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書籍解説No.27「【中東大混迷を解く】サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」

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今回は「【中東大混迷を解く】サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」です。

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「サイクス=ピコ協定」

多くの人が、この用語を社会あるいは世界史の授業で耳にしたことがあると思います。
概要は以下で述べますが、「サイクス=ピコ協定」は「欧州列強による中東への不当な介入と分割の象徴(本文より引用)」として知られています。列強諸国がかつて恣意的に中東諸国を分割したものが現在の国境線の基となっており、それによっていくつもの分断や紛争が発生しました。そしてその多くは今なお続いており、対立の火種となっています。

今回の記事では「サイクス=ピコ協定」締結の歴史的背景、今なお残る問題点、秩序形成に向けた方策などを本書をもとにまとめていきます。


【オスマン帝国の隆盛と衰退】

「サイクス=ピコ協定」を語る前に、まずはオスマン帝国の歴史について極めて簡略ながらまとめていきます。

オスマン帝国の最盛期には、西は欧州のハンガリー、北アフリカのアルジェリア、そして東は中東イエメン・イラクにまで及び、巨大な版図を築き上げました。
このイスラーム(スンナ派)の大帝国では、最高権力者(皇帝)の地位たるスルタンが宗教的権威者であるカリフの地位を兼ねる体制をとり、イスラームの盟主として欧州及びキリスト教世界に大きな脅威を与えました。

このオスマン帝国は1299年、現在のトルコにあたる位置に小アジアの小君主国として誕生しました。

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(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Territorial_evolution_of_the_Ottoman_Empire)

1453年にビサンツ帝国を滅ぼし、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を都としてから国力は更に隆盛していきました。
そして、第10代スルタン(皇帝)であるスレイマン1世(1494~1566)の時代に帝国は最盛期を迎え、16世紀には西アジア、東欧、北アフリカの三大陸に跨がって領土を拡大していきました。

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(オスマン帝国最盛期に統治していた地域)

しかし、そのような広大な領土を統治し続けるのは容易なことではありません。
1566年にスレイマン1世が死去した後は、限界を超えた領土の拡大とその維持のため国庫は危機的状況が続き、国力は次第に衰退していきました。

1798年。ナポレオンのエジプト遠征によってオスマン帝国がエジプトの地から撤退すると、列強諸国は帝国の弱体化を知り、帝国辺境に侵出してきます。フランスの侵略、ポーランドやルーマニアの反乱、露土戦争などにより北アフリカ、黒海沿岸、バルカンを次々に失っていきます。

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(露土戦争(1877~1878)後の領地)

そして、第一次世界大戦ではドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国などと同盟を組み、イギリス・フランス・ロシアをはじめとする連合国と戦いました。
これにより、オスマン帝国は更に窮地へと陥ることになります。

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(第一次世界大戦前の領土)


【サイクス=ピコ協定の締結】

連合国側の軸であったイギリス・フランス・ロシアは、戦争も終わらないうちにオスマン帝国領の分割を定めた秘密協定を画策していました。これが「サイクス・ピコ協定」と呼ばれ、イギリスが現在のヨルダン、イラクを、フランスがシリア、レバノンを統治し、パレスチナは国際管理下に置くという内容でした。
イギリスはこのとき、モスル油田のあるクルド人地区をイラクに編入したことで、今に続くクルド人問題も生み出されたのです。

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(サイクス=ピコ協定による領土分割)
“Daily chart: Sykes-Picot 100 years on,” The Economist, 16 May 2016.


大戦では連合国側の侵攻に加え、調略によって起きたアラブ人の反乱がオスマン帝国を追い込み、敗北を重ねていきます。
そして1918年にスルタン(皇帝)のメフメト6世は密かに連合国側からの停戦に応じ、次いでドイツも降伏し、同盟国側は敗れました。


【セーヴル条約とローザンヌ条約】

第一次世界大戦は1918年10月に終結しました。
しかし、オスマン帝国領内では、ギリシャ人、アルメニア人、クルド人といった諸民族が蜂起し、独立国家や自治を求めて活動を活発化させていきました。それに目を付けた列強国や近隣諸国は、現地の同盟者として諸勢力に接近していきます。

そして、現地の諸勢力が進めた実行支配を、列強国や周辺諸国が認め、恒久化しようとして結ばれたのが「セーヴル条約(1920)」です。
この条約は、オスマン帝国の主要部を現地の多様な勢力が実力行使によって分割することを、列強が追認するというものでした。そして列強はそれぞれ現地の同盟勢力と結び、代理戦争を戦わせ、同地での影響力拡大を競っていきます。
更にはこの条約により、オスマン帝国領内のギリシャ人あるいはアルメニア人を多く含む土地は分離独立し、また近隣のギリシャ及びアルメニア本国への編入が認められました。

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(第一次世界大戦後の領土)

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(セーヴル条約によって定められた領土)


一連のセーヴル条約による領土分割は、オスマン帝国の支配勢力であるトルコ人民族主義感情を揺さぶり、国民は国民軍を指揮するムスタファ・ケマルに大きな期待を寄せていきました。
ムスタファ・ケマルを中心とした民族主義者たちはトルコの独立を目論み、独立戦争を戦いました。侵攻してきたギリシャ軍やアルメニア共和国軍を破って放逐し、フランス軍やソ連軍に対しても有利に戦闘を進め、条約締結に持ち込みました。
政府軍の台頭を受け、連合国側は最終的にそれを承認するに至り、「ローザンヌ条約(1923)」が締結されました。この条約は、現在のトルコ共和国の領土と国境をほぼ画定しています。


【妥当な線引きは可能か】

「サイクス=ピコ協定」が問題視される原因として挙げられる要因は、この線引きが外部の大国による恣意的なものであって、現地の民族・宗教・宗派の分布に沿ったものではない、という点です。

しかし、それらの分布に合致した国境線を引くことはそもそも不可能であることがいえるでしょう。一口に中東とはいっても、そこには多様なバックグラウンドを抱えた人々が居住しています。
イラクを例に挙げます。宗教的な点でみてみると、国内におけるイスラームの多数派を占めるシーア派、少数派に位置するスンナ派、そしてキリスト教をはじめとしたイスラーム以外の宗教が混在しています。更に北部ではクルド人が多数を占めています。彼らは必ずしもそうした宗教や民族ごとに集住しているわけではないことから、その分布に沿った線引きはまず不可能です。
また、内戦に揺れるシリアも同様に民族・宗教・宗派が混在しており、いかなる国境線の策定も少数派の問題をはらむことになります

もしも「現地の実情にあった完全なる国境線」を引くのであれば、民族・宗教・宗派といった要素ごとに人々を住み分けさせたうえで国境線を引き直すという大規模な人口移動を生じさせることになりますが、それは「民族浄化」として更なる人道上の危機をはらむことになりかねません。
かといって「国境線を引かずに多様な民族や宗教が混在する国家」としておくことも、多くの混乱や摩擦を生む可能性まではらんでいます。オスマン帝国時代の専制的な統治制度(帝国秩序やイスラーム法支配の原理)は、現代社会の価値規範に沿ったものとはいえません。また、シリアやかつてのイラクのように、多様な人々を完全に統制するために専制的・独裁的な手法を用いるリーダーが現れることも予想されます。

こうしたことから、「サイクス=ピコ協定」による領土分割にしても、帝国時代の専制的な支配にしても、いずれも問題をはらんでおり、現在起きている難民の流動や虐殺といった現象を招く側面をはらんでいます。


【まとめ】

多様な民族、宗教・宗派、言語が混在する中東諸国をまとめ上げてきた独裁政権は、ときのリーダーが強権的な手法を以て統治することで、国境を維持し、反政府及び武装集団の大規模な出現を阻止してきました。
しかし「アラブの春」を端に発して各国の独裁政権が立て続けに崩壊し、戦争・内戦によって多くの犠牲者を生み出し、大量の難民が流出しました。一方では未だ不完全ながら民主化が導入される一方で、もう一方では国家の崩壊が進んでいます。
強権的な統治が解除されていくなかで、中東諸国はどのような道を歩んでいくのでしょうか。

また、現在の中東はトルコ、サウジアラビア、イランなど地域大国が複数存在し、同地域での覇権を競っている状態です。欧米諸国はそれぞれの地域大国に肩入れする形で、それぞれの国が利権と影響力と威信をかけて競い合っています。
中東には今なお代理戦争の様相を呈した戦争が存在しており、無辜の市民が犠牲となっているのです。

また、現在起きているアルメニアとアゼルバイジャン間での軍事衝突にはロシアとトルコが大きく関与しています。
この二つの強国は歴史的にも争いを繰り返してきており、ナゴルノ=カラバフの帰属をめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの争い、そしてシリア内戦にも両国は大きな影響力を及ぼし、更に存在感を増しつつあります。

著者は、地域の秩序形成を図るためには、各国の政治・経済・社会体制の再編に加え、それを取り巻く地域大国間の均衡、そして外部の大国による協調が必須であるとしています。
これらを実行することがいかに困難であるかは歴史が証明しています。しかし、中近東諸国の国家の崩壊は難民やテロの波を生み出す契機となり、その外部に位置する国々の自由や民主主義を脅かしかねません。
今はそうした紛争や難民問題が遠い国の出来事とみえるかもしれませんが、その波が到達したとき、人口構成やあらゆる観念に大きな変化を及ぼすことになるかもしれません。

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