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ザイン? 創刊によせて

はじめまして、ザイン?です。

創刊によせて 佐藤より

 ことばと自分。対話はことばを介して成立していて、自分にしたって他人にしたって、人のことを知るために最も重要なツールの一つが、ことばを介したコミュニケーションですよね。でも、脳味噌から出ることばを丁寧に検討して形にすることや、それを誰かに届けることは時間も手間もかかってめんどくさいから、いつもなんとなく流れていっちゃって、自分にとって意味深いようなことばでも、しっかり手元に届くことや届けられることの方が少ないのが寂しいな、と思っています。概念的な話になっちゃってますが、手紙とかもそうだし、LINEだって、おしゃべりだっていいし、ドラマを見たり、授業で勉強したり、本を読んだりしてふと刺さったことでも同じで、流れていっちゃうんです。でもそれをちゃんと取っておくことができたら、誰かからもらったことばでも自分自身が発したことばでも、止まっちゃったときに振り返ってもう一回動けるようになる力をもらえる気がしました。実は、その場限りのものを記録するのはめんどくさいし野暮だろ、と思っていたんですが、八方塞がりで全部あきらめたくなったときに、最後はそういうものに助けられて、そこで考えを改めたら、ことばを手元に残す試みをいろいろやってみたくなりました。

 最近アウトプットの機会が増えたことも、ひとつ、それを具体的な形に残したいという大きなモチベーションになりました。大学に入ってから最近は翻訳について勉強していて、誰かの言葉を精一杯正確に変換して届けること、そういう責任感について考えたりします。去年からは詩を書かされる授業で、人のことばじゃなく、100%自分の発想から出発してことばを残すという新しい営みを見つけました。いままで「自分なんか文才ないし」と敬遠してたことだったけど、意外としっくりきて楽しかったのもあります。さっきもちょっと触れましたが、誰にも分かってもらえない自分のこと、誰にもうまく伝えられなかった自分のことも、違う形にして出力できるようになった気がして、なぜかすごく楽になりました。毎回は伝わらなくても、布石として思ってることを残せるようになって、もうひとりじゃなくなったなと安心した時に、こういう伝達手段を自分はずっと探していろいろ演劇とか、翻訳とか、デザインとか、手出してみてたんだな〜と腑に落ちました。

 なにか新しい界隈を外からみるだけじゃなく、自分から「そこに参加する」ことになるとき、なんか一個ハードルを感じませんか? 自分なんかがやる資格があるのか、始める準備は整っていて道具は揃っているのか、そこが気になって始められなかったり。ZINEについてもよくネットやインスタで見かけていて、自分でもいつか作ってみたいなあとぼんやり思っていました。そんなとき、いつも「ZINE」の字面だけでみていたので、心のなかで音読するときは「ザイン」になって、人と喋ってもつい「ザインが〜」と言いそうになって、「あジンだった」と急いで訂正していたんですね。「マガジンからきてるからジンだ」っていうのは分かってても、初手の印象が強すぎてなんとなく自分のなかではザインでした。ちょうど大学にはZINEづくりの授業もあって、そこで学生の方が作ったというZINEを読んでから、たまたまその話をスズキさんとしていたときに、ちょうど同じ「ZINEどうやって読む問題」が持ち上がって、「ザインだよね?」となり、「やっぱりみんなそう思ってるんだ〜おもしろ」になったのが、具体的なきっかけかもしれません。

 でも気になって調べてみると「ザイン」という響きにもたくさんの綴り方があって、たくさんの意味があって、それはそれでめっちゃ面白かったんです。こども、壁、母胎、サイン、存在、実在、デザインの「ザイン」、ひとつひとつが自分たちになんらかのつながりのある概念で、スズキさんとコンセプトを考えるにあたって、この「ザイン?」から連想してひとつのマインドマップを組み立てる「ふたりあそび」をしてみたんですが、そこから取っ掛かりになる要素がいっぱい広がりました。ちゃんと分かってないという、にわかイズムから発生した間違いだけど、いい言葉だな、とそのとき思いました。間違っちゃってるのも好きだし、意味がバラバラで決まらないのも好きだし、自分だけじゃなくて、意外といろんな人と共有されてる勘違いなのも好きです。こっからやってみたいことに、そして自分たちにふさわしい名前だと思います。よく分かってなさ、恐る恐るの気持ちとかをこめて念のため、はてなマークもつけておきましたよ?

 そういうわけで「ザイン?」づくり、自分はまだ準備足りてないから、ZINEつくる人になっちゃいけないと思ってたんです。しかしながら! そんなこと言ったって多分やってみないとわかんないし、迷ってる間もことばは逃げていくし、なにより「自分で本をつくってみたい」、「編集もプレゼンテーションもやってみたい」というおんなじ気持ちの人に出会えたことが、背中を押してくれた気がします。その辺の佐藤と鈴木ではじめたことですが、知らない世界に出会いに行って、知らなかったことをたくさん教えてもらいたいので、どうぞよろしく!

佐藤悠花 Haruka Sato

ザイン?発、ふたりあそびマインドマップ

創刊によせて スズキより

 こんにちは、スズキです。佐藤とふたりでZINEを作ることになりました。
「ザイン?」にまつわる話は大方佐藤が書いてくれたので(ALLそれなって感じ)、今回は「ことばと自分」について、何かごく個人的なお話をしていこうと思います。


自己顕示欲はそれなりにあるはずなのに、自己開示がいまいち苦手な人間のちいさなひとりごと。


 何かを考えること、そしてそれを書き留めることは昔から好きで、人に見せることはあまりなかったけれど、それでも「ことば」はずっと好きだったように思う。中学生の頃、心の拠り所だった恩田陸の『夜のピクニック』は何度も何度も読み返し、それこそ母親から譲り受けた文庫がボロボロに擦り切れるほど、ふと適当にページを開いて心を落ち着けるなんて夜も少なくなかった。高校生の頃には江國香織や小川洋子、大学生になってからは吉田篤弘や多和田葉子など、当時はただただ作品に流れる空気が何とも心地よく、その時々の気分に合わせた本を読んでいたのだろうが、今思えばおそらくは、ことば選びの巧みで好みの文章にずっと触れていたかった。

 薄く柔らかい紙の上に紡がれる、

 ちょんと触れただけでその絶妙な均衡を失うであろう繊細なことばや、

 全くの他者であるはずの自分になぜかそっと毛布を掛けてくれることば、

 また曇天のように複雑に濁った、けれどもなぜか嫌な感じのしない、
 不思議な空気の流れる文章たち。

 なぜ本を読むのかと聞かれたら、「居心地が良いから。」としか答えようのないくらい、ただそこで繰り広げられる数多の物語を支えることばの並びが、なんとも私を安心させてくれる。

 とはいえ、ものすごく本を読んできたかと問われると、全くもって自信はない。それこそ上に挙げた作家たちも、以前働いていた本屋の社員さんには「王道ですね」と一蹴されるような並びで、本当の「読書家」ーーというのが何を表すのかよくわからないけれどもし仮にいるとしてーー私は本当の読書家とはいえないだろう。

 でも多和田葉子の、自分ではまるで思いつかないような独特の言い回しに思わずニヤリとしたり(好きなものを受信すると自然と口角が上がる回路が組まれている)、吉田篤弘の、「ずるい…」とうなってしまうくらいに優しくて柔らかい、不思議で美しい世界に浸ったり、
自分に合ったペースで、自分なりの楽しみ方で、いつもことばに触れているような気がする。「読書家」とはいえないまでも「ことば好き」くらいは名乗ってみてもいいんじゃなかろうか。

 そして忘れてはならないのが、ラーメンズの存在。私を知る人物は、「はいはい、またラーメンズの話ね。」と思うに違いないが、しかしやはり自分自身に大きな影響を与えたことにも違いはない。といっても熱が入りすぎるのもまた興覚めの予感がするので、ほんの少しだけ。
 ラーメンズ、ひいては小林賢太郎が自身のやり方で魅せてくれた日本語のおもしろさが、私に創作欲をもたらしてくれた。おそらくラーメンズに出会っていなかったら、こんな行き当たりばったりの人生なんか選んでいない。もしかしたら今頃理系キャンパスで数学か何かを研究しているなんてこともありえたはずだ。
 小林賢太郎という存在が、創作の原動力として現在に繋がり、私自身を形作っている。これだけは声を大にして言える、唯一の確かなことなのだ。(もしほんの少しでも興味を持ってくださるならば、YouTubeを覗いてみてほしい。まずは「銀河鉄道の夜のような夜」から。)


 “ほんの少し”語ったところで。

 最近は何かと文章を書いている。この文章自体もそうだし、「書き出し縛りのザイン?」にはじまり、個人的な課題で制作したフリーマガジンも全て執筆した。苦痛は感じない。というか、楽しいだなんだと感じる以前に呼吸のように自然な行いだとでも言う方が正しいかもしれない。
 少し前までは常に何か翻訳していて、それはそれで楽しかった。翻訳として正しいかはさておき、自分のことばのリズムで、感覚で、誰かの織り成した物語を語り直すという行為が自分に向いているような気がした。そして最近怒涛の執筆期を迎え、ゼロから自分のリズムで何かを語るというのも案外できるものなのだなと、少し自分を見直してすらいる。
 何となく自分に才能がないことがわかるのが、バレるのが怖くて、あまり表立って何かを書くことは今までなかったけれど、ただ純粋に思考を垂れ流す手段としての文筆というのも悪くはないな、と思えていることが嬉しい。


 なんだか完全に私的で誰が興味をもつかもわからない真面目くさった話を延々としてしまったけれど、「ことば」と向き合う良いタイミングだったのだからと自己暗示をかけて。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
今後とも何卒お手柔らかによろしくどうぞ。

鈴木洛 Raku Suzuki

文=鈴木洛

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