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「大人になること」って、どうなること?

「大人になる」ことって、具体的にはどういう事だろう?

長いものに巻かれること?聞き分けが良くなること?衝突を避けること?上の人のご機嫌を指標にすること?果たして「大人になること」と、「世渡り上手」・「要領が良い」・「聞きわけが良い」とはイコールなのだろうか?

イコールだと思うことはとても簡単。日本の教育や、協調性、空気を読む、「何を言うかよりも誰が言うかを重視する」文化、「お上に任せておけば幸せに生きられる」「お上やTVがいうことは全て正しい」にという価値観に呑まれてさえいれば、自然とその様になる。

そして多くの組織では、いまだにそれを求める。だから会社の価値観に染めやすい、無色透明の若者をターゲットにした新卒一括採用を日本では長年行ってきた経緯がある。

でもその「わきまえる」「協調性」の名の下に「従順で自分の頭でモノを考えないことが良いことである」という呪縛が、多くの人にとってストレスを与えていたりもする。勿論、私にとっても。

自分はどうしたい?と自分の気持ちに問いかけること。
自分を粗末に扱う環境から逃げること。
自分や周り、それぞれの可能性を信じ、自分は自分の課題に、そして相手の反応は相手の課題として一線を引き、自分の課題に集中すること。
遭遇した情報や刺激に対して「本当かな?」「根拠は?」と疑ってみる。

昨日、あるきっかけがあって私はその事について、頭で分かっていても、まだまだそれが身体に染み込み、無意識でも体が動くようになるまでには至ってないんだな、と改めて気付くと共に、自分が粗末に扱われていると気づいていても、色々理由をつけてそこからすぐには逃げられない自分の感覚の鈍麻をまざまざと突きつけられた気がした。

克服したつもりだったけど、実はまだまだしっかりガッチリ縛られた、私の中の認知の歪み。あぁ、修正したいなー。

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