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第49回・割れ物注意

前回、あれほど小さくて透明でロマンの詰まった小ビンの話を書いたのにも関わらず、『実は』といった感じで、今回は始めようと思う。

実は、小ビンの収集だが、集め始めて1年ほどで止めてしまっていた。
なので、大人になった今は、小ビンは集めていない。

もし、あのまま収集を続けていたら、きっととんでもない数になっていただろうし、もしかすると小ビン収集評論家として、世界中の小ビン収集家からリーダーと呼ばれていたかもしれないが、それは続けていたらの話。

幼少期に始めて、幼少期に止めてしまったので、もちろんのこと、そんな風には呼ばれていない。
むしろ、小ビンの収集愛を語る、エセ収集家としてニセモノと呼ばれてしまうかもしれない。

収集を止めてしまった理由。
それはある日突然だった。

おそらく、自分の中でも恐れていた思い、そして、なんとなく感じていた不安、その2つの小さな要素が、ひとつのアクシデントによって、大きく膨らみ、私の心の中を支配し、収集熱を冷ましてしまった。

20個ほど集めた時だったろうか。
コルクで栓をされた空の小さなビンを並べ、いつものように愛でながら悦に入った後、片付けている最中に、その内の1本を割ってしまったのだ。

他人から見たら、それはただのガラスのビンだったかもしれないが、当時の私にとっては、どれもが大事で、どれもが特別で、世界にひとつだけのかけがえのないモノ。
割れたその小ビンが、もう2度と手に入らないと感じた瞬間に、『これは続けられない』と思ってしまったのである。

いつかはそんな日が来るとは思っていた。
それが、常日頃から恐れていた思い。

そして、なんとなく感じていた不安というのは、『これ…たぶん切りが無いな』という、コレクションを続けることの覚悟の弱さ。
圧倒的な量に対して、どこか怯んでいたのだと思う。

ただ、あの時に収集を止めていて、良かったとも感じている。

大人になった今でも、自分には収集癖の気質があるな、と感じることが多いのだが、もしあの時に止めずに、小ビン収集評論家にまでなっていたら、おそらく集めることに対して、とてつもなく執着する人間になっていたかもしれないと、少し恐怖を感じるのだ。
その興味は小ビンだけに向けられるのではなく、世の中のありとあらゆるモノに向けられていたかもしれない。

現代の世の中には色んな誘惑があって、夥しい量の宣伝は浴びせられるし、コレクション魂を擽ぐる仕掛けも溢れている。
たぶん、それらの餌に、なんの疑いも無く食いついてしまう、そんな人間になっていた可能性もある。

あの時、小ビンはなぜ割れてしまったのか、原因は思い出せないが、ちょっと熱が強すぎたのかもしれない。
ガラスは熱に弱いのだから。

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