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ぼっち・ざ・ろっく!

 こんばんは!ひろやすです!
 最近はというと、もっぱら職場と家の往復で楽しいことないかなぁと思って、困った外国人の人たちを帰り道に探し、梅田の道案内して帰って運動不足を解消しようかなと甘い考えを張り巡らせています。
 皆さん、運動不足どうやって解消していますか?結構30歳越えてから考えだしたことです。
 さぁ、そんなしょうもない僕の最近はさておき、今日紹介するアニメはこちら!
 『ぼっち・ざ・ろっく!』まさか、こんなにハマると思わなかった。笑 中学生のとき一人でギターを弾き続けて、ギターヒーローという名して某動画サイトで有名になる一方、学校では全く友達のいなかった、天才ギタリスト、後藤一人(ぼっちちゃん)が高校でバンドを組んで有名になっていくという物語。有名なアーティスト『Asian Kung-Fu  Generation』が監修している作中曲『結束バンド』の楽曲も実物です。(絶対アニメで見るのがおすすめです!

 今日は『ひとりぼっち』の人たちに・・・

 さて、皆さんは一人になったことはありますか?
 一人暮らしをしている人はいますか?
 もしくは、孤独を感じたことはありますか?
 今も、孤独を感じて頑張っている人はいますか?
 凄いネガティブな問いをしているなと自分でもわかります。でも、僕はそんな人の気持ちが凄いわかります。孤独で頑張る人の気持ちが凄いわかるんです。僕はそんな人の力になりたい。と今では凄い思います。今日は、僕のエピソードを交えてそんな人たちの力になれるようなそんな記事を書いていこうかなと思います。

僕が感じた『一人ぼっち』

 僕は、本当に周りに恵まれて生きてきた人間だと思います。高校も、大学も実践課程も、ブラジルにいたときも、フランスにいたときも本当に僕を成長させてくれた諸先生方や、友達や先輩に恵まれたし、今まで生きれていた。
 ブラジルの時は頼れる相方もいたし、大学では夜中までトランプ片手に友達と朝まで語り合ったこともあった。高校の寮生活では、集団生活の大切さも教えてくれた。 多分、僕に出会ってくれた人たちが一人でも欠けたら今の僕はないんだろうなと思います。
でも、僕は3年くらい『孤独』という思いを捨てきれなかったことがあった。それは、フランスに行ってから。何も一人で暮らしていたわけでもありません。僕の近くにいてくれた導いてくださった頼れる先生方もいました。大切な友達もできました。
 僕は大教会の御用として、『一人の布教師』としてフランスに行ってこい!と大教会の方々に背中を押されました。若くて未熟な僕は、よしやってやろう!とハイ!といき、見知らぬ土地のフランスに行きました。大教会長さまからも、お言葉を頂いて、そのお言葉を胸に、俺は俺らしく向こうでも頑張ってやろうと思って意気込んでました。
 フランスでの生活では、僕のことを導いてくださる諸先生方、同僚がいました。しかし、この一つの言葉が自分に重くのしかかっていました。それが『一人の布教師』です。どんなにコミュニティを広めてみても、俺は一人でこれから生きていかなきゃならない。俺は『一人』で頑張らなきゃいけないんだ。責任感に似た、孤独感を捨てきれず、御用が終われば、ベッドの上で『俺は一人でやらなきゃ』が頭から離れなかったんです。

心の『ひとりぼっち』

 僕は心の『ひとりぼっち』だったんです。ボルドーで一人で生活し出した時も何も周りを頼ることなく、仕事しながら学校へいき、家に帰る。心の中は常に『ひとりぼっち』。今考えるとなんて下手くそな生き方してたんだろうと思いました。それは、布教師でもありません。ただの『心の中のひとりぼっち』なひろやすだったんです。おたすけが必要だったのは僕だったんだなぁと今では思います。
 そんな生活をしていってもいつか限界が来ます。あるとき、仕事がきっかけで、僕は人間不信に陥り、二週間くらい記憶を失いました。本当に何をしていたか覚えていません。周りに聞くところによると、普通に仕事も学校も行っていたらしいのですが、それも全く記憶にありません。記憶が戻ったのは、自分の部屋で血を流して倒れたところからです。
 そこから、僕は医者につれていかれ、半鬱病状態だったと言われました。医者からは責任感からくる心の病気だと診断されました。薬を飲んで、学校も仕事も行かずに、規則正しい生活をして、好きなことをして、散歩療法して、仲の良い友達と時間があるときに話しなさいと言われました。
 そんなになるまで、僕は『一人の布教師』という言葉に苦しみ、孤独と毎日戦ってたんだろうのか、僕は『布教師』という言葉に憧れを持っていたはずなのに、その言葉に苦しむ結果になりました。
 『一人の布教師』絶対悪い言葉ではないはずなのに、自分の心が悪く捉えすぎていたんです。

僕を救ってくれた先生

 療養中に、ある先生から電話がかかってきました。今でも忘れられません。朝ごはんを食べて、ベッドでひと休憩しているときです。
 プルルーープルルーー。僕はスマホに表示された名前を見て僕のことを心配してかけてきてくださっていると一瞬で勘付きました。
 『もしもし、植村?元気か?色々話を聞いて、心配だから電話をかけたよ。なんで言ってくれなかったの?』
 『すみません。心配かけたくなくて、そんな余裕もなくて。今は療養中で。』
 『謝るなよ。こっちが悪いんだ。なんで気づいてあげられなかったんだ。って思っていたんだよ。少し話そう。』
 僕のことをフランスに来た当初から育ててくれた先生からの電話でした。普段は厳しく、いろんなことを話してくださる先生だったから、そんな言葉が出てくるのが意外すぎて僕はびっくりしていました。しかし、僕のことをいつも気にかけてくださる温かい先生であるということは思っていました。その先生言われた言葉は、
『植村。僕は君に出会ってからたくさんのものを貰った。君が残してくれたものも僕は沢山預かっている。厳しいこと言っていたのは君と一緒に高め合える人だからと。君が辛い思いをしてたことに気づけなくてごめん。でも、僕は君と共に、一緒にこれからもやっていきたい。無理せずに、通りなさい。僕は君の近くにいるから。安心しなさい。なんでも言いなさい。』
 僕は、電話越しに枕で咽び泣きました。言いたいことを全てその先生に言いました。それは今までの自分の心遣いがなんて、ちっぽけだったんだと思うことと、全然今まで『ひとりぼっち』じゃなかったんだと気づけたこと。いつもそばにいてくださった方がすぐそばでずっと見守ってくださってたのです。泣きすぎて、僕の枕は涙で濡れ、僕の拳で殴られビリビリに引きちぎれていました。たすけられたんです。僕はその瞬間に僕の心は、おたすけされたんだと感じました。それと同時に父親のように僕のことを育ててくださっていたのです。たった30分の電話で僕の3年間の『心のひとりぼっち』の身上をたすけてくださったのです。これが本当の『布教師』の姿なんだと教えてくださいました。

その後の話・・・

 僕はその後、散歩治療と一緒に歩いて話をしてくれた当時のフランス人の彼女(今は友人です笑)のおかげもあって、無事に明るい心を取り戻しました。
 そんな人たちに囲まれて生きている自分がいるんだということに気づき、人を頼っていいんだ。ということにも気づきました。あのとき電話してくれた友人、先生方には本当に感謝しています。残りの半年は特に楽しくて、何をするにも勇んでさせてもらえるようになりました。
しかし、いつこのような想いを抱えるかわかりません。正直、心一つでまた同じ身上になることがあると思うからです。でも、今は僕は空を見上げて上を向いて歩くことを心がけています。空を見上げれば、必ずあなたを必要としている人がいる。なんならすぐ近くにいると思います。
僕のような人を見かけたら、あのとき僕をたすけてくれたあの『布教師』の先生のように、陽気ぐらしを伝えれる人になろうと。同じ空の元で、ユーラシア大陸の向こう側あの先生もきっと毎日勇んでいるんだろうな。と。

それゆへにゆめでなりともにをいがけ はやくしやんをしてくれるよふ (十四 7)

天理教教会本部 『おふでさき』


Dessiné par Hiroyasu
『ポコちゃん』

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