記事一覧
ファンティエットの少女、福島へ行く
私事でありますが、私の知り合いのファンティエットで解放戦線だった方の孫娘が就職活動で福島県へ行きました。
その時に私は、「ファンティエットは福島とも関係がある街なんだよ」と言いました。
言った直後はあんまり信じていませんでしたが、何佑子さんの書かれた記事を引用させて紹介しました。
彼女の祖父はファンティエットで南ベトナム解放民族戦線として抵抗運動を行っていました。
彼の話はノベルアップ+で詳
難民2世の苦しみと願い
とある難民2世の方が
「日本の小学校や中学校の課題で戦争(太平洋戦争)について話を聞いて発表するという課題があったんです。でも両親や祖父母はアメリカ人はいい人だったと言うばかりで忘れたと言ってやってこなかったんです。」
私も子供の時に戦争の話を祖父母から聞くという課題が出て、静岡県稲取で終戦前に空襲にあい多数の死者を見た祖母の話を課題で書きました。
これは海外にルーツのある子どもたちにとっては難
人は誰でも歴史を持っている
これは私がA氏によく言う言葉なのですが、どんな人であろうと歴史があり物語があります。
私は主に従軍された方を中心に取材をしておりますが、市民であった方々にも取材しております。
以前取材した方でとても印象に残った話なので今回皆様にシェアさせていただきます。
この話は個人の発言を元に書いた投稿なので誇張されている部分や、現在のベトナムの公的な歴史と異なっている部分があると思います。これを踏まえたう
先人は橋を渡す、後に続く者の為に
Kẻ trước bắc cầu cho kẻ sau noi(先人は橋を渡す、後に続く者の為に)というベトナムのことわざを知っていますか?
年上や立場が上の人は年下や立場の下の人の為に良き振る舞いをして後に続くようにすべきという意味です。
これは会社や家族でも言えることです。
人はいつどんな理由で亡くなったり縁が切れたりして消えるかもしれないので先人はいつも自分がいなくなったときのことも考え
明後日のホーチミン市、カントー滞在について
この記事でも書きましたが8月12日から16日までA氏とともにホーチミン市とカントーへ行きます。
A氏は南部弁が堪能ですが、ベトナムへ行くのは今回が初めてだそうです。
このベトナム行きが決まったのは1杯のフォーからでした。
この記事でも書きましたが、私とA氏は日本にある南部フォーを食べ歩いていました。
A氏は私と同行するたびに南部フォーやフーティウを食べさせられてたため、南部の味に慣れてしまい
Noteを見てくださってる皆様へ
本日noteの月間の全体ビュー数が10000を超え、同時にスキ数も100を超えました。
スキしてくださった方や読んでくださった方のおかげです。
本当にありがとうございます。
記事数はこの記事を含めて29記事でした。
約3ヶ月ほど前にnoteをはじめましたが、3記事書いたあたりで2ヶ月休止していました。
理由としては自分が思っているより、ベトナムやインドシナ難民2世のことを知らなかったのでその間
ベトナムで流行った海外のミーム曲
ベトナムで流行ったミーム曲は結構あります。
Facebookやインスタのストーリーに使われる関係上、短くて面白い曲が流行ったりします。
今回は3つ紹介させていただきます。
deadman 死人 「Omae Wa Mou」
他の記事で説明されてる方がいるので書きませんが、2020年あたりに流行していました。
それまで、「おまえはもう死んでいる」はミームで知っているオタクたちぐらいしか知られてませ