でもさ、エビが陸を這ってたらキモくない?
ゴキブリやセミはみんなの嫌われ者なのに、エビやシャコやカニがありがたがられるのが意味がわからん。あんなもの、たまたま水中生活に適してしまったセミみたいなもんだろう。しかも海の中って完全にあいつらのホームなのに、陸の人間がそれを喜んで食べる意味がわからん。じゃあもしセミがエビと全く同じ味で海で獲れるのだとしたら君たちはありがたがって食べるのかい??
陸上と水中、育ってきた環境が違ったばっかりに、明暗が分かれてしまった生物たちについて。
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まず、ゴキブリのキモさたる所以はその機動力にあると思う。マッハをわずかに超えるスピードで陸を這いまわり、見るもの全てを不快な気持ちにさせる。そして「ゴキブリブラウン」とも称される小汚い黒茶色のボディーとチョロチョロ動くその触覚が、それらを増長させる。少なくとも陸上では、誰も彼らには敵わない。
セミもそう。彼らの主戦場は空。制空権を取られると人間はセミにすら敵わない。陸に降りてきたら降りてきたでうるさいし、その甲殻やジャリっとした羽、うごめく下腹部、そしてカチャカチャ動く脚が私たちをぞわっとさせる。ついでに幼虫もキモい。
なのにだ、既に陸と空の覇権を握られているのに、あまつさえ愚かな人間は進んで制海権まで取られにいくのだ。裸一貫で対峙しなければならない水中でこそ、人間は無力だろうに。
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エビやシャコ、カニは確かに美味しい。海の幸なんて言われているくらいだし、高級食材の代名詞でもある。対照的に、セミやゴキブリは陸の幸とは呼ばれない。確かに彼らに「幸」を恵んでもらった覚えはない。
しかしエビやシャコ、カニの造形は、陸のゴキブリやセミのそれと何ら変わらないと思うのだ。硬い甲殻と複数の脚、どこか機械のような奇怪な造形、彼ら全員がもとは同じ仲間だといっても過言ではないほど、共通点は多い。そんな彼らの決定的な違いが、「味」なのである。
いや確かに、私はセミやゴキブリを食べたことがない。だから味を知らないし比較もできないので、勝手なことは言えない。巷では、アブラゼミはピーナッツバターの味がするとか、ゴキブリはエビの尻尾の味がするとか都市伝説をよく耳にする。そのへんは佐々木孫悟空にでも聞いてみりゃ早いのかもしれないが、現在少なくともセミ食やゴキブリ食が根付いていない時点で、味は大したことない(あるいは不快感が上回っている)というのが予想できる。
最近では食糧自給だコオロギ食だとかいって昆虫を食べやすいようにパウダー状にしたりと、「なんでも食ってやろう」といわんばかりの人間の創意工夫の努力が垣間見えるが、エビやカニみたいにそのままの姿まるごとを愛せない時点で、もう勝負はついてる。セミはエビにはなれない。
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しかし、エビやシャコ、加えてイカやタコも、仮に彼らが陸上の生物だったら、あなたは食べようと思うだろうか。
調理前の生きているエビを想像してほしい。あのエビが、近所の道路をゴキブリ並みのスピードでカサカサと這い回っていたらどう思うだろう。もしイカが自分の部屋の天井にへばりついていたらどう思うだろう。わぁ美味しそう、酢飯にでも乗っけようかしら、とはほとんどの人は思わないだろう。味は一級品だと知っていたとしても、それを捕まえて食卓に並べようとは思わないはずだ。
そういえば伊藤潤二の「ギョ」という作品で、甲殻類のような足がついた魚が陸に上がってきて地上を走り回るというシーンがある。改めて考えてみれば、魚が陸を這いまわっていたら相当気持ち悪い。魚類は甲殻類とはまた違った流線形のフォルムや硬い鱗を持つが、それが犬や猫くらいの大きさだとしたらやはりキモイ。海に帰ってほしい。
エビやシャコたちは大いに得している。水の中という、ある種人間が干渉できないステージにいるおかげで"生き物としての身近さ"がなくなり、元来の見た目のキモさを軽減できているのだ。これも「海」という特大級のブランドの後ろ盾があってこそである。セルフブランディング、マーケティングがいかに重要かということは全部エビやカニたちが教えてくれた。
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これは決して詭弁などではない。エビが食べられない人間代表として、私はこの言説を推していく。溺れないエビの検査報告書でした。
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