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言葉は相手にとって適切に。

最近のこと、

僕は次女から、ことあるごとに「なんで?」と聞かれることが増えた。

内容は咄嗟に答えられる簡単なものから、日常的に使っている言葉、慣習的なもの、概念的なものまで色々と。

「なんで?」っていう問いそのものは単純なものなのに、意外と即答するのが難しい。

そして、難しいと感じるたびに、僕が如何に日頃から頭を使って話していないかを認識させられる。

そんな次女の「なんで?」という問いに、僕はノータイムでカッコ良く答えることなんて殆どできない。

「そういうもんなんだ」

なんて渋い声を出してカッコつけてみても、次女は躊躇なく「なんで?」の追撃をかましてくる。

僕は即答できずに考え込んで、じゃあ考えたからといって明確な答えを返せるかといえば、それも怪しかったりする。

もう、ほんとうに情けない。

「〇〇はダメだよ」

「〇〇しようね」

「それは〇〇だよ」

何の気にもせずに放った言葉を大抵の大人なら躓くことなく超えてしまうけど、子どもは確実に躓いてしまう。

「え、なんで?」って。

大人なら自分でどうにかこうにか理解しようとするだろうし、常に「なんで?」と聞き返すことはないだろうけど、

次女は違う。

分からないことは分からない。

次女が「なんで」と聞く、つまり「分からない」というのだから、そこからの僕は伝わるような言葉を選んで話をしている。

そして、端から分からないだろうと推測される概念や言葉を含むことを伝える時には、伝わるような言葉遣いを心掛けている。

例えば、んーと、

「叩いたらダメ」ではなくて「ホッペ叩かれると痛いよね、嬉しくないよね、だから叩いちゃダメだよね」

みたいに。

(なんとなくイメージ伝わるよね?)

子ども相手なら殆どの大人はそういった言葉の配慮ができるだろうし、なんとか伝わるように試行錯誤、創意工夫をしてくれる。

なのにどうだ、

職場の新人職員に対して「〇〇でちゅね〜」という言葉遣いや配慮を見たことがない。

。。ふざけました、ごめんなさい。

毎年出てくる新社会人や新人、

そんな人たちに対して、あたかも共通認識を持っているかのように話している人を僕はよく見かける。

逆に、言葉の配慮を持って適切な言葉遣いをしている人を僕はあまり見たことがない。

社会人なのだから子ども扱いしろという訳ではないし、上下関係とか先輩後輩とか、そういったことじゃない。

僕たちの言葉は何かを伝えようとしているはずで、その言葉は伝える相手によって変えなければいけない。

相手が子どもだろうが大人だろうが、言葉は伝えることが第一義的な目的であって、カッコつけるは二の次だよね。

子どもに、「叩いたらダメ、ダメなものはダメだだ」なんて言葉でしか伝えていない人がいるとすれば、それは少し問題でしょ?

大人同士でも、まずは伝わるような配慮をするべきで、実はそれができない人が多い。

誰であっても言葉の配慮はしないとね。

そんなこんなで、次女から学ぶ、

「言葉は相手にとって適切に」

でした。

おしまい。

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