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第38回・浮遊するトクベツ

私がまだとても小さかった頃。
幼馴染みの7歳上のお兄ちゃんが「今夜はハレー彗星が観れるんだよ」と教えてくれた。

その時は、スイセイというモノが、いったい何なのか、全くもって理解出来ていなかったが、とにかく今回のタイミングを逃すと、次に地球から観れるのは何十年も先で、その時には私も老人になっているのだと聞き、これは何がなんでも観ておかなければならない、特別なモノなのではないかと、両親に駄々を捏ねた記憶がある。

そのお兄ちゃんは、この日のために望遠鏡を用意したのだと自慢げに言っていたが、どんなに強請っても、結局のところ、私は彗星を観るための望遠鏡すら見ることが出来なかった。

それ以降、私にとっては、宇宙にまつわるその類の話は、胸の中をワクワクさせ、ソワソワもさせる。
歳を重ねるほどに、なんとなく理解をし、知識も増えているはずだが、そうなればなるほどに、不可思議で神秘的で、より解らない存在になっているから、もどかしいやら、何だか擽ったいやら。

ただ、それでも宇宙関連のことを考えているのはやっぱり面白い。
あの日から、私はあの特別な感情に取り憑かれているのだと思う。

『宇宙』というイメージはいくらでも出来るが、行ったこともなければ、その場での感覚も体感したことの無いモノだと思うので、たぶん私の頭の中で浮遊する、想像のそれと比べると、実際はかけ離れ過ぎているのだろう。
そう思うと怖くもあり、考えたくもない時だってある。
それでも、いつの間にか考えてしまうのだから不思議だ。

解らないことは、いくらでもいつまでも想像していられる。
実際を知れば、理解を深め、またその先の世界の存在も知れるのかもしれないが、知ってしまえば、今度は勝手な想像が困難になる。
そう思うと、それはそれでまた怖い。

次にハレー彗星を観測出来るのは、今のところの予測だと2061年7月29日のようだ。
この情報でさえも、知っておくべき情報だったのか、知らない方が良かった情報なのか。

今は何でも知ろうと思えば知れる時代になったが、『知れない』ということも、けして悪いことではない。

2061年には、私は80歳になっている。
その時に、直接天を見上げることが可能なのかは分からないが、例え腰が曲がってしまって、地面しか観ることが出来なくても、それはそれで良いかもしれない。

35年前。
お兄ちゃんに「きのうはハレースイセイみれたの?」と聞いた。
お兄ちゃんは「観れたよ」と言ったが、それが本当かどうかは未だに分からない。

ただその応えの真相と真意は知らなくても良いことだ。
それを含め、私は徐々に近づく2061年までのあれやこれやを、ただただ想像して楽しみたい。
それもトクベツなのだから。

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