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円のダイニングテーブルに就いて。

随分奇妙なタイトルですが、私は今日、円のダイニングテーブル(以下、円卓)について書こうと思います。

というのは、最近の私といえば円卓への憧れが強まるばかりです。これを吐き出す場所が無かったので、noteに書いて仕舞おうという、そういう算段をつけたわけです。

1. なぜ円卓に憧れるのか。

これは我が家の食卓の現状を見て頂ければ何となくご理解いただける気がします。

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はい。家族がバラバラです。

両親が見ていないことを祈りながら書きますが、ハッキリ言ってクソです。何がクソって、こんな家庭が幸せなわけがない。

父親はテレビばっかりに夢中でデカい独り言ばっかり。楽しい会話はありません。私と母親はカウンターテーブルですが、横並びだと食事中にコミュニケーションを取るのも意外と面倒。たまに父と母が会話しますが、お互い聞こえてないのか同時に喋っていることもよくある。

実際、夫婦仲は少なくとも良くはない。そして私自身も、父親とは仲が悪い。その原因は色々あるかもしれない。でも、客観的に食卓を眺めれば「当然の帰結じゃん」と思えるわけです。

じゃあ四角いダイニングテーブルでいいじゃん。というのは私的にはNOです。四角だと正面ばかりが見えてしまうので対角線の人が見えません。現状に対する根本的な解決方法にはならないのです。

つまり、全員の顔が俯瞰でき、全員との距離がある程度等しい円卓こそ、家庭のコミュニケーションにもってこいだと思うわけです。

2. E.H.シャインの組織文化論

シャインという経営学者がいます。彼の有名な組織文化論として、企業の文化を3レベルに分解しています。これは下に行くほど高次元なものになります。

① 人工物(オフィス、組織構造)
② 標榜されている価値観(経営理念、方針)
③ 背後に潜む基本的仮定(当たり前なものとして共有された価値観、信念)

そして、背後に潜む基本的仮定が変化すれば、標榜されている価値観に影響し、その変化がさらに人工物に影響を与えます。このため、シャインは③背後に潜む基本的仮定が最も重要であると主張します。

3. 「新オフィス」と組織文化(独自研究)

※ 以下で述べる「各組織文化の相互作用」については論じられている論文等は非常に少なく、一般論と言えるものではないと思います。従って、私個人の考えであることを明確にしておくため、本節では見出しに「独自研究」と付しました。

ところで、シャインの組織文化論は得てして「③⇒②⇒①」という流れに注目されがちです。それは、シャインは「基本的仮定を組織に浸透させるためにリーダーが取るべき行動」というトップダウンの視点に関心があったからです。しかし、実際は「①⇒②⇒③」という作用の流れもあることを無視するべきではないと、私は思います。

例えば、それまでオフィスが入居していたビルが再開発されることになり、それに伴い再開発完成後のビルに再入居することになったとしましょう。ビルは大幅に高層化し、それに伴い意図せずオフィスも高層階に移動することになりました。さて、従業員のパフォーマンスに影響はあるでしょうか。

例えば、ちょっと「偉くなった」ように感じ、以前より楽観的な組織文化が生まれるかもしれません。

嘘みたいな話ですが、オフィスの階層が高いほどリスク愛好的であるという実証研究があるように、人工物が価値観や基本的仮定に潜在的に及ぼす影響というのは熟慮すべき要素であると思います。

4. 円卓が家庭に変化をもたらす(かも?)

そういうわけで、私はハード面が変われば良くも悪くもソフト面も変わるという立場です。つまり、ハード面を変えたからといって意図した方向にソフト面が変化するとは限りません。しかし、何らかの変化をもたらす「契機」にはなると思います。

2~3節は経営学チックな話に飛んでしまいましたが、結局のところ企業も家庭も「組織」であることには変わりなく、しかも確かに家族でも共有されている価値観や常識はあります。そういう意味で、企業経営の話を家庭に当てはめるのは、案外的外れではないと思います。

物理的な人工物の良いところは「拘束力」があることだと思います。一旦円卓を買ってしまえば、否が応でも家族全員が円卓で食事を取らなくてはなりません。この一種の強制力を組織メンバーがやがて強制であることを感じなくなったら、それは新たな「基本的仮定」が家庭内に築かれたということを意味するのだと思うのです。

円卓を買うか、引っ越しをするか。いずれにせよ、停滞した現状を打破するヒントは「人工物」にこそあると私は思います。

というわけで、結婚して家庭を持つ機会があれば真っ先に円卓を買いたいですね。


まぁ、結婚出来れば、の話ですが。

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