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わたしが生まれ育ち、今も暮らし続ける【益城町】。


わたしが生まれ育った場所、【益城町】。
そこで、今もわたしは生活している。


わたしは益城町にある
お気に入りのお店がいくつかある。
いくつかというより、2つだけど。


ひとつはここ。

【Greentea.Lab】


こちらに何度か伺ったことがある。
お気に入りの場所。
そして、人気店。
前回行った時のことは、また今度書くとして
今回は割愛。


もうひとつ。

【たこやき丸 益城店】


昔ながらの佇まい。
たこ焼きだけでなく、回転焼きもある。

わたしが幼稚園の頃とか、小学校低学年の頃とか
とりあえず、昔からあるお店。
昔はこの建物の2階にあった、英語教室に
姉と一緒に通っていた。
たまに、お迎えに来てくれた両親に
回転饅頭(回転焼き)を買って貰えたのが思い出に残る。

お店に訪れると、物腰の柔らかな
ご年配の女性が出迎えてくださる。
最近では、息子さん?と思われる方も、
一緒にお店に立たれている。
お若い男性がお店に立つ姿をバスの中から見ていた。
いつもいらっしゃる、ご年配の女性にはもう会えないのだろうか…と思っていたら、
今でも会うことができたことにほっとした。


今回はここ、
【たこやき丸 益城店】について
少しお話を広げてみる。



今では滅多に味わえない、
たこ焼きに出会う。

たこ焼きは大好物だ。

職場にある、たこ焼き屋さんに頻繁に通う。
一時期は、たこ焼きが約40個ほど入った
冷凍の徳用袋を家の冷凍庫に常備していた程。

冷凍のたこ焼きは、
まあ、冷凍食品だから…
美味しいけれど、冷凍食品だから
ほかほか出来たての味では無い。

職場にある、たこ焼き屋さんのたこ焼きも
冷凍たこ焼きと比較したら
当然だが、とても美味しい。
ほかほか、出来たての味が頂ける。


しかし、
ここの【たこやき丸 益城店】のたこ焼きは
そこら辺のたこ焼きとは全く違う味だ。

そのように思う。
とても美味しいのだ。


ここのたこ焼きを食べてしまうと、
しばらくは、他のたこ焼き屋さんのたこ焼きが食べれなくなる。

このお店のたこ焼きの魅力を知り合いに熱弁し、
一緒に食べてもらったら
その知り合いも感動してくれ、
【たこやき丸 益城店】の味の虜になってくれた。

今ではその知り合いは、
「たこ焼き食べたくなった〜。あの益城のおばちゃんのとこのたこ焼き食べに行かない?
と言ってくれるようになった。
とても嬉しい。



実はつい先週、
お散歩がてらお店へ向かったばかりだ。
そして、その翌週、再びお店へ訪れた。






2023年4月19日
この日は良い天気だった。
なんとなく、たこ焼きを食べたくなったため
そのお店まで歩いた。

【たこやき丸 益城店】のたこ焼きを食べるなら
わたしは絶対、〖しお〗味と決めている。
なぜなら、わたしはソースが基本苦手だから。

鰹節とマヨネーズがたっぷり。
中には大粒のタコさんが!!!
容器はよくお見かけするプラスチック素材ではなく、
昔ながらを感じる発泡スチロール。
綺麗に焼かれている、焦げ目なし。
ボリューミーな見た目。
1パックで満足感のある。私のようなわんぱくには嬉しい。


写真では分かりずらいが、
塩がさりげなくふりかけてある。
それが、凄く良い。

生地の優しい味わいと、食感、
鰹節とマヨネーズ、そこに塩が加わり
優しさに塩っけを感じ
まったりしない、飽きが全くこない、
何個も無限に食べたくなる。



…そんなとても美味しいたこ焼き。
なんと、8個入で400円!!!!

たこ焼きチェーン店や、
ショッピングモールに出店してあるたこ焼き屋さんや、屋台などでは
そんなお手頃価格でたこ焼きは頂けない。

しかも、お手頃価格なのに
他とは違う美味しさを頂ける。
原材料高騰し続ける昨今では、特に信じ難い。



2023年4月27日

この日も、お店を訪れた。
1ヶ月分の食料の買い出しをした後
一息つきたくて、
その時にたこ焼きも一緒に食べたくなった。


メニューはこちら。
温かみのあり、丁寧につくられているのが伝わるPOP。


〖キムチ〗味のたこ焼きは、いつも気になってる。
”今日こそは〖キムチ〗味を選ぶぞ…!!!”
と思って向かったとしても、
結局は直前で〖しお〗味をチョイスしてしまう…。

それくらい、
わたしの中では、こちらのお店の
〖しお〗味は殿堂入りしている。


でも、〖キムチ〗味も
きっと美味しいんだろうなあ〜!!!!

(ちなみに)
たこ焼きの上にキムチは乗っておらず、キムチ味のタコさんが入っているらしいです。
キムチが少し苦手…な人でも、比較的に食べやすいかも!!!



因みこの日は、良いお天気だったので
真っ直ぐ家に帰らず
お店から少し離れた、【益城町運動公園】で
購入したたこ焼きを食べました。
躑躅がひっそりと1輪咲いてた。




因みに因みに。


さっきわたしがたこ焼きを食べた
【益城町運動公園】には、


”ONE PIECE 熊本復興プロジェクト”の取り組みで
ONE PIECEに登場する麦わらの一味<サンジ>がいます。



(サンジ~! キテクレテ トテモウレシイヨ~!!!アリガトー!!!)



益城町に「麦わらの一味」のサンジ像が設置されました!

 熊本県と熊本県出身の漫画家・尾田栄一郎さんが描く人気漫画『ONE PIECE』とが連携した復興プロジェクト〈麦わらの一味「ヒノ国」復興編〉の一環として、益城町にサンジの像が設置されました。

益城町HPより


この写真を撮影したのは、
2019年の12月31日。

サンジ像は、
2019年(令和元年)12月7日に設置。
その日は除幕式イベントも行われた。


すぐに行くと、絶対人が多いだろう…と思い
大晦日の夕方、しかも天気が悪い日に
あえて、サンジに会いに行った。
めっちゃ写真撮り放題だった!!!!
天気はどんよりだけど
サンジは輝いている!!!!かっこいい!!!!



【『ONE PIECE』熊本復興プロジェクト 麦わらの一味「ヒノ国」復興編】


我らが益城町のHPをじっくり探る。

見つけた。
そこには、しっかりと
この心が温まる取り組みの説明されてあった。


●『ONE PIECE』熊本復興プロジェクト 麦わらの一味「ヒノ国」復興編

 熊本こと「ヒノ国」に上陸した麦わらの一味は、熊本地震の被害が広範囲に及び、今なお、住民が苦しんでいることを知ります。そこで、船長ルフィが、一味の仲間たちに被災地の復興の手助けを指示。仲間たちは、それぞれの特技で被災地の困り事を解決し、復興へのエールを送るルフィのもと(県庁)での再会を誓います。

益城町HPより


こんな素敵な物語があるなんて、
わたしはこの時初めて知った。

このONE PIECE熊本復興プロジェクトとは
希望に溢れた、とても感動的な物語だ。

今まで詳しく知らずに生活してたのが
とても恥ずかしい。

でも恥ずかしさよりも
このプロジェクトに温かさを感じ
涙が出そうだ。



なんで、サンジが益城町へ来てくれたの?



先程の説明で出てきた、

「船長ルフィが、一味の仲間たちに被災地の復興の手助けを指示。仲間たちは、それぞれの特技で被災地の困り事を解決し、復興へのエールを送るルフィのもと(県庁)での再会を誓います。」


ONEPIECEファンの方は、もうその時点で、
”サンジが益城町に来てくれたこと”の意味が分かられているのかもしれません。すごい。さすがです。

しかし、わたしのように
ONEPIECEを陰ながら応援している方は
なぜサンジが来てくれたのか、わからず
きょとん、、?となってしまわれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。


理由をきけば、
”あ〜そういうことか〜!!!”
とスッキリする情報。

今からお伝えします。


●サンジが益城町に駆け付けてくれた!

「平成28年熊本地震」では、「ヒノ国」内で最も大きな震度7の地震を2度経験した益城町。町内のほとんどの家屋や公共施設が被災し、甚大な被害を受けました。中でも、町内の7つの小中学校の給食を作っていた「給食センター」が被災し、その再建には2年の歳月がかかりました。益城町の子どもたちは長い間温かい給食が食べられず、辛い思いをしていました。
 そんな益城町に、「コック」サンジ駆け付けてくれました。地元農産物を使い、おいしく温かい給食を作ります。一時は満足にご飯を食べられなかった益城町の子どもたち。町の未来を担う、そんな子どもたちの健康と笑顔を創り出します。

益城町HPより。


うわぁあ、、泣く。本当に涙が出た。

サンジはコックだとは知っていたものの…

そうか。
給食センターの被災により
子供たちが辛い思いをしているところに
サンジが駆けつけてくれたのですね。

先程あげた、サンジ像を見ると
涙が出てくるよ。

サンジ、益城町へ来てくれて
本当に本当に、ありがとう。

被災したわたしたちに
たくさんの笑顔と希望を貰えました。


わたしたちの、益城町に
たくさんの元気をくれた<サンジ>にも、
たくさんの人が会いに来てくれますように。






忘れもしない、
2016年4月14日 21時26分。


[ここまで見て下さり、本当にありがとうございます。]
[ここからは熊本地震の話が続きます。]
[大地震にトラウマを抱えておられる方、想像するのが苦手な方は、ここから先はお勧めしません。予めご了承ください。]



初めて経験する
突然の激しい揺れ、地響き。
周りの家屋が倒壊する音なのだろうか。
倒壊することで生じる揺れなのであろうか。
たぶんそれ等全てが
激しい地震の揺れと合わさり、
とてもとても味わったことの無い恐怖体験だった。




わたしは当時、高校3年生。

”明日は待ちに待った、
部活動紹介の日だからね!!!”

”ステージに登壇する人達は
明日必ず袴持ってきてね!!!”

その明日に備え、大切な袴を忘れないよう
弓道に使用する道具と共に
通学で使用していた原付のトランクの中に入れる。


その明日は、
生きていたから、訪れたけれど。
みんなでアイデア出し合って決めた部活動紹介、

中止になっちゃったよ。


自宅に帰宅すると、
わたしはいつもとは別の行動をとっていた。
早々とお風呂入り、すぐ上がり、
自室でごろごろ過ごすのが
わたしのいつものルーティン。


でもその日は、お風呂場のなかで寝ちゃってた。
眠かったのかな?疲れてたのかな?

◎ここで注意をさせて頂くと◎
お風呂場で眠るのは、とても危険です。

ですが、わたしはその行動で命は無事だった。

わたしがシャワーを立って浴びている時に
床が小刻みに揺れ始めた。
だんだん揺れのスピード、深さが高まってきてる…ヤバい…!!!!!!!!

そう思い、床に座りこもうとしたが
もうその時には手遅れ。
床から力強くドン!!!!!と力がきて
体を強く跳ね返され、
わたしはお風呂場の壁に打ち付けられた。

その後も強く揺れ、暴れ動く風呂場。
何とか身を守るために座りたいと思い、身をかがめるが何度も押し返されてしまい、立った状態で何度も何度も壁にぶち当たる。ランドリー状態。

やっとの思いで床に座り込む。
が、上から落ちてくる物から、
頭と顔を守るために
腕を頭の上に交差させ、全力で守った。

我が家のお風呂場は、物をあまり置いていなかったから助かった。

長く続いたとても激しい揺れも
しばらくしたら徐々に徐々におさまってきた。

そのタイミングで、
各地域に設置してある、役場からの町内放送で
益城町は震度7の揺れを観測しました。
とアナウンスがあり、衝撃的だった。

でも、衝撃的になっている場合ではない。
かなりの恐怖に打ちのめされている場合でもない。
泣き崩れている暇など全くない。
様々な感情が溢れ出ないよう
全て全て強く強く抑えて抑えて。冷静になる。

動ける隙に、すぐ逃げられるよう行動しなければ。


遠くから私の名前を呼ぶ、母の声がする。

母は油物を揚げている最中に被災した。
リビングは
冷蔵庫や大きい食器棚もあり、物多い。
IHを使用していたため、幸運にも火は出なかったが、とても危ない状況であった。
あらゆる物を退かしながら、
わたしの安否確認をしに来てくれた。


父も、母と同じくリビングにいた。
リビングということはつまり、
先程も話したがとても大きい物が多い場所だ。
特に、父の座る場所は
大きい家具のすぐ近く。
とても、危険な状況であった。
しかし、幸運にも大怪我することはなく
無事だった。


姉はというと、階段で泣き崩れている。
姉は、階段を登っている時に被災した。
ひとりで、とても怖かっただろう。
階段には物は置いてたり飾っていなかったから、
何かが落ちて、怪我をすることはなかっただろう。
しかし、もし、激しい揺れのせいで
階段を一歩踏み外していたならば……。
本当に危険な状況であった。
怖くて怖くて泣き出してしまいながらも
階段の手すりにしっかりと掴まって、離さなかったんだろう。


家族4人が無事で
本当に本当に、よかった。


安心している場合ではない。

また少しずつ、余震が発生している。

周囲の家は倒壊したと聞いた。
静まり返る。そして、小刻みに揺れる床。
この空気と空間がとてもとても怖くて、とてもとても何かを予感し、とてもとても気持ちが悪い。

”子供たちは、2階の(両親の)寝室にあるベッドの中に入っていて!!!布団はちゃんと被せて。”
”お母さんとお父さんは、下で動線確保したり、危ない状況じゃないのか確認するから!!!”

母の指示に、わたしたちは直ちに従う。
怖がりの姉は、物凄く普通じゃない状況だ。
”大丈夫だよ”と安心させる言葉をかけるが、
わたしも感情を堪える限界突破をしていた。

2階に上がると
窓から見える町の姿に息をのむ。

この時間なら、周囲はまだ灯りがついているのが日常。
でも、そこには非日常が広がっていた。
外は真っ暗だ。
近くを見れば、倒れた家が多い。
そして、目線の先には
大きく激しく燃え上がる炎。

限界突破…さすがにこの状況を見てしまったら
わたしも平常心でいられるのも…なかなか苦しい。
パニックで泣き叫ぶ姉。
落ち着くように、”大丈夫だよ、大丈夫だよ”と言いながらも
心の中では、恐怖しかない。
暴れ狂ってしまいそうな自分を
必死に必死に押さえ込んだ。


瞬時に動ける行動力と、状況判断ができる母。
動線はある程度、確保できたが
余震が多すぎるあまり
”ここで一夜は過ごせない”と決断したらしい。

その頃、周囲の確認をしていた父は
ある衝撃的な事を知る。

”倒壊した隣の家のガスから、
ガス漏れする可能性がある。”

益城町は震度7の激しい揺れが発生した為、
すぐに警察官の方、消防士の方が
駆けつけて下さった。

わたしの家が建っていたところ一帯は
特に酷い状況だったらしく、
そこに住む住人ひとりひとりの安否確認をし、
状況を確認して下さっていた。


わたしの家にも、来てくださった。
そこで、知らされた、
”隣の家のガス漏れの可能性”

”とても危険なので、すぐに避難してください”

そう言われ、
わたしたちはすぐさま避難の準備を開始する。


わたしの部屋には
わたしの宝物たちがたくさんあった。
その中でも
とてもとても、大切にしていた
1匹のくまのぬいぐるみだけは
どうか、一緒に持って行かせてほしい…。

倒れたものたちを雑に退かしながら
急いで自室へ向かう。

わたしの部屋が、開かない。
鍵付きではないのに、開かない。
でも急いでいるから、勢いでドアを押す。

何とかドアは開いたが、
目の前にはありえないほど残酷なほど
変わり果てた光景が広がっていた。

もし、わたしがいつものルーティン通り
自室でごろごろしていたら…
確実に死んでいただろう。

わたしはすぐにそう思ったし、
それを見た父も、そう言った。


あまりにも酷すぎる自室の中から
大切な1匹のくまのぬいぐるみを探し出すのは
現実的ではないし危険だと判断。


急ぎ足で、真っ暗なリビングへ向かう。
わたしのスマートフォンはここにあるはずなんだ。
真っ暗ななか、必死に手探りで探し出し、
なんとか、見つけ出すことができた。
わたしはそれだけを握りしめ、


危険を知らせてくれた、
消防士の方と警察官の方にお礼を伝え
わたしたち家族は、変わり果てた我が家を後にし、
暗闇の中、避難所へ向かった。




夜中もずっと、余震で何度も目が覚めた。

朝が来た。

寝た気が、全くしない。


朝になったら、早朝だってのに
両親は、我が家の様子を確認すべく
歩いてその場所へ向かった。

”危ないから、子供たちは避難所にいなさい。”

その指示を守り、
わたしと姉は避難所に残り、
両親の帰りをずっと待っていた。


なかなか、帰ってこない。

心配が爆発しそう。
すごく心が落ち着かない。

お昼になった。
やっと、両親が、わたしたちの元へ帰ってきた。
ほっとした。
よかった、無事に帰ってきてくれた…。
そんな安心も、している場合では無い。

母は冷静に、家と、家の周囲の状況を説明。
そして、
今から少しだけ、家を整理し始めよう
と、提案してくれた。


わたしも、一刻も早く
普通に戻りたかった。

だから、どんなに辛くても苦しくても
被災後は1滴も涙を流さなかった。

なんとか、私の住む大切な家に着く。

日中は整理がしやすい。
暗くなる前に、休む暇なく作業を進めた。

ついに、夕方。
また、暗くなる。
”今日は一旦作業を止め、お風呂入りに行こう。”
という母の意見に賛同し、
そそくさと逃げるように家から出る。

なんだかとても、嫌な予感がした。
嫌な予感がし過ぎて、とても気持ち悪い。

家族に
”早く行こう!!!早くここを出よう!!!”と、
凄く急かした。
なんか、とてもとても怖くて、
被災して初めて、少しだけ
自分の感情が出てしまった。

わたしの様子で色々察したのか、
母は優しく
「そうだね、ごめんね。」
と言ってくれた。


暗くなりかける、町。
再び夜がやって来る前に、
急いでこの場所を後にした。


母の言う通り、お風呂を入ると
すこしだけ心が落ち着いた。

お風呂入りに行ったあとは
避難所へ戻る。

昨日よりも、避難してきている方の数は
少なくなっているように感じた。


わたしたちも、本来なら、
我が家で夜を過ごすことも
出来なくはなかったのだが…
わたしが断固拒否。
絶対に嫌だとキレ気味に言ったため、
2日目も避難所で一夜過ごすことにした。


父は車の中で一夜を過ごしたいらしく
わたしと母と姉で
避難所内に入る。

昨日とは異なり、
広々とした避難所に横になる。


明日また、家の掃除頑張るぞ…。

眠れないけれど、頑張って寝れるよう…。
気づいたら眠っていた。


しかし…


2016年4月16日 1時25分
再び襲いかかる、もっと激しい揺れ。


少しの揺れを感じたのか、
緊急地震速報のアラームがなる前に
わたしの目がバチッと見開く。
すると1秒も経たない間に大きなアラーム音が
避難所に響き渡る。
瞬時に、両サイドにいた母と姉の手を握る。

その後瞬時に、再び激しく揺れ始める。
まるで洗濯機の中に詰め込まれているのではと思うくらい、揺さぶられる。

怖い、こわい、こわい!!!!!


揺れが少しずつおさまる。
心拍数の音が、とても大きい。

完全に揺れが止まったところで、
館内放送がかかる。

”皆さん落ち着いて行動してください。”
”今から伝える順番で、外へ避難してください。”

落ち着いた声で
わたしたちに避難誘導して下さった。


避難所にいた方たちは
静かに声も出さず、落ち着いて行動し、
避難誘導に従った。

とりあえず、外のグラウンドに停めていた
母の職場の車に乗り込む。

(両親の車は、隣の家の倒壊に巻き込まれて、もう乗れない状態になった。)
(その為、母の職場の方のお言葉に甘え、1度目の地震が発生したあとすぐに、母の職場の社用車をお借りしていた。)


避難所を出たあとも
車の中で何度も揺さぶられる。
全然落ち着けない。眠れない。
寧ろ、眠りたくない、
何が起こるかわからないから。


起きては眠って…をなんとなく繰り返していたら
気づいたら朝になった。

朝になれば、大ニュースになっていた。
2度目の激しい地震も、
益城町は震度7を観測したのだ。

つまりは
益城町は震度7の地震が2度発生した。


そして、しばらくすると

2度の大きな地震のうち、
1回目の地震は、[前震]
2回目の地震は、[本震]

ということを知った。





2016年5月1日


その後、わたしたちは
1年間だけ、益城町を離れることになった。
家の大修復工事をしなければ、
住めない状態だったからだ。

それに、
わたしの住む場所は、地震以来から
人の数が減った。

殆どの方が、地震で家をなくしていたり、
様々な事情があり
わたしたちと同じく”住めなくなった”方が多かった。

そんな、人通りがない場所で
子供が通勤・通学などで
早朝から、もしくは夜遅くまで
移動することは
両親がとても心配したらしい。

わたしたちも、不安だった。
ただでさえ、良い意味で静かな町だったのに
地震をきっかけに、もっと静かになってしまった。

だから、しばらくは

父の元上司がオーナーをされている
小さな物件をお借りし、
4人で暮らしていた。


新しい家から、自分の通う高校までは
片道2時間以上かかった。

しかし、それは全然よかった。
寧ろ、わたしは長い距離を
乗り物に乗って移動するのは好きだから。
それに、母が沢山サポートしてくれたから。


新しい家の地域も
とても居心地よかった。
色々利便性もある、素敵なところだった。
優しくして下さる方も多かった。


しかし、

わたしの故郷は【益城町】だ。
【益城町】より、居心地いいとは思わなかった。


生まれて育ち、
ずっと生活していた益城町を
わたしはこよなく愛する。

中心部に住んでいる方が見たら
”田舎だねえ”と言われてしまうこともある。
でもそこがいい。
益城町の、その静かさが落ち着くんだ。

それに、
不便に感じたことはあまりない。

お店もいっぱいあると思うし
公共交通機関も、もしかしたら、
中心部より利便性があるのでは?と思っている。




益城の地を離れている間も、
益城への愛は変わらなかった。

離れている間も
週に1度、定期的に、
ぐちゃぐちゃになった家の中を
片付けをするために益城へは訪れた。

訪れる度に見てしまう、変わってしまった風景に
心が痛みながらも
悲しく怖い出来事を忘れてしまいたくても

目を逸らさず、しっかりと向き合った。



なんやかんやで時が過ぎ、
翌年の3月頃には、無事に家の工事が終わった。

わたしが専門学校へ入学する頃
4月1日

わたしたち家族は、
やっと、益城の自宅に戻ることが出来た。



そこから数年後…
少しずつ復興していく、
”今の”【益城町】は
すごいんだよ!!!!




最近、益城に誕生した
熊本初のコンテナ複合施設。

◎【BOXPARK マシキラリ】


”BOX PARK マシキラリ”
各店舗様が、業種業態によって様々な大きさで、多様な商品やサービスを有しており、その最小単位をユニットと考え、これらが集積したBOXを積みあわせていくことで、一つのギフトボックスのような塊を形成することで、ギフトの「贈る」「贈られる」ような期待感やたのしみを共有する空間をこの敷地内に展開するものとします。

BOX PARK マシキラリ 公式HPより



Instagramはこちら。


ここにしかない
最近密かに話題になっている
お洒落カフェや、

益城町民なら
みんな名前は聞いたことがあるのでは?というレベルで、震災前から長く愛されていた居酒屋さん、

熊本県外でも有名なチェーン店やお店などなど…

全て、とても魅力溢れるお店が並ぶ
益城町のニュースポット!!!


【マシキラリ】に行くために
県内外の沢山の方々が益城に訪れている様子を
SNSで見かけると、とても嬉しいです。



◎【県道熊本高森線4車線化】


熊本地震から7年が経ち、
少しずつ、
変わり果ててしまった場所に
新しいお店やお家が建ち始めました。

新しくなったのは、建物だけではありません。


つい最近、
2023年3月28日より
熊本市東区桜木〜益城町広崎区間
道路が4車線に!!!!!
(拡幅工事の一部区間の工事が完了)


通勤する際は、
よく渋滞していた道が
広く、綺麗に生まれ変わりました。


令和8年3月末に、全て区間の工事が完了する予定。



防災機能、利便性向上、
渋滞緩和、、だけでなく
わたしと父は

今までなかったお店ができたり、
益城町民だけでなく、
たくさんの人が集まる場所が沢山できたり、、。
4車線をきっかけに、
益城町全体がこれから
もっともっと盛り上がるといいね。

と、
新しくなった道路を通る度に
いつも話す。



きっと、きっとできるよ。

わたしたちの理想はいつかきっと叶う。

未来のことなんて、わからないけれど

わたしはそう信じてる。

だって実際に、
少しずつ、益城町が明るくなっている。



何年かかるかはわからないし、
その間、何がまた起こるかはわからない。
だけど、
わたしはこの7年間
愛する益城町が復興する姿に
すごく元気をもらったんだ。

愛する場所を愛し続ける人がいれば、
そこはきっと
これからもずっと明るいはず。


わたしは、信じる。
そして
わたしは死ぬまで
この、生まれ育った愛する町を
これからもずっと愛し続ける。



このnoteを見てくださった方が
少しでも、
魅力溢れる、元気な益城町に
興味をもっていただけたら
わたしはとても、嬉しいです。


わたしが今回紹介させて頂いた、

たこ焼き屋さん、
サンジ像、マシキラリ…。

その他にも
たくさんたくさん、益城町には
素晴らしいお店や風景や魅力があります。


ぜひ、それ等に会いに
益城町に訪れてみてください。





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