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跳び箱を跳んだら、人生が変わった。

中学生の頃、アンケートで”将来の夢”を聞かれたことがある。

しばらく考えて、こう書いた。

「特にありません」

僕は、自分にウソをついた。


中学生の頃の僕は、少し変わった子だったと思う。

当時僕が持っていた携帯電話のデータフォルダは、色んな人が跳び箱を跳ぶ動画で埋め尽くされていた。
一つ一つの動画に「○○(人の名前)_20段」という名前をつけて、フォルダ分けして見やすいように整理する徹底ぶりだった。

ケイン・コスギ、池谷直樹…当時、スポーツ系のテレビ特番に出ていた人たち。彼らのようになって、高い跳び箱を跳ぶこと。
それが僕の本当の夢だった。

でも、僕はそれが人からあまり理解されない夢だと理解していた。
スポーツ選手になりたい、先生になりたい、世界一周したい…それが普通の夢で。そういう答えを書いておけば先生や友達から変な目で見られないし、周囲から浮かずに済む。


それから僕は、跳び箱から少し距離を置いた。
テレビでやっていたら必ず録画して、何度も繰り返し観直すほど好きではあったけど。
自ら跳び箱を跳ぼう、という気持ちは少しずつ薄れていった。

やがて、夢が映画やドラマを撮る人になることに変わって。
大学時代は作品を作ることに熱中した。

でも、その夢はあっという間に途切れて。
僕は普通の会社に就職して、普通のサラリーマンになった。


そこからの僕は、なんだかふわふわと生きていた気がする。
社会人になってからは新しい友達もできず、遊ぶのは学生の頃つるんでいた奴ばかり。

思い出話はすごく楽しいけど、楽しいのは話している時だけで。その時間が終わってしまうと、楽しくない日常に戻ってしまう。
それがボディブローのように、僕の心を蝕んでいった。

マッチングアプリや街コンを使って、女の子と遊んでみた。
そこそこ楽しかったけど、自分の本当にやりたいことはこれじゃない。
いつも、どこかにそんな気持ちを抱えていて。

僕は、いつの間にか29歳になっていた。


そんなある日、ネットニュースでこんな場所を見つけた。

そう。都内から行ける場所でテレビで使われているのに近い規格の跳び箱を跳べる施設ができたというのだ。

跳んでみたいな。
そんな気持ちに突き動かされるまで、時間はかからなかった。


久々挑んだ跳び箱は、僕が思っているより高くて。
初挑戦は14段で終わった。

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跳べているのだけど、僕の身体は僕が思っているより衰えていた。
14段の着地で両足を攣って、15段以上に挑戦することができなかったのだ。
大人になって、人に担がれて移動したのは初めてだった。
我ながら情けない。

スタッフの人に、運動神経の良い人の平均が14、15段程度と聞いた。
僕は悔しかった。自分の身体の衰えと、好きなことで結果を残せなかったことに。

それから半年後。
30歳になった僕は、15段を跳ぶことに成功した。

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恥ずかしながら、アラサーになって肉体面の成長を実感したのは初めてだったかもしれない。
まだやれる。そう思えた瞬間だった。


そして、32歳の今。
僕は記録を18段まで伸ばし、今年中に20段を跳ぶことを狙っている。

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下が写ってないから説得力がないのはご愛嬌。
僕は、子供の頃は人に語れなかった夢に今挑んでいるのだ。
おかげさまで、毎日のトレーニングが楽しい。


跳び箱を跳ぶことで、人間関係も変わった。
大人になっても子供の心を忘れない、肉体の限界に挑む友達ができた。
最近ではその人たちが行なっているイベントにも呼ばれたりして、充実した休日を過ごせている。

跳び箱を跳び始めて、僕の人生は明らかに変わったのだ。


皆さんは、幼い頃どんな夢を見ていたでしょうか。
スポーツ選手、アイドル、ミュージシャン。
先生やお医者さん、お嫁さんなんて人が多いのかもしれない。

でも、中には人とは全然違う夢を持った人もいると思う。
世界一深い穴を掘りたいとか、ティッシュ引き抜きのギネス記録を狙いたいとか。
でも、そういうのって本気で思っていたとしても中々周りには言いづらいものだと思う。

けど、今の僕はこう思う。
夢の内容はさして重要じゃない。
それが自分の本当にやりたいことで、なおかつ実際にやってみることが大事なんだ。

夢は自分の人生をジャンプアップさせてくれるロイター板みたいなものなんだと、今なら思える。

せっかくの人生、どんな夢であっても夢で終わらせずに一回やってみればいいと思う。

もしかしたら、人生が思いもよらないプラスの方向に転がっていくかもしれない。
そう、僕のように。

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