見出し画像

第40回・地図でもコンパスでも知れない道

休みの日に、なんとなくの思いつきで、夫婦で自宅の近所を走る公共バスに乗ってみた。

普段、仕事の日は原付で移動することがメインで、休日はひたすら歩いて散歩をしながら移動している。
自宅は、電車の駅からもすぐ近く。
今まで乗る理由も必要も無かったバス。
だから、乗ってみたくなったのだ。

予め乗る前にルールを決めた。
①乗車は、それなりに沢山の方向に向かうバスが集う、駅前のロータリーから
②どこ行きのバスか、時刻なども事前に調べず、今から!と決めた瞬間から、次に来たバスに問答無用で乗車する
③車内アナウンスを聴き、夫婦どちらかが気になったバス停留所があったら、早押しで『止まりますボタン』を押し、有無を言わさず降車する
④降車したバス停からは、地図も見ず、スマホなどから情報も収集せずに、勘のみで歩いて自宅を目指す
⑥途中、気になったお店などがあった場合も、ネットから情報を得ず、自分の感覚のみを信じる

知らない土地。
知らない景色。

直感で初めて降りたバス停の目の前に、パン屋さんがあったので、いきなりそこに入店。
店員さんにオススメを聞いたところ、即答で「ピロシキです」とのことだったので、そこは店の強めの推しを信じてみることにした。
確かに美味しそうだ。
その他にも何点か、あれやこれやと直感で選び、店をあとにして、その後はルール通りに気ままに歩く。

途中、緑豊かで素敵な公園を発見。
そこのベンチに座り、買ったばかりのパンを頬張った。

クロワッサンは驚くほどパリパリで、層がしっかりしている。
水分量の多いカンパーニュは、成形が丁寧で食感はモチモチ。
食パンはしっとりとして甘みがあり、手に持っただけで思わず笑みが溢れた。
丁寧に、そして大切に育てられた生地なのだと、頬張る度に実感する。

余計な情報を入れず、自分の感覚を信じた結果が、最高だった。
『何も知らない』ということは、知った時の喜びを何倍にも増幅させ、逆に『予め知っている』ということは、本来は鋭く敏感だったはずの感覚の先っぽを丸くして、鈍感にしてしまってる。
たぶん、そうなのだと思う。

唯一情報に頼った、推しのピロシキを堪能しながら考えた。
ピロシキは、もしかすると中国からロシアに、餃子が伝わったことで誕生したのかもしれない。
いや、逆にピロシキが先で、ロシアから中国に伝わって、餃子に姿を変えたのだろうか。

真相は、知ろうとすれば、すぐに解明出来るが、そんなことはどうでも良かった。
何も知らず、そんな想像をしながら、ただ噛み締めているたけで、楽しかった。

迷うことで充実した散歩となった帰り道。
道は繋がっている。
だから、いずれは辿り着く。
そしてそれは、全てのことに通ずるのだ。

知らないは、たぶん最強だ。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?