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【 一時帰国(8月1-20日) 】

【一転、日本へ】

表題の通り、約1年ぶりに一時帰国という形で日本へ戻ることに決めた。

ヨルダンに赴任してから、早いもので1年以上が経過した。
赴任当初は気候や言語はもちろん、宗教を含めた文化の違いや人付き合いにおける距離感など、日本とのギャップに適応することに苦労することもあったが、今やそれにも慣れてヨルダンでの生活スタイルにアジャストできている。

しかし、その一方でマンネリしてきている感覚もある。
1年が経過したとはいえ、まだ折り返し地点である。このままでは今の感覚をずるずる引きずってしまいかねない。

そういった思いから、赴任前は一時帰国・任国外旅行の制度を利用する予定はなかったが、先のことも考慮して一時帰国をすることに決めた。


6月末。一時帰国する旨を日本にいる母親に伝えた。

「帰ってくる時期は決めたのか?」

まったく決めていない。
一度戻ってリフレッシュできるならば、時期はいつでもいいと思っていた。

「だったら8月にして。お母さん(私の祖母)の喜寿祝いするから」

私の故郷は青森の片田舎で、家族や親戚同士の繋がりが比較的強い。喜寿祝いに合わせて、遠く離れた関東圏からも来る親戚もいるという。
無論、最も遠方の参加者はヨルダンなのだが。

こうした経緯から、帰国の時期は決まった。

(一時帰国を決めた大きな理由の1つ)



【フィールドワーク】

そして一時帰国中には、日本に滞在しているクルド人に関する現地調査を考えている。
首都圏のある地区には約2000人のクルド人が住んでおり、うちの半数は難民申請を行っているが、ほとんどが認められていない。
また、クルド人のなかには入管に長期間収容されたり、収容されては仮放免されるという不安定な生活を余儀なくされている人もいる。
生まれも育ちも東北の自分にとって縁もゆかりもない土地ではあるが、そうした人達の生の声を聞くため、実際に足を運んでみようと思う。


思い返すとこの一年、ほとんどヨルダンで観光らしい観光はしてなかったが、それ以上に数々の貴重な経験ができた。

涙ながらに故郷への帰還を訴え、未来の世代に思いを託したパレスチナ難民。
母国での長きに渡る紛争と、それに介入する大国への怒りを露にするシリア難民。
治安悪化に伴ってヨルダンへ逃れてきたにも関わらず、制度上不当な生活を余儀なくされているイラク難民。
多くの場所に行って、多くの人に出会い、多くの感情に触れてきた。

日本では馴染みの薄い「難民」というテーマについて、真剣に向き合う機会を得られたこと。これは自分にとって何にも代え難いものだった。
楽しくても苦しくても残り一年弱でここでの生活は終えるため、より多くの経験を積んで任期を終えたい。

そのためにも、この一時帰国を有意義なリフレッシュ期間に充てられたらと思う。

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