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マリーはなぜ泣く⑱~Comin' Home Baby~

前回のあらすじ:スランプを乗り越えた大籠包は、毎週新しいネタを持ってきた。彼の意欲的な創作の裏には、「好きな女を笑かしたい」という思いがあった。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/m1008d63186fe

「彼女笑ってたか?」舞台の袖で大籠包に聞いた。
「いや、笑ってない」
「この前のネタのことはなんか言ってたか?」
「まあまあ、良かったよって」
「でも笑ってなかったんやろ?」
「笑ってない」
「難しいな」
「難しい」

 たったひとりの女を笑わせたいがために演じるネタだったが、彼女はなかなか笑わなかった。皮肉なもので、他の人間には抜群にウケた。俺たちは、面白いコンビがいると一軍にいる人間たちにも注目されるようになっていた。

 毎年八月に一次予選が行われ、十二月に決勝戦がテレビで生放送される漫才のグランプリがある。出場条件がほぼ無いため、プロ、アマ問わず多数の芸人が出場する。門戸は広いが、決勝に出場するまでに、名の売れた芸人も混ざっているなか五回も勝ち上がらねばならなかった。一回戦で敗退しても当たり前で、四回戦目の準々決勝まで勝ち進めば、俺たちみたいな末端の芸人の間では一生自慢できる。満里と出会った翌年、まだ勢いがあった頃に俺たちは一度だけそこまで勝ち上がった。その時以来、実に八年ぶりに俺たちは準々決勝まで勝ち上がった。

 ここまで来れば上等だという思いがあった俺に向って、大籠包は思いも掛けないことを言った。

「新しいネタが出来たんや。明後日の四回戦でそれをやりたい」
「正気か?」ネタを作ればそれで終わりじゃない。そこからが始まりだ。今日明日でネタを覚え、人前で披露できる完成度まで持って行けるとは思えなかった。

「朝子が見に来るんや。今までのネタで笑ったことないねんから、新しいネタぶつけるしかないやろう」結婚して骨のなくなった俺や先代の小籠包と違い、大籠包はひとつの恋で才能を覚醒させつつあるようだった。

「夜の女のクセに朝子なんて、けったいな名前やな」俺は「分かった」という代わりに、そう答えた。


 例えるならジャズのアドリブ演奏だった。スリリングで緊張感があった。全てを理解するには、見る側にもある程度の目を要求する舞台になったが、その熱は相手が素人でも伝わった。爆笑と万雷の拍手を受け袖に捌けた俺は、このネタをやりきったことで、まるで熟練の手練れになった気分だった。

「やったな」そういう大籠包に、
「朝子は笑ってたか?」と訊ねると、人が多くてよう見えんかった。と答えた。

 準決勝、そして決勝へと勝ち上がったときには、嬉しかったが、大して驚かなかった。俺たちにはもはや、「いける」という確信めいたものがあった。十一月の半ばに終えた準決勝のあと、半月ほど期間が空いて、テレビで生放送される決勝戦に出る予定だった。
 大籠包は当たり前に新しいネタを用意していた。俺たちは抜かりなくネタ合わせをおこなった。




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