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有的放矢ーー私の「向上心」、それは「日々の仕事量を減らすよう努める」こと

(1232字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)

【有的放矢】

ピンイン:yǒu dì fàng shǐ
意味:矢を放つ時は的をしっかり狙う。しっかりとした目的をもって行動・発言すること。

『私の「向上心」、それは「日々の仕事量を減らすよう努める」こと』

 果たして「向上心」は私にとって益なのか。
 
 
 常に現状に満足せず、新しい自分と出会うよう努力する。
 
 誰もが口を揃えて「素晴らしい」と言うこのような生き様は、果たして本当に暮らしを豊かにしてくれるのだろうか。
 
 
 時々そう疑ってしまうのは、何度も何度も自分が消されそうになったから。
 壊れそうな程、窒息しそうな程に追い込まれたから。
 
 
 生活の質を上げてくれるはずである「向上心」に。
 
 
 そこで考えてみた。
 
 私は「向上心」を理解するにあたって、何かを間違えたのではないか、と。
 
 
 そもそも「向上心」の「上」がどこを指しているのかでさえもしっかり考えたことがない。
 
 とにかく優等生ぶってひたすら自分を高めようとしてきたが、それはただ、周りに「上を目指した方が良い」と口を揃えて言われただけ。
 何となく、そうした方が良いだろうと思っただけ。
 
 
 受動的で盲目な頑張り。
 
 こんな「上」の行き先でさえが曖昧な奮闘は、果たして「向上心」と言えるのだろうか。
 
 
 明確な目標が無いまま「向上」にこだわり続けた結果、私に残ったのは不安と恐怖だけだった。
 いつも何かに追いかけられているような気がして、不満ばかりが募り右往左往するようになった。
 
 どこにいても、随時「ここじゃないどこか」へ逃げようとしていた。
 
 いつだって居場所が無かった。放浪を続けていた。

 
 
 だから一旦急ぐ足を止め、冷静に見つめ直してみた。
 
 私にとっての「上」とは何だろうと。
 
 
 もし、向上心は本当に
 
 「私にとって益で、生活の質を上げてくれる」
 
存在であるとしたら。
 
 
 そうだとしたら、「上」とは即ち、「私にとっての心地よい生き方」そのものになるはずだ。
 
 つまり何も他人が言うような
「もっと多く!もっと強く!もっと優秀に!」
が「上」じゃなくても良いということ。
 
 
 「今、ここにある幸せを噛みしめたい」が「上」であっても良いし、
 
 「人生を楽しみ、無理せずに生きていきたい」が「上」であっても良いということだ。
 
 
 そして、その理想となる「上」に向かって頑張ることが「向上心」なのであれば、自ずと
 
 「目の前の生活に感謝して過ごすよう意識する」ことや、
 「趣味の時間、休憩時間を捻出する」ことが「向上心」となる。
 
 
 なんだ、「向上心」って、結局ただの手段に過ぎなかったのだ
 
 それ自体を目的と化していたから、どんどん迷子になっていったのだ。
 
 
 さて、ここでもう一度私にとっての「上」を考えてみる。
 
 
 ふむ……取り敢えずは「小さな幸せをじっくり感じ取れる、そんな余裕がある心を常に持っていたい」かな?
 
 なるほど。
 ということは、「毎日のスケジュールが慌ただし過ぎてはいけない」ということだ。
 
 
 よってーー
 
・日々の仕事量を減らすよう努める
・定期的に「何もしない日」を作り出す

 
などが私の「向上心」になる。
 
 
 これで目標も手段も明確になった。
 
 さあさあ、これから頑張るぞ!

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