノでも良いのかもしれない。

2人並んで散歩をしながら、そんなことを思った。

それぞれ見てきた今までの景色。
そこで見つけた小さくも大きな出会いと日常たちが、愛おしい。
そして、これからもふわりふわりと散歩をするように、大切な存在を見つめて生きたい。

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