愛が溢れたら
今、とても愛に溢れていると思う。
月に一度、全人類を大事にしたいような慈愛に満ちた私が現れる。
自分と一緒にいる時間を楽しいと思ってくれているであろう、友人。慣れない環境にやってきて頑張っている姿がとても好印象な、新しい仲間。いつも連携してくれて私の小さな質問に答えてくれる、上司・先輩。見目が私の好みで、お近づきになれたらいいな、なんて思う人。
それぞれへの想いを分析する。
・友人に対しては、ずっと一緒にいたいと思っているしこれからもっと楽しい時間を共有したいと思っている。
・新しい仲間に対しては、支えたい。だけどしゃしゃり出ずに陰ながらと思っている。
・上司・先輩に対しては、本当に頭が上がらないしまだまだできない私に急くこともなくじっと根気よく教えてくださることに愛を感じている。
・見目が私の好みな人に対しては、まだこれがただの「好みだな〜」という感情なのか、付き合いたい!とかいう恋愛感情なのかはわからない。だけど「素敵だな」とは感じていることは確かだ。
こうして好きとか愛とか一口に言っても私でもこれだけの違いの「好き」と想いの種類がある。
私はそれぞれの人に対して違う形の愛を向けているし、向ける視線に乗せる思いだって違う。
かつて私は自分が相手を想う強さと返ってくる想いの強さは決して同じではないことに気づき、悩み苦しんでいた。
確かに、返ってこないように感じてしまうことは寂しいけど、私がそれぞれに対して違いを持つように相手だって違うのかもしれない。
それに私が月に一回こうして愛に溢れる期間があることを自覚したからこそ、友人が私といる時楽しそうにしてくれている、とか上司・先輩がじっと見守っていることを知った。
自分に愛が向けられていることを実感するから、新しくできた仲間や年下を見守りたいと思う余裕ができたのだろうと思う。
ゆくゆくはどちらかに重さがある想いではなくて、互いに大事にできるような相手に出会いたいと感じるのだろうと思う。
こうして愛は続いていく。
愛が溢れたが故の私の成長だろうと思う。
(Photo by nekonosara、Thanks!)
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