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セックスの代わりになるものを追及してもいいと思う。

性事情って人に相談できないし、個人で抱えてしまいがちだ。

そりゃそうだ。だって、パートナーですら、自分の性の価値観や事情を話すのは難しいのだから…

3年前に男女交えた友人5人と食事中、歯科医師のAくんは誰もが羨む生活をしている。
ただ、妻だけEDでセックスレスに悩んでると気まずそうに皆に打ち明けた。

自分自身はちゃんと性欲はある。奥様とは性に関して触れてはいけない空気が漂っているらしく、ハグやキスなどのスキンシップも年単位でご無沙汰らしい。ただ妻の事は心の底から本当に愛してる。皆はパートナーと関係ある?と疑問を投げかけた。


 Aくんの話を聞いて、男性はゴールを意識しすぎる故に、勝手にプレッシャーをかけてしまっていると感じた。女性と男性は体の構造が違う。女性は構造上、受け身である。ただし、男性は行為のスタートラインつくにあたり、様々な要因が絡み合う。愛しているんだけど見慣れた女体だと興奮しないとか、疲れたとか、精神的不安や、それ以前に老の問題とか。

スタートラインに立てなかったらどうしよう


この不安がさらにプレッシャーをかけ悪循環に陥る。そして心の底には「妻にがっかりされたらどうしよう、最後までできなかったら…」ただ、〈妻にがっかりさせるかも〉の気持ちの裏には、致すからには妻の期待に答えたいとの気持ちがあるはずだ。

これって、妻にちゃんと愛はあると思うのだ。 

この問題に真剣に考えてみる。私が思うにはそれまでの過程と「ゴール」これは分けた方がいいと思う。ゴールができなくてもそれまでの過程で愛情表現はできるではないか。

言葉で伝える。食事を作る。相手に触れる。抱き合う。そのまま眠る。調子が良ければ、どこかの過程でその先に進めばいいではないか。リラックス、リラックス。無理でも大丈夫さ、だって冷静になって考えてほしい。セックスなんて行為自体はつまらなくて、滑稽で、大した事ないのだよ。その過程の方がずっと大切なように。互いの体温を感じながら眠る事の方がずっとずっと大切で尊いんだ。だからダメなら次に持ち越しさ。いいか?自分で勝手にプレッシャーはかけるなよ?リラックス、リラックス。さぁ、これでめでたくレス解消。


そんな訳にはいかないのだ。


さぁ、ここまで、夫視点で話を進めて来た。当たり前だが妻は人間である。

相手が人間である以上、心があるのだ。ここが人間関係の難しいところ。そして、勝負所。

夫の調子がいいからといって、「さぁどうぞ、ご自由に。」と、日頃からボディクリームを塗りたくって磨き上げた女体を披露する訳にはいかないのだ。我が軍にもプライドが存在する。妻はここまで散々悩んで来ただろう。自分の何がいけないのか?自問自答しただろう。時には夫にバレないように涙を流した夜もあっただろう。そしてもう相手に何かを求めるのは、期待するのは、心を満すのは、諦めただろう。

夫は性の発散は公認の店がある、まぁよくある話さ。

ただ妻のこのフラストレーションはどこへ向かえばいい?ペット?子供?推し活?仕事?食欲?物欲?SNSの承認欲求?

あの時の夫の発言、態度。女としてあの時みてもらえなかった、夫は忘れているだろう《あの時》この屈辱は忘れるもんか。体の構造は受け身だが、女性のプライドをへし折られ、諦めの境地に入ると相手との修復は難しい。そして、ここまでくればセックスなんて行為はなくても、むしろ快適で妻にとっても都合が良かったりするのだ。

男性は体が閉じたら中々開かない、女性は心が閉じたら中々開かないのだ。そしてこちらの方が深刻である。

 ただこの状況からかつての夫婦生活があった頃に戻るのは至難の技である。本題の前に一度理想論に入る。

理想はこの状況に陥るまでに、早い段階から互いの性の価値観についてもっとフランクに、ハードルを低く、ユーモアを交えながら、笑いながら、時にはポテトチップスを食べながら話す事が大切だと思う。性欲は三大欲求の1つだが、センシティブな話題なのは事実。デリケートだからこそ深刻な空気感を出さないようにするのが重要だ。なるべく沈黙を避ける。片方が重い空気を出すと、相手はこの話題を今後避けてしまうからだ。

三大欲求の一つなのに、長い結婚生活において、《腫れ物を扱うような話題》になるのは辛すぎる。

だからこそ、菓子をぼりぼり食べながら、「このポテチの新作うまっ!」なんて独り言をいいながら、相手とは対面ではなく横並びで、互いの目なんて見みずに、ポテチの袋を見ながら話すくらいがちょうどいいのだ。セックスの話は。

 人によって性の価値観が全く違う。極端だが性欲が全くない人もいる。お互いに性欲が無い為セックスは無しで、と両者が納得しているなら最高にHAPPYだと思う。ただ、現実はそうはいかない。

お互いある程度の性生活を望んでいれば、とてつもなく長い長い結婚生活において、個人が理想とする夫婦生活の価値観、互いの肉体的問題を定期的にフランクに話す事が大切だ。

「長い結婚生活のうちに、老化や病気などの肉体的問題で夫婦生活ができない期間も互いにあるだろうね。だけどその時は他で愛情表現を示したりして、調子が戻ったら夫婦生活も戻ったらいいね。」

そんな会話を早いうちから気負わずできたら素敵だ。ただ、これは割と新婚で妻の心が閉じる前だからこそできる話し合いである。

そして、話が戻る。数年、10年単位でご無沙汰で妻の心が完全に閉じた場合、修復は難しいだろう。砂漠のように枯れた心に今更水を与えても時はすでに遅しなのだ。女は一度閉じた心を開くことはない。これが女という生き物だからしょうがない。

この場合、妻が夫との性生活の再開を望んでいない場合、セックスの代わりになるものを追求していいと思うのだ。

夫婦はいずれレスになる。そのタイミングが20代、30代、40代。50代、60代…(これ位にしておこう)なのかは人によって違うだけ。夫婦の形も人それぞれなら、愛情表現の仕方も夫婦それぞれだろう。

セックス=愛情表現だと仮定する、妻はセックスはしたくないけど、その他のスキンシップが可能なら、ハグをするとか、夫と体温を感じながら眠るとか。セックスに近い愛情表現にするのは素敵だ。

だけどスキンシップすらもう不可能。ただ、それ以外は夫として、父親として、少しの愛と感謝がある。

この場合、セックスの代わり=何か性を感じるいやらしい事と決めつけなくていいと思うのだ。私たちの愛情表現、夫婦でその形を追求するのはどうだろうか? 

例えば、夫婦が楽しくおしゃべりをしながら過ごす食事の時間。

カラオケをする時間、ドラマや映画を見る時間、夫婦でショッピングする時間。

一緒の空間にいるが、何もしないで互いに本を読む、心地よい空気が漂うあの時間。

体調を崩した時、一生懸命看病してくれたあの時間。 

夫婦で楽しく互いの事を話し、美味しい物を食べる時間が、セックスに代わる最高の愛情表現って素敵すぎない?

心地よい空気感も長く寄り添ったお互いだから漂わせる事ができる、優しくて、穏やかで、尊い愛情表現だ。

互いのしみとシワを数えあった夫婦だからこそできる私たちの形である。

「いずれ来る夫婦生活の終わり。セックスに代わる、最高で、独創的な、愛情表現はどんや形にする?」ポテトチップスを食べながら、横並びで、こんな会話をするのも時には良いかもしれない。


良いか?沈黙が生まれたら、「この新作、うまっ!」か、ボリボリこれでもかっというほど
ポテチを噛んで沈黙を埋めるのだぞ。


大丈夫、あなたならきっとできるさ。



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