Yuzuki

主にベトナムの歴史やインドシナ難民について書いています。

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マガジン

  • ベトナム語関係(南部弁)

    ベトナム語、特に南部弁学習に関係した記事を集めました。

  • 漫画『芳華、国へ帰る』関係

    以前描いた『芳華、国へ帰る』関係の漫画です。

  • 『芳華、国へ帰る』本編(プロット)

    『芳華、国へ帰る』の本編(プロット)です。

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「芳華、国へ帰る」 1話【創作大賞2024 漫画原作部門応募作品】

あらすじ インドシナ難民の両親を持つ大学1年生の芳華は日本で生まれた難民2世であるため、国籍を持っていない。また、過去のイジメが原因でベトナム人であることを隠して生きてきた。 奇妙なベトナム旅行を経て自分自身と向き合い、自分自身が何人なのか考え、苦悩し、成長していくお話。 インドシナ難民とは インドシナ難民とはベトナム、ラオス、カンボジアが社会主義体制になったことや、ベトナム戦争やカンボジア、ラオス内戦の影響で国外へ脱出し、難民となった人たちの総称。 特にベトナム戦争後

    • 芳華の祖父のお話

      以前紹介した「芳華、国へ帰る」の第3話の話で 日本人である優子が 「もしかして、フンホアってベトナムでお嬢様クラスの人….?」 というシーンがあるのですが、芳華のベトナムの家は大きいですが、芳華はベトナムではお嬢様クラスの人ではありません。 しかし、芳華同じような境遇でお嬢様クラス(もしベトナム共和国が存続していればの話)の人は存在します。 ・元貴族の難民 これは日本で何人かにお会いしたことがあります。 フランス統治時代に貴族もしくは王家の血筋を引くものが難民となった方

      • ファンティエットの海に春は来ない考査「夜叉の空港(sân bay nơi quý sống)」

        お久しぶりです。 ノベルアップでも書くのを避けていた「夜叉の空港(Sân bay nơi quỷ sống)」のお話と考察(後述)を書こうと思います。 1970年春 決戦だ… 俺はそう思った。 解放軍の支援であの空港を焼くことになった。 俺達で近づけなかった空港に近づくなんて、無理だ。 ただビントゥアン大隊での話だ。 奴ら(あの解放軍)は工兵だった…… 工兵隊長「これから米軍の空港に突撃する。覚悟はいいか?」 工兵隊員「覚悟はできてる!覚悟はできてる!覚悟はできて

        • ファンティエットの海に春は来ない2

          2話「俺たちの敵とは」 入隊後は毎日体育の授業だけの学校にいるようでとても楽しかった。 遠い村のやつとも友達になれたし、そいつらとも夜にお喋りするのも楽しい。 時々母のことが心配になるが、家へ帰りたいなんて思わなかった。寂しくてもテトの時に会えるから。 ただ、そんな俺も嫌なことはあった。 月曜日に革命精神についての「ありがたい話」を聞くことだった。 今の国の現状とか、国のあるべき姿とか。頭のいい奴らの話は本当に疲れる。俺たちの目的は「独立すること」だ。 そんな一

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        「芳華、国へ帰る」 1話【創作大賞2024 漫画原作部門応募作品】

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        • ベトナム語関係(南部弁)
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        • 漫画『芳華、国へ帰る』関係
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        • 『芳華、国へ帰る』本編(プロット)
          3本

        記事

          ファンティエットの海に春は来ない1

          「季節外れの春嵐の訪れ」 心地よい初夏の風に青い葉が揺れる。 この初夏の風はファンティエットの内陸まで海の匂いを運んでくれる。 しかし、海は近くに見えるが、俺はまだ海を知らない。 それはファンティエットの海はベトナム共和国(南ベトナム)の領区だからだ 俺はVõ Văn Xuân(武文春) 出身はビンディン省だが幼い時、両親と共にファンティエットへ移住した。父はベトナム各地で解放運動に携わり、俺が15の時に家を去った。母は父とは離婚したと思っており、俺の苗字も母のV

          ファンティエットの海に春は来ない1

          Noteにファンティエットのお話を書こうと思う

          以前取材した解放戦線のお話をノベルアップに載せてたのですが、noteに移そうと思っています。 当時のベトナム語のレベルや取材した方も高齢のため、どこまで信憑性のある話かわかりませんが、彼の話を後の世に残すため書いていこうと思います。 これから投稿が多くなるかもしれませんが、よかったら見てください。

          Noteにファンティエットのお話を書こうと思う

          ベトナム戦争時の歌(第二弾)

          この記事でも書きましたが、ベトナム戦争時の歌の本の第二弾が完成しました。 QR コードで当時の歌を再生できようにしました。 歌の翻訳と解説、作者について書きました。 今回も知り合いに配布しましたが結構好評でよかったです。 第3弾はベトナム戦争中に作られた童謡について書いています。 また進展があればNoteに載せようと思います。

          ベトナム戦争時の歌(第二弾)

          ベトナム戦争中の歌(ベトナム共和国編)

          ベトナムでは歌ってはいけない歌が存在します。 ベトナム共和国(いわゆる南ベトナム)に関連する歌は基本的に禁止されて、ベトナムで歌うだけで公安にお世話になることがあります。 しかし、Youtubeには1975年以前の音楽としてベトナム共和国時代やベトナム戦争中、それ以前の歌が投稿されています。 今回のベトナム戦争中の歌の第二弾はベトナム共和国の歌について書いてみようと思っています。 これを書くきっかけはベトナム戦争の取材の時にとある元共和国兵が「空挺隊はとにかくモテた」とい言

          ベトナム戦争中の歌(ベトナム共和国編)

          ベトナム戦争中の歌について

          以前書いたように、ベトナム戦争時の文化を取材や調査をしておりますが、やはり何か形に残したほうがいいと思いましてこういうのを作りました。 今回は戦争民謡の1つである「罠を仕掛ける少女(Cô gái vót chông)」の翻訳と解説を入れた本を作ってみました。 この歌は以前取材した解放戦線のお話に出てきた歌で非常に興味深かったので今回詳しく調べてみることにしました。 この冊子は知り合い中心に配布していました。 ある知り合いからコミケやコミティア等で出してみたらとも言われまし

          ベトナム戦争中の歌について

          職場でも美味しいバインミーが食べられるようになった!?

          皆さんお久しぶりです。 最近忙しくて更新できてなかったのですが、今回本当に素晴らしいお店を見つけたので紹介したいと思います! お店にご迷惑をおかけしてしまうかもしれないので店を名指しで紹介したのは「あのフォーを探して」の「Pho Twenty」と「マッチョイ」ぐらいでしたが、今回は本当に素晴らしいものだったのでNoteで書かせていただきました。 ここのお店は世界初の冷凍バインミーを販売しているお店です。 以前ベトナムで仕事をしていた時、昼食や朝食でバインミーを買って食べ

          職場でも美味しいバインミーが食べられるようになった!?

          ファンティエットの少女、福島へ行く

          私事でありますが、私の知り合いのファンティエットで解放戦線だった方の孫娘が就職活動で福島県へ行きました。 その時に私は、「ファンティエットは福島とも関係がある街なんだよ」と言いました。 言った直後はあんまり信じていませんでしたが、何佑子さんの書かれた記事を引用させて紹介しました。 彼女の祖父はファンティエットで南ベトナム解放民族戦線として抵抗運動を行っていました。 彼の話はノベルアップ+で詳しく書いたのでよかったら見ていただけると幸いです。 彼の話で登場するベトミンの

          ファンティエットの少女、福島へ行く

          北部標準語話者が南部弁を話す時のコツ

          もう何度もシェアさせてもらっているいまじゅんさんの南部弁、メコンデルタ弁の発音の記事ですが、私の書いた下の記事にもあるように北部標準語から南部弁、メコンデルタ弁を学ぶことは非常に簡単だと思います。 しかし、一度覚えた声調や起点を意識するのは非常にストレスなので南部弁(旧南部弁も含む)発音の特徴をシェアできたらと思います。 これができれば北部の声調で南部の発音ができる南部語話者からしたらものすごく聞きやすいハイブリッドベトナム語ができます。 北部の標準語話者が南部弁を話すた

          北部標準語話者が南部弁を話す時のコツ

          難民2世の苦しみと願い

          とある難民2世の方が 「日本の小学校や中学校の課題で戦争(太平洋戦争)について話を聞いて発表するという課題があったんです。でも両親や祖父母はアメリカ人はいい人だったと言うばかりで忘れたと言ってやってこなかったんです。」 私も子供の時に戦争の話を祖父母から聞くという課題が出て、静岡県稲取で終戦前に空襲にあい多数の死者を見た祖母の話を課題で書きました。 これは海外にルーツのある子どもたちにとっては難しい課題かもしれません。 日本はこういった小さな口頭伝聞を大切にしており、こうい

          難民2世の苦しみと願い

          ベトナム人が日本語の発音を間違える原因

          日本人が初めてベトナム語を勉強するときに発音をカタカナに直すのはよくあることだと思いますが、ベトナム人も勉強したての頃、日本語の発音をベトナム語に直して発音している人もいます。 以前、ベトナムで日本語の初級学習者の会話授業を教えたとき、ノートにクォックグーで日本語の発音を書いている人がいました。 この例は私が書いたものなのでネイティブのベトナム人が書いたものではないですが、このような感じで日本語の発音はある程度ベトナム語に直すことができます。 しかし、これがベトナム人の

          ベトナム人が日本語の発音を間違える原因

          進化する若者の言語

          日本語の若者言葉は絶えず変化してるため流行り廃りが激しいと聞きますが、ベトナム語の若者言葉もよく変化することがあります。 この前、知り合いとLINEでやり取りしていた時、こういうベトナム語が送られてきました。 これは文脈的にOKを意味するベトナム語だったのですが、妙に気になってしまい調べたところ、「Okela」の進化系の言葉だったことがわかりました。 Okelaとは、ベトナム語で「了解した」や「承知した」ときに使われる言葉で、今の日本語の若者言葉に直すと「了解です」の省

          進化する若者の言語

          人は誰でも歴史を持っている

          これは私がA氏によく言う言葉なのですが、どんな人であろうと歴史があり物語があります。 私は主に従軍された方を中心に取材をしておりますが、市民であった方々にも取材しております。 以前取材した方でとても印象に残った話なので今回皆様にシェアさせていただきます。 この話は個人の発言を元に書いた投稿なので誇張されている部分や、現在のベトナムの公的な歴史と異なっている部分があると思います。これを踏まえたうえでお読みください。 取材対象者(名前を公表する許可を得る前に亡くなってしまっ

          人は誰でも歴史を持っている