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子供はコスパが悪いから欲しくない。

コスパ、この言葉はあらゆるコンテンツでよく聞く。「子供はコスパが悪いから欲しくない」とYouTubeでもある若者がインタビューで語っていたし、私も身近な人から聞いた事を思い出す。

ある日の、息子の寝かしつけ。今日の一日を振り返りながら彼の寝かしつけをする。あぁ、今日は息子の機嫌が特に悪い日だった。食べたご飯をポイポイして下には落とすわ、私に投げるは‥散々だ。97%疲れた。あ、私の服と髪の毛にご飯粒がまだついてる、あれ?服のご飯粒はカピカピだ。もしかして洗濯では取れなかったかなり古いご飯粒??なんてこった、えらいこった。彼が寝たら後で取らないと。

心の中で独り言と対話しながら寝かしつけを行い、子はウトウトする。「あ、寝顔可愛い。私の好きな顔だ。」ぎゅっと密着する。この瞬間、今日は97%疲れて散々な日だったけど、息子の寝顔で全てが帳消し…

いや、確かにコスパ悪くないか?最後の寝顔で帳消しするために今日1日疲れまくるなんて(笑)


*


このセリフを初めて聞いたのは、前の職場の歯科医師だった。

とある昼食の時間。

スタッフ同士、互いの話をするのは昼休憩の楽しみだった。歯科助手、衛生士、勤務医、皆でテーブルを囲み、食事しながら和気あいあいとプライベートな深い話やくだらない話をしていた。 

勤務医のDrは30代前半で既婚者。

昼食にて子供の話を振られた際、「子供はコスパが悪いからいらない。今の所は妻とも意見が一致している」と話す彼。

皆、彼の話を興味深く聞き、なんで?と質問攻めしていた。私も当時は子を望んでなかったので、数年前のこの会話を鮮明に覚えてる。彼の話を頭の中で何度も何度も繰り返したからだ。

彼の考えは一貫していてこうだった。  

「僕はこの仕事とパートナーがいればそれでいい。妻とご飯を食べて美味しいね、綺麗な景色を見て綺麗だね、こんな簡単な会話をするだけで満足。日常に生命が欲しければお花と植物で十分。それ以上は望まない、つい多くを望んでしまうけど、1番難しい現状維持をあえて僕はしたい。」と語った。

そして皆で話を掘り下げる。コスパが悪いとは?ちょっと変わり者の彼は饒舌に語り続ける。

「子供が欲しくない理由としては、コスパが悪いのと、この時代に我が子を誕生させるのは可哀想という2つの思いがある。 コスパについては、僕は国立に行く頭が足りなくて両親に学費を相当な額を出してもらい、私立の歯学部を卒業して歯科医師になった。でも、子である僕はいつだって親と縁切ったり、音信不通にしたり裏切ったりする選択肢を持っている。例えば親が老人ホームや長期入院して僕が面会に一回も来なかったら、親からすると薄情な息子を生んでしまった、あんなに学費を〇千万かけたのに、コスパに見合ってないと思うでしょ?」とハハッと一人で自虐的に笑いながら語った。

「僕の場合は子を作ったら生じるあらゆるリスクを背負いたくない、その中でも子供が病気などで自立ができないかもしれないリスク。あとはいずれ年金制度も破綻するであろう、資本主義社会で、災害も多いこの国に自分の子供を存在させるのは可哀想だし胸が痛いから。」と言い、まだまだ語る。

「だけど子供を育ててる人の事は全力でリスペクトしている。僕ができることはなるべく多く稼ぎ、税金を多く納め、その税金で子育て支援が充実したらいいなと思う。だから仕事の腕は磨き続けたいし、身近で子の事で困ってる人がいればできる範囲で手を差し出したい」と彼は語った。

あまりの饒舌さに、スタッフは皆呆然としていた。

「よく考えてるやん、偉いよ、立派やわ、先生。そんな選択肢もいいね、私も先生の生き方リスペクトする」、「前半だけの話やとブチギレ案件だけどね。午後の診療でバキューム持ってと言われても無視するとこやったわ」「確かに!最後の1分巻き返ししたね」と皆で笑いながら話していた。

きっと彼がこの持論に到達するまで、いや、歯科医師になるまで、想像には及ばない様々な事があったのだと思う。

だけど、心が綺麗で優しい人だなと思った。

だって、私の身内(父、母、姉、義兄)に「なぜ子供を望んだか?」と質問すると、「え、だって子供って可愛し、いたら楽しいじゃん。なんで?って考えた事ない」と皆同じような返答が来たし、これが多数派だと思う。(いや、アンケートの規模狭すぎ。)

この世界情勢で~うんちくとか考えず、ただ欲しいから望むのだ。

でも彼は、現在の日本の経済状況などを客観視して、我が子を誕生させるのは胸が痛いと語る。

理屈っぽいけど、真逆で実はとんでもなく愛情深い人なのでは?と思った。

だけど、「コストパフォーマンス」と「我が子の存在」この言葉は互いに相反する言葉で、組み合わせること自体がナンセンスである。
(あ、冒頭で言ってしまった。)

だけど、なんとなく理解はできる。

子供はコスパが悪い=子育てにかける時間、労力、お金がリターンに見合わない。なぜなら親が子にする事は見返りを求めず、無条件であるから。そして事情により子が自立できなければその無条件は死ぬまで続く。(我が子から裏切られるパターンもあり)

というか、親は子に対して無条件であり子にリターンを求めたらいけない=そもそもコスパ自体を求めたらいけない。この構造自体がコスパが悪くない?と彼は言いたいのだろう。

ただ、子供×コスパをあえて組み合わせる事で反感を買い、言葉が独り歩きするが、そこに至るまでの過程がとても説得力があって、その背景の方がとても大切に思えた。

*

彼は今どうしているだろう? 

もし彼が父になる時が来たとしたら、コスパとかデメリットの理屈を本能的に超えた瞬間に子を望むのだろうか。この、理屈を越える本能というのは言葉では表現できないほどの何か。コスパ悪いの上等、リスク上等!なんでも受け入れる、かかってこいやー!!的な。

あるいは時には迷いながら、パートナーともすり合わせしながら、子を持たない事を貫いてるかもしれない。 

いや、迷う余地もなくパートナーとも満場一致で2人の生活を自由に、優雅に、満喫しているかもしれない。

ただ、このように客観的視点を持ってる彼は父になっても素晴らしい親になると思うし、彼の持論をブレずに貫いていても最高に幸せな人生を送っているだろう。 

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