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百卑呂シ随筆

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#毎日note

座る人、偽警官

 朝、網膜剥離の経過観察で、土手道を歩いて眼科へ行った。  天気の良い中、どんよりした曲を聴きながら歩いていたら、土手の法面に知らないおじさんが座っている。スウェットを着て、釣りでもしているのかと思ったが、竿がない。法面の中腹に手ぶらで座って、ただ川を眺めている。川には鴨が泳いでいる。  歩き疲れて休むなら、何も中腹まで下りることはない。土手道の脇へ座ればいい。  わざわざ中途まで下って座るのなら、何か理由があるのに違いない。  何をしているのか気になる一方で、ことによるとこ

回転灯の怪

 たまにいつものルートを外れて、狭い小路を通って出勤する。  小路をしばらく行くと、腰高の支柱に黄色い回転灯が付いたのが五メートルぐらいの間隔で両サイドに並んだ区域がある。  一度回転灯を数えてみたら片側に二十個あった。だからその区域は百メートルぐらいある計算になる。  一体あの回転灯は何だろうかと思いながら過ごしていたけれど、たまたま同じ職場の八田君がその辺りに住んでいると知って、ある時その話を振ってみた。 「ああ、あの道ですか。回転灯がいっぱいあるでしょ?」 「そうだね

半月

 最初の就職先はチェーンのパスタ屋で、25の時に店長になった。まだ店のバイトと年が近かったから、大学の後輩に接するみたいな感覚で存外気楽だった。  ある時、新しく雇った女子高生に紅茶に入れるレモンをスライスさせた。ややあって、できましたと云うから見てみると、ほとんどが半月みたいな形になっている。まともに丸く切れたのがほとんどない。随分不器用な女子だと感心した。 「おい、まじかよ、丸く切ってくれよ」 「えー! 包丁が切れないんですよ」 「そういう問題じゃないだろう。何だ、こ

名前と顔の連鎖

 幼稚園の友達を自分は割と覚えている。  幼馴染のオサダ君に会った時にそんな話をしたら、彼はあんまり覚えていないらしい。幼稚園で何組だったかも覚えていないと云うから、自分と同じ黄組だと教えてやったら、「ふーん、そうなの?」と初めて聞くような感じだった。きっとまた忘れたろうと思う。  岩戸君も同じ黄組だった。あんまり一緒に遊んだ覚えはないけれど岩戸という名前は覚えている。顔は何だか岩石みたいだった。  同じ小学校にはいなかったようだから、どこかへ引っ越したのだろう。  24

ラーメン横綱、仮面ライダー

 妻が友人とコンサートに行っているから、晩は外で食べて帰るつもりで、何を食おうかと運転しながら考えた。  最初にフードコートが浮かんだけれど、これから行ってもすぐに蛍の光が流れてきそうだ。閉店を気にしながら食事したってつまらない。  昔勤めていたパスタ屋が隣町にできたらしいから行ってみようかと思ったが、金曜の晩におっさんが一人でパスタ屋に入るのも違和感がある。  それで結局、ラーメン横綱に決めた。  横綱は味も好きだし、店の感じも好きだ。看板も店内も無闇に明るくて、70年代の

琥珀色

 毎朝、自分で淹れた珈琲を水筒に詰めて職場へ持って行く。以前はそれを飲み終えた後にお茶を買ったりしていたが、今は麦茶を詰めた水筒を併せて持って行くようにした。  麦茶といえば、昔は夏の飲み物だった。冷蔵庫を開けて麦茶が入っていたら、夏が来たと実感したものだ。  今はカフェインレスの飲み物として都合がいいから、家では年中沸かしている。全体、夏しか飲んではいけないものでもない。  売っている麦茶は冷たいのが美味いけれど、家で沸かしたのは熱い方が美味い。だから寝る前に空になりかけ

ねぶた、サウナ

 居合の道場に通っていた頃、同じ門下生に阿川さんがいた。阿川さんは東北から来た人で、目がぎょろりとして青森のねぶたみたいな面立ちだった。  同い年だったが、自分の方が一年ぐらい先輩だったからレクチャーする機会が度々あった。阿川さんはその度にきちんと頭を下げて「ありがとうございました」と言う。何事もしっかり筋道を立てる、真面目な人物のように見受けられた。  ある時、阿川さんが夢に出てきた。  自分達は軍隊にいて、同じチームのメンバーだった。阿川さんは随分軍服が似合っていた。

爪に関する漫筆

 右手小指の爪が先の方で割れた。割れた部分は指の肉から剥がれている。痛くはないけれど、服に引っ掛かって気持ちが悪い。  それで割れたところを切ったら、短くなってまた割れた。また引っ掛かるからまた切った。だから右手小指の爪が左手よりも随分小さくなった。  あんまり小さくなってもいけないので、これ以上切るのは止そうと決めた。  子供の頃からずっと深爪だった。爪を噛んだりむしったりする癖はないが、先の白い部分が増えてくるとどうにも気になる。切らずにおこうと思っても、とうとう切って

内田百閒の日記、祖母、猫

 内田百閒全集の第七巻を図書館で借りてきた。  七巻の中身は日記で、初めに「大正六年七月二十八日この帳面を買うた」と書かれてあるのを見て、母方の祖母を思い出した。  祖母もノートを帳面と云っていた。もっとも母からそう聞いただけで、自分は実際に帳面と云っているのを聞いたことはない。だからこれは祖母にまつわる記憶でなく、母に関する記憶である。  老人ホームに入る前、祖母はよく胡町の朝日珈琲サロンで母と会って話していたそうだ。だから自分もあの店へ行くと祖母がどこかに座っていそうな気

パンクおばさん

 まだ独り身で大阪に住んでいた頃の話。  ある時、仕事を終えて帰ろうとしたら、車のルームミラーがない。あっ、と思って助手席を見たら、ミラーはそこに落ちていた。フロントガラスに貼り付けてあるタイプだったから、ボンドの劣化で剥がれたのだろう。  とりあえず車用の両面テープで貼り付けて走り出したけれど、三十秒で剥がれてきた。仕方がないので左手で支えながら帰った。随分運転しづらかったのを覚えている。  翌日は休みで、駐車場へ行ってアロンアルファで貼り付けようとしたが一向にくっつかな

駆け昇る

 小2の時、掃除の時間に同じ班の大木君が突然走り出し、学校裏の法面を随分高くまで駆け上がった。  ほとんど垂直に近く、高さも三メートルぐらいあったのを、てっぺんに手が届きそうな所まで行ったように思う。  みんな随分驚いて、「大木君、凄いのぉ!」「忍者みたいじゃ!」「スパイダーマンじゃ!」と口々に囃し立てた。  大木君はどちらかというとおとなしい、地味な少年だったから、そのギャップもあったろう。何だか凄いやつが同じクラスにいる、というような興奮にみんなが包まれた。  以来、そ

人間の目を持つ雉

 娘が小学校に上がったばかりの頃、畑の間を歩いて病院へ義父のお見舞いに行く途中で、緑の大きな鳥に出くわした。 「あ、雉だ」 「雉?」 「ほら、あの緑の鳥だよ」  指差してやると、じきにバサバサと飛び立った。  雉は国鳥という割にあんまり見かけない。動物園で見たのを別にすると、これが人生で二度目の遭遇である。  一度目は家の前で見たから、恐らくこの辺りに住んではいるのだろう。  娘にはこの雉との邂逅が随分印象深かったようで、愛鳥週間ポスターの宿題で雉を描くのだと、鉛筆描きの

無人駅

 二十年ほど前のこと、案件の入札で或る自治体へ行った。随分な山奥で、電車で二時間ぐらいかかったように思う。  入札自体はほんの20分ほどで終わった。結局落札はできなかったから後は何の用もない。街で五平餅を食って、少し見物もして帰りの電車に乗った。  再び山の中をごとごと走って、しばらくすると小さな駅で下ろされた。車掌が車内アナウンスで、ここで乗り換えろと云う。  自分の他に二十人ほどの乗客が下りて、電車はじきに元来た方へ引き返して行った。  プラットホームが一つあるきりの

怪鳥ばあさん

 ベランダを掃除していたら、隣家から怪鳥の鳴き声みたいな音が聞こえてきた。  庭に設置されたブランコだろうと、じきに見当がついたけれど、隣家の子もぼちぼち大きくなったろうに、まだあんな小さなブランコに乗るんだろうかと何だか心のうちで引っかかる。  それで壁の陰から覗いてみたら、みすぼらしい身なりの婆さんが座ってゆらゆらしていた。  婆さんは何だかボロボロの服を着て、ボサボサの白髪に手拭いを被っている。  隣家のおばさんは昭和の刑事ドラマで聴き込みを受けるスナックのママみたい