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#奪還
「奥さんは嘘をついていた」校長は言う「暴力をふるわれた子供は、こんなふうになつきません」。
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校長室へ向かいながら、私は娘と一緒に歌を歌っていたが、胸の内にはメラメラと闘志を燃やしていた。校長とじかに話して、私がこの子の父親であると認めさせるのだ。
校長室の手前に、職員室があった。瞬時ためらったが、教員から校長へ取り次いでもらうことにした。これも賭けだった。男性教員などに取り押さえられるブライアン(奪還父さん)もいるからだ。しかし子供の前で、人として当然の手順を踏んで見せること
娘の通う学校を推察。元妻の性格から、3つの地域にしぼりこむ。さながら奪還探偵だ。
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子供たちが通う学校は、どこにあるのだろう。
元妻は気が強い反面、臆病な面もある。自分が虐げる対象と、媚びて機嫌を伺う対象の間で生きるのが彼女のライフスタイル。誰かしら頼れる人物が近くにいる場所で生活をしている可能性が高い。私が知る彼女の交友関係から、娘の学校区をしぼりこんでいく。
元妻の実家、女権団体運営のシェルター、元妻の親友が住む地域の三つが濃厚だ。それぞれ、ひとつずつ小学校がある
「あなたは自由に生きていいのよ」そう言って女権業者は、家庭を破壊し夫を奴隷化する方法を教えている。
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「法」にのっとって解決しようともがいていると、法によって仕切られた枠の中でしか物事を考えられなくなってしまう。ましてや、こんにちの司法の役割は、少なくとも家庭裁判所においては、なかんずく子供連れ去り問題に関しては、崩壊している。
連れ去り妻―女権団体―ラチベンのトライアングルによって、家事法はいいように蹂躙されているのが現実だ。
多くの拉致被害父親たちと同様、私も「法」の前に屈従を強いられ
DVを受けていたのは、私。元妻を洗脳した女権団体を、私は許さない。
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どんな人間でも話せばわかりあえる、誠意は通じる。当時の私はそう信じて、元妻に働きかけ、子供との交流実現に向けて四苦八苦した。
先に述べたとおり、元妻の対応はじつにそっけないものであり、私はそのたびに深い悲しみと虚しさに打ちひしがれた。だが同時に、それを自然に受け入れてもいた。彼女がそういう人だと知っていたからだ。思い起こせば、結婚している時から、ひとたび揉めればヒステリーを起こす。子供に
事実、弁護士はカネ、裁判官は出世に腐心。子供のことを考える人は司法の現場にいない。
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当方の弁護士も、元妻側の出方に対して、「例を見ない悪どさ」と呆れている。もはやここまでだ。私は調停を打ち切るほかなかった。
その後わかったことは、家庭裁判所は異常なくらい多忙だということだ。ここでは、「子供の福祉」に沿った裁きをすることよりも、より多くの案件を処理することが評価される。
さらに裁判官にとって家庭裁判所で働くということは、誇りを持てる状態ではない(※子供の連れ去り問題 日本の
家庭裁判所では、調停を早く多く終わらせた人間が出世する。子供の気持ちなど、邪魔なだけだ。
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私の訴えは、以下の通りだ。
① 娘は私に会いたがっている(子供から届いた手紙を用意していた。四歳の娘の、ミミズの這うような字で「あいたい」と書いてある)。
② 私も娘に会いたい。(私と娘の間には「会う」という合意がある)
③ 娘は祖父(元妻の父親)を「叩かれるから嫌い」と言っている。
④ 元妻自身も子供時分には、父親(と母親)から虐待を受けていたと言っていた。心配である。
⑤ 私が「連れ去る
「親権や戸籍は、何の意味があるんですか」 「あまり意味はないです」調停前から、弁護士は敗北を宣言した。
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この日から、子供たちと完全に引き裂かれ、私は絶望の淵に立たされた。茫然自失。すっかり精気を失い、寝床から起き上がることすらできなくなった。子供を奪われたときの絶望と身体の異変は、当事者にしかわからない。
だが、世の人々はそんな私に容赦なかった。たとえ善意から出た言葉であっても、それはセカンドレイプにしかならない。何度も絶望を思い出さされ、残された僅かなエネルギーも奪い取られた。そして人々
母親の顔を見た瞬間、泣き叫ぶ少女。取り返しのつかない過ちに、刑事たちはようやく気付いた。
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新潟北警察署に到着したのは午後三時近かった。子供たちがワンボックスから降りて元妻に引き渡されるまでの間、車内で待機させられた。
現地には、会社員時代の先輩・Sさんがいた。弁護士と連絡がとれないのを見かねたM刑事が、「誰か信頼できる人に来てもらったらどうか」とアドバイスしてくれたのだ。刑事はふつう、こんな提案はしないものらしい。事件の解決を長引かせるだけだからだ。
私からの連絡を受けて、
午前5時、警察が突入してきた。私の弁護士は、電話に出なくなった。
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「なんですか、あなたたち! 本当に警察ですか」
時計を見ると午前5時。団地の玄関で、いとこのKちゃんが来訪者と押し問答をしている。子供を奪い返した私たちは昨夜、Kちゃんの家に逃げ込んだのだ。
私は飛び起きて玄関に向かった。気丈に振る舞ってはいるが、Kちゃんの小さな背中と声は震えていた。
「ありがとう。あとは僕が対応します」
心配そうにしていたが、従姉妹はすぐ私と入れ替わりに奥
ある日、最愛の子供たちを妻に連れ去られるまでを走馬灯のごとく語る著者紹介
山泊リョウ 昭和五十三年、大阪府枚方市出身。
大学卒業後、円谷プロでウルトラマンの中身、東京FMで使いっ走りなど職を転々とするが、一念発起し完全歩合制の訪問販売で起業。
平均睡眠三時間で日に三〇〇軒のドアを叩く(アポ無し飛び込み即決即払い)生活を二年半つづける。しかも極貧で風呂無しトイレ共同4畳半で家賃一万三千円のアパートに住む。
起業といえば聞こえは良いが、その実、ネズミ講をギリギリ合