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恋愛小説

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秋の当たり前の朝

秋の当たり前の朝

 湿度が少なくなって、涼しい空気。でも日差しはきつい。10月の晴れはまぶしいけれど、気持ちがいい。

 朝起きて、カーテンと窓を開ける。風が通る。秋の風は乾いていてひんやりとしている。水を沸かして、コーヒーを淹れよう。ようやくホットコーヒーが飲みたくなる季節になってきた。コーヒーの香りがたちのぼる。休日の朝はのんびりゆったりできるから好きだ。

 「おはよう。」

 悠人が眠そうな顔で起きてくる。

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アフォガードラブ

アフォガードラブ

かわいい君を好きになるんじゃなかった。私はため息をついてしまう。

冬の夜ふけ。二人は小リスのように睦みあって、くっつきあって眠る。そんな時、私は綿菓子にくるまれているような気分になる。甘くて、溶けてしまいそうなピンク色の雲。

なぜ君は私を選んだのだろう。聞いたら、君はふわふわと笑って、それでもちゃんと答えてくれる。それは、わかっているんだ。

けれど、私は尋ねない。なんだか、聞いたら、魔

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水蜜桃

水蜜桃

 ある初夏の日の話。窓を開け放てば、風が吹き抜ける。夏がまだ生まれたての頃は、まばゆい日差しと神様の息吹のような風が共存することがある。それは奇跡のような瞬間。

 「おはよう。」
 あなたは、ぼさぼさ頭のまま眠そうな顔でダイニングキッチンにやってくる。

 「おはよう。」
 俺は、しっかり目覚めた顔でコーヒー豆を挽く。手動のコーヒーミルでゆっくりゆっくり。

 あなたは、頬杖をついて俺の手つきを

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桜の頃

桜の頃

 はらはら散る桜の花びら。私の意識は朦朧としている。現世か幻かわからない。もう私の命は風前の灯。この時期で良かった。かの人に一目会ってこの世を去りたいもの。何もなさず、何も残さなかった私の唯一の執着。

 かの人に会ったのは、物心ついた頃だった。私の家には桜の木があった。私は、その下で桜の花びらを集めていた。桜の毛氈。花びらは柔らかく、淡雪のよう。夢中になって拾っていた。さあっと吹く風。舞い上がる

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こんなに寒い夜の果て

こんなに寒い夜の果て

 冷たい風が吹き荒ぶ2月の夜。本当に春が来るのか疑いたくなる。毎年、この時期になると浮かぶ疑念。(とはいえ、いつのまにか蕾がほころび春になっているのだが。季節の不思議だ。)

 風の音が窓を叩く。冬将軍の最後のあがきだろうか。春の女神との最終決戦。

 愛しい人と抱き合うための夜だ。ソファやベッドで転がりあって、野生のにおいを撒き散らす。

 くすくす笑いや忍び笑い。潮の満ち引きを感じて体の伸び縮

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灰色の街

灰色の街

 あの人が住む街に降り立つ。2月の風景は灰色だ。空も地面も光も無彩色。着膨れした雀がちょんちょん跳ねるだけ。雀すら灰色がかっている。

 冷たい風が吹く。私はマフラーを巻き直して顔を半分隠す。ここは海のある街。海が見える遊歩道を歩く。海もやっぱり灰色。けれど2月の海は灰色であっても底には微かな光を宿す。春の兆しは密やかに隠れている。

 見上げれば灰色の空に白い影。かもめが飛んでいる。潮の香りがす

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寒い夜の話

寒い夜の話

 強い強い風の音が聞こえる。薄暗い部屋。アラジンヒーターの赤い灯。僕とみぞれはソファで2人ブランケットにくるまっている。2人の体温、2人の呼吸。世界には僕たちしかいないような錯覚をおこす。

 そうだったらいいのに。

 世界はあまりにも無情で残酷すぎる。

 頑張っても頑張っても報われないような、厚くて硬い壁を素手で叩いているような。

 手が裂けて血が滲んでいるのに、誰も気が付かない。自分でさ

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冬の恋

冬の恋

見上げるとミッドナイトブルーの空。もうそろそろ冬がやってくる。夜はしんと冷たくなる。秋から冬にかけて、夜は静寂と仲良くなる。

 ひとりが長くなってしまって、恋は遠い夢のように離れてしまった。それでもひとつやふたつは柔らかな思い出として残っている。(思い出したくないものはもっともっと。)

 寒くなり始めると思い出す。

 彼女は傷ついた顔でやって来た。そっとノックをして自分の部屋に滑り込んでくる

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桃とバゲット

桃とバゲット

 小麦の香り。香ばしい。バゲットを買うのはいつも決まったパン屋さん。シンプルで味わい深いお気に入りのバゲット。バゲットのきつね色はしあわせの色。

 梅雨が終わった。セミの鳴き声。目がくらむような日差し。午前中なのに殺人的な暑さだ。空は太陽が大声で叫んでいるよう。顔を上げただけで、汗が流れる。帽子を脱いで汗をふく。はやくおうちに帰ろう。

 バゲットを抱えなおし、てぽてぽ歩く。坂の多い街。見下ろせ

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明けの明星

明けの明星

 夜の果て。うっすらと朝の気配が漂う。佳央は目を覚ました。枕元のスマホを見ればまだ5時前だ。まだ眠れるなと思った。
 手を少し動かすとゆかりの髪に触れた。彼女はまだぐっすりと眠っている。佳央に背を向けて眠っている。佳央はゆかりの髪に顔を埋める。しなやかな手触りと桃の香りがする。夜の蠢くような営みを佳央は思いだす。動物の鳴き声、さざめくような波、中から炙られるような熱。佳央はゆかりの髪を撫で、自分の

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秋の夜に

秋の夜に

 秋が深まる。夜が長くなる。肩先が冷える。ウールのブランケットにくるまりながら、ベランダにいる。目の前には公園が見える。暗がり。虫の声。遠景には街の灯りがぼんやりと見える。夜空には半月。バター色の光。

 スマホが振動する。あの人からの電話。発光する画面。私の心も発酵する。

 「もしもし。」
 「もしもし。」

 磨りガラスのような声。スマホを通した声は少し無機質だ。

 「まだ仕事?」
 「今

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honey &spice

honey &spice

 曇り空。どんよりとした冬の空。薄暗い朝。起きたくない朝。

 私はぐずぐずとベッドに潜り込む。コーヒーの香りがする。龍太郎はもう起きたのだろう。きちんとした人。健やかな人。まばゆいなあと思う。それを美点と思うか、当てつけに思うかは、私次第。なんだか、人の好悪って、自分勝手だ。と思いながら、私はうつらうつらする。わがままに転がっているネコの気分は心地よい。

 紗栄子はまだ起きてこない。俺はのんび

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キスして

 冬の海は冷たい。風が吹く。ニット帽を深くかぶり直す。耳たぶが痛い。

 海はどんよりとした灰色だ。光を内包しているようには見えない。マットな灰色。

 ざらっとした紙をくしゃくしゃにしたような波が立っている。

 平日。冬の海。曇天の空。内海の砂浜。人は少ない。

 せいせいする。

 寂しいけれど、誰とも喋りたくない。

 自分勝手な思いでくさくさしている私には、ちょうどいい場所。

 右ポケ

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空蝉

空蝉

あの人は、帰っていった。夏の夜明けは早い。烏帽子を被り直したあの人。狩衣には私が調合した香りを燻らした。私の印。

 一日、香りがたちのぼるたびに私を思い出してくれるかしら。

 その時、愛しいと思うのか厭わしく思うのか。

 今は端境なのだろう。

 蜜月は過ぎた。とはいえまだ飽きてはいない。

 嫌いになってはいない。とはいえ冷めてはきている。

 次を探す程ではない。とはいえ誘いがあればのる

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