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ブラックリスト社長 〜序章〜

1:はじめに(時間がない方へのメッセージ含む)

このnoteは「人生どん底だ」「やりたいことが見つからない」「この先が不安」「どうしよう」「ギャンブルがやめられない」「夜職に不安を持ちながら働いている」と言った方々だったり、そんな今の僕と関わりを持ってくれた素敵な方々たちに、ブラックリストの経緯や、どう復活したの?などの質問が多くなってきたため、壮絶なブラックリスト人生をnoteにしていきたいと思います。

『ブラックリスト→経営者』経営者7名と従業員100名弱に囲まれ〃やりたい事〃を増やしてる人生まで復活できた、これまでの僕の全て(※一部除く)をnoteに記します。勇気や希望を与えられるそんなnote目指します。そして僕の〃やりたい事〃を通じて皆んなのチカラになればと思います。本当のドン底を教えてあげる。

読み進める前に、時間のない方へ、僕のドン底を紹介しましょう。「借金600万」「ブラックリスト」「ギャンブル依存症」「ホームレス」「大型トラック仮免取得、本試験前のオービス一発免停」「経営者変更、従業員大量離脱」「孤独と激務」「ブラックリスト地獄の7年間」その他etc、短期間でギュッと凝縮されて訪れました。気になる方は時間がある際に最後まで。

これらの〃ドン底〃をどう解決してきたのか、どう乗り越えたのか、どういう経験をしてここまでこれたのか、そして、これから先まだまだ諦めない希望、まだまだやりたい夢を〃魂込めて〃書いていくぞ。ブラックリスト社長はまだまだ前進する。ドン底を経験をしたからこそ、〃俺は強い〃そんな強さの秘密や、活力をnoteにします。だから、同じ経験や同じ挑戦なき失敗をして欲しくない。誰にも話せないことや、悩んでいることを僕に話してほしい。僕は全力で向き合うから、きっとアナタの助けになる。そういう活動をしています。

2:なろうとしてもなりたくないブラックリストの物語

大学は、空港。目指す先への空港だ。当時の僕は、教師になりたかった。経済学部経済学科。社会の教員免許を取得し、バレーボールの顧問になるのが夢だった。そんな夢は大学入学しわずか半年で消え去りました。これまでの地獄の始まりが大学進学でした。僕は〃常に楽しさを求める人間〃です。それは今も変わらない。それが故に、キャンパスライフという楽園と出会ってしまった。住む町は、多くの大学生が一人暮らしする町、監視する親はいない。実に解放された気分だった。毎日毎晩、麻雀、パチンコ・スロット、宅飲み、ウイイレ、サークル、合コンの365日×4年間と言っても過言ではありません。ドン底の始まりはここから始まりました。絶対、親には言えない。そんな大学生活から紹介します。

「ブラックリスト」への入り口

その当時の僕は仕送り生活でアルバイトをしながら遊んでいた。3万円。この金額は僕からしたら完全に足りなかった。親の優しさも踏みにいじり、感謝という言葉は無縁で、楽しさに取り憑かれた遊び人だった。朝から友人と「激アツのイベント周り」打ち子を雇い、(当時のスロットは、各機種6アリ、全6イベント、世界一の釘FUJIYAMA)12時間稼働のスロット三昧。分析、下見をし夜中は、仲間うちで麻雀。狂ったように明け暮れた。儲けた月は200万を超える時があり、負ける時は1日で20万と負ける時もあって金銭感覚がここで狂ってしまっていた。告知イベントが禁止になり、全く勝てず、連戦連敗、積み上げてた300万以上のギャンブル貯金は半年もせず0円へ。まだ取り返せる!激アツイベントには、大勢の人を使い投資していた。そして地獄の始まりの最悪最大の事件が〃激アツイベント〃で起こる。

「消費者金融、借り入れ30万円、1日で溶かす」

そう、完敗。そして次の日に別のサラ金へ行き30万円の借り入れてしまうのである。当時の僕は、「毎月、返せばいいんでしょ」という気持ちでした。無知無能な当時の僕は一瞬にして地獄へ足を踏みに入れたのであった。

返しても返しても減らない返済の始まり始まり。

夕方の一時的なアルバイトだけじゃ、遊びとギャンブルをやり続けることが難しくなり、東北の繁華街、国分町と出会ったのである。居酒屋ではキャッチセールス(当時は条例で禁止されてはなかった)を行い、お酒を作り、最高の接客をし感動させる。大学の友人が多かった僕は、全てのサークルの飲み会を自分の成果へ。1ヶ月で1000名以上をあげた月もあり、国分町での居場所を発見した。チヤホヤされ、常にみんなに囲まれる生活が快感になるのだ。仕事終わった後は、稼いだ分以上に、飲み会。酔っ払って大学へ。授業は居眠り。そして仕事へ。給料日には朝からスロット、麻雀。別の楽しさに取り憑かれた生活が新たに始まった。

大学の単位はどう取ったの?

不思議と勉強は苦手ではなく、テストの範囲や要点のチェックで点数を取れていた。必修科目は必ず出席だけはしていた。効率の良さは生まれ持った才能だったのかもしれない。課題もあるとわかっていた時は、空き時間に前もって準備していたり、秀才くんとの繋がりや、先輩たちの繋がりもあって協力し合っていた。うん、僕は昔から要点と効率だけは意識していた。

楽園キャンパスライフと居酒屋の活躍ライフも4年目を迎えた頃、就活が始まるのであった。就活は1社しかしなかった。ここでも大きな失敗をしてしまうのである。某王手企業、東北○○○、3次試験まで進み、ほぼ確実と思われた最終面接で落ちた。

理由はそう〃遅刻〃

寝坊ではなく、忘れ物を取りに行ったことが失敗。人生の厳しさをここでも思い知らされました。しかし、落胆する事もなく、居酒屋に没頭するのである。大卒→教師ではなく、大卒→企業でもなく、大卒→居酒屋店長へ進んだ。親をガッカリさせた。しかし、仕事を楽しむ姿勢は国分町のおかげだったのかもしれない。国分町で学んだことは後ほど紹介する。

仕事も評価され、仲間との切磋琢磨し常に上を目指していた。常に上位にいた。月300時間勤務は当たり前、そんな生活が続く頃、体調に異変が起きるのである。

ストレス・過労による〃うつ病〃と診断

自分でも信じられず、処方箋を燃やした。クスリは一切飲まなかった。いま思うと正解だったのかもしれない。気合いで働き続けたが、借金が減らない、こんな生活いつまで続くのか。カツカツな生活が続くと参ってしまう。誰にも相談していなかった。僕は、店長が職場を〃飛んだ〃(バックれ)。会社から逃げ、仲間から逃げ、友人から逃げ、うつ病という事もチラつき、逃げ回る人生がここで始まってしまった。収入は途絶え、借金返済もできず、延滞。鬼のような電話も出なかった。これがブラックリストの原因だ。収入がない中、1ヶ月ももたずに死にそうになっていた。ドン底だ。悩んで悩んで、意を決して会社へ向かう。泣きながら謝った。仲間にも謝った。3時間以上泣きまくった。人生で1番泣いた。会社と仲間は励ましてくれた。また頑張る事ができたのは、仲間のおかげです。仲間の大切さはここで学べたなと今、実感しています。

徐々に調子を上げていくにしても、借金の問題は解決できず、もっと稼がなきゃ、ヘコんでいる場合ではないと思い、飲み屋を立ち上げるのである。立ち上げ資金は当時の社長から。300万円。1日17時間、14時から23時まで居酒屋で働き、0時から8時までのパブ屋さんを立ち上げたのである。パブ屋とは、フリータイムチャージ3000円、1ドリンク500円で一緒にお酒を飲む仕事だった。お客様の要望に応え、得意の場を盛り上げ、居酒屋で築き上げた人脈でなんとかなると思っていた。甘かった。売上は伸び悩み、利益も多少は出たが、ほぼ社長へ返済。そして更なる悲劇・・

3・11 東北大震災

耐える資金、修繕資金は無く閉店。その閉店費用も当時の社長から100万円借金するのである。ここでも無知無能さを発揮し、友人からの「震災後、家賃払わなくていいらしいよ」という情報を鵜呑みにして、家賃を延滞。6ヶ月をも滞納するのだ。もちろん電話もシカトし、浮いたお金で借金を返さず、増やす行動(スロット)に出るのであった。6ヶ月も滞納したら住んでいたアパートは強制退去になり、親がくる。そんな親からも逃げた。本当最悪だ、また逃げ回るのである。ホームレスとなり、友人の家を転々、雀荘と職場の行き来、シャワーは満喫。本当にドン底だった。ドン底はこれでは終わらない。

逃げ回る生活の中、夜の仕事を引退するキッカケになる出来事が〃誕生日バースデーイベント〃。多くの仲間や同業、お客様からのシャンパンの本数は国分町でも「何本空いたの?」が、恒例でして、1日で36本のシャンパンが空いた。こんなに仲間が居るんだという感動と同時に身体の限界を迎えるのである。

痺れて動けない、3日間の吐血と背中の激痛

「将来、結婚してもこんな生活するのかな」と考える事が多くなった出来事だった。楽しくても将来的に後40年もできないと考え引退を決意した。

大学からの7年間、本気で戦った国分町はここで引退を迎えました。ラストは、多くの仲間に囲まれて夜職を引退を決意したのが24歳年末のお話です。今でも国分町の仲間とは競い合い繋がっています。最高で最悪な国分町のお話でした。

3:コンビニを運営するキッカケ!まだまだ続くドン底体験

朝から警備員、夕方は代行のダブルワークをしている中、大型トラックで卸した車を運ぶ仕事が舞い込んできたのである。茨城県に拠点を置き、車を運ぶ見習いから始まり、自車校は通わず、仮免5回ほど受けて合格。(仮免試験は1回5000円くらい、本試験は8000円くらい)大きなトラックを動かすのは、なんとなく大きくなれた気がして楽しかった。本免許試験を受けに福島へ通っている中で、オービスがピカッと。新しい事への挑戦の中、そう40キロ オーバーで一発免停。仮免発行から半年の期間内での本免獲得は出来ず抹消。そしてクビ。

行き場もなく、誰を頼ることも出来ず、会津への帰還。かあちゃんは喜んでいたな。帰ってきた地元では、〃見栄っ張りの格好つけ天狗の小山の大将〃反省の色はなく、自慢自慢のオレ様節で久しく会う地元も仲間と飲み会三昧。流石に引かれました。それでも2日で仕事を決めてパチンコ屋の店員の仕事に就きました。昔から仕事は、手を抜くことがない。サボることもない。そして半年後には、評価され正社員にならないか?ここが人生の分岐点、職の3択が迫られたのである。

①当時働いていた「パチンコ店の正社員」、②親父の紹介で「某大手企業の下請けの会社」③コンビニ運営している近所のおじさんの紹介で「コンビニの店員」の選択が大きな分岐点だったなと今でも思う。選択したのは、時給700円でのコンビニ店員。理由は、、

”経営者になりたいから”

経営者として最初から来いということで、気合入れて入社。入社初日、挨拶の出来ない深夜帯のアルバイトさんに説教。レジでペチャクチャしてるリーダーに説教、トイレ掃除をしない主婦に説教。一気に辞めてしまった。誰もいうことは聞くわけではなく、どんどん辞めて危機的状況にしてしまったのである。これも悪夢の始まりで、0時から9時まで勤務したのちに、11時から22時といった自分のせいで辞めてしまったシフトもカバーする毎日が続く上に、生活の夜と昼の交互の勤務で寝れない激務に自ら陥るのである。本当に未熟だった。経営者とはを深く考える出来事でもあり、従業員こそ宝、ヒトの上に立つものとして学ぶキッカケとなりました。

実家暮らしということもあり、稼いだ金額は全て借金返済。(22万の収入の内訳:携帯1万、小遣い3万、月々18万の返済)親のサポートにも感謝。そして当時、付き合っている彼女(現在、妻)と出会い、見栄っ張りで格好つけの自分を、借金お話を受け入れてくれて、コンビニのアルバイトという事も理解してくれた。本当に救われた。むしろ現れなかったら、借金は解決しなかっただろう。約400万は2年弱で消費者金融の支払いは完済したのである。社長から借りたお金も減額してもらい完済。ようやく”時給700円コンビニの収入だけ”で借金地獄から抜け出したのである。

完済してから7年間は信用情報に傷。クレカもローンも組めない。

(信用機関CIC)(信用期間JICC)などのHPはコチラ

頭が真っ白だった。初めて知る情報だった。完済したらローン組めると思っていた。アホだった。7年という期間は、どこか胸を張れない生活は本当に苦しかった。いま現在は、ブラックリスト社長と明言しているが、隠して偽っていた。辛かった。苦しかった。 

これだけは全員に伝えたい。絶対に消費者金融で延滞するな。と。

ブラックリストの入り口は以上で終了する。ここからは、これまでドン底で味わった経験からどのように復活したのか、どういう思考を持ったのか、どう解決したのかをnoteにしていきたい。

休憩どうぞ☕️

4:なぜ経営者として学び始めたのか?

結論から話すと、「2度と暗い人生」を歩みたくないという理由と「事業の素晴らしさ、可能性をもっと多くの人たちと共有したい」からです。そして時代はいま、世界的恐慌「新型コロナウイルス」世界で大きな変化が起きます。

先々が分からない不安の中で彷徨うのでなく、自らスキルを手に入れ進まないと、またドン底へ行くんではないかという不安からです。実は、情報発信のtwitterも、自己成長のために学び始めたのも2020年の6月です。自ら、学ぼう、自分に投資しよう、このままではいけないと思い行動し始めたのも2020年6月です。現在5月、11ヶ月でここまで成長できた。今からでも遅くないです。僕がサポートします。暗い未来が予想されるのであれば、共に進もう。仲間は絶対必要です。

簡単にどんな未来が予想されるか紹介します。(未来把握)

❶黒字リストラ・外国人・AIにより仕事が奪われる。
→価値のある人しか収入を得られない
❷国も企業も僕たちを守らない。
→経団連が終身雇用撤廃
❸老後3000万、発言問題。
→事実です。
❹IT・テクノロジーの発展。
→想像がカタチになっていきます。
❺資本主義社会の継続。
→資本を使う側にメリットがある社会。
❻価値の変化。
→ノウハウでなくて、寄り添うサポート、体験や体感させる感覚に価値.
❼事業へ取り組むサポートが手厚くなる
→再建の補助金や、SDGsの取り組みにより事業参加者が増えます
❽1日3社、アルバイトが掛け持ち生活に
→誰もが働ける仕事、コンビニの業態が変化します
❾格差社会の拡大
→中間層がなくなります。日本の成長しない期間は痛い。東南アジアのような事態も・・

もっともっと複雑に変化していきます。予想されるのであれば対策・準備するのみです。対策や学びを始めれば、予想される失敗ごとは80%起こりません。残りの20%は準備で対応できます。だから価値のある人間になるため、知識やスキルを学ぼうと思いました。

僕は2020年6月から月額8900円のオンラインビジネス学校、月4冊目標の読書、毎日の情報発信活動、SNSの強化、月額500円のサロンなどを自己投資してます。なので、先端のビジネス情報、ビジネスアドバイス、そして7年間以上苦しんだ「ドン底経験」を活かして、アドバイスできます。また、今年の8月に中小企業診断士(経営コンサルタント・経営に関するエキスパート)の資格を目指し猛勉強中です。

中小企業診断士に合格した暁には、経営のエキスパートという事で各事業の悩みに寄り添い、共に改善に歩む。そしてたくさんの夢達成!目標達成!に肩並べて見ていきたい。僕の住んでいる会津という地方は、多くの個人事業主さま、中小企業さまが奮闘しています。田舎という事もあり情報にも少し疎い。これから、どんどん加速する変化や、最新を僕がサポートする。地域事業に根付き、活性化させる。事業に真剣と取り組む方を勝たせる。そんな活動を目標にしています。

現在の僕の仕事は、コンビニ7店舗を運営しております。毎日、毎日経営に携わり、従業員100名弱、経営者7名に囲まれて日々、お客様に便利を追求したサービスを提供しています。「新型コロナウイルス」の影響もあります。そんな中でも全店黒字。8期連続で営業収支は上げ続けております。8月にはもう1店舗OPENが決定しました。これからもどんどん挑戦します。自動化が進むコンビニ事業も、たくさんの従業員が活躍できる雇用を生み出したいと考えてます。これらの実現のためには、まだまだスキル不足、経験不足、勉強不足、たくさんの人のチカラになれるように、もっともっと積み上げるよ。これがいま考えている〃やりたい事〃だ。

5:伝えたい大事な事

僕のドン底人生を読み進めていただきありがとう。最後になぜ僕がここまで来れたのか。僕なりに分析して、大事な事を伝えていく。

人生うまくいかないそんな時は、小さい夢や小さい目標を決めるといいです。

僕が、ドン底にいるときにひたすら前向きになれ瞬間だったのが、何かをクリアした時、決めたことが正解だったと実感できた時だったんですね。大きな夢じゃなくていいんです。恥ずかしい目標でもいいんです。何かを自分で決めて達成できた時、前進を感じられるんです。とても重要。なので、うまくいかない時は、実践して見てくださね。

仲間はいた方がいい。(僕がアナタの仲間になる)

挫けた時、辛かった時、いつも仲間に助けられました。意外と仲間と認識していない人が仲間であったりします。家族、恋人、裏切った友達etc。僕は、たくさんの失敗をしてきたからこそ、今でも気をつけている事があります。それは、「悩み」を一人で抱えない事です。「悩み」ってのは、いまの自分の力じゃ解決できないものが「悩み」として残ります。素直に聞き入れるスキルも立派なスキル。聞き入れて解決すると悩み解決の経験とスキルとして身につきます。僕は、誰よりも近くにいる社長を目指してる。本気に真剣に向き合うことしかできないから、それをやる。どんどん頼っていい。

(公式LINE)経営アドバイザーとして活動しています。
(twitter)経営アドバイザーとしてポジティブ発信しています。
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6:最後に

僕が準備している事業、169のターゲットにSDGs17の目標達成事業の展開。共に事業を通じて、人生の逆転、今後のビジネスライフ、やりたいことを収入にできる事業を、日本だけでなく世界も視野にどんどん挑戦していきたいと思っています。

中小企業診断士として、経営のプロとして、事業をより社会貢献につなげられる取り組みができる仲間を募集してます。ぜひ、これからも一緒に戦っていきましょう。

人生がどん底だったからこそ、今の自分がいるんだと思う。そして、少しだけ胸をはれてイキイキ仕事もできている。どん底はずっとは続かない。何かの助けが必要なら、ぜひ僕に相談してみてね。なんでもいいぜ。本気で向き合います。今後とも「やました社長」をよろしくお願いします。










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