心の健康の源は、ゆっくり食事をすることだった
手洗い、うがい、消毒、マスク。
早寝早起き、朝ごはん。
栄養ドリンク、サプリメント。
筋トレ、柔軟、ランニング。
身体の健康のことは巷に溢れているけれど、
自分の心の健康って、どうやって保ってますか?
そもそも何か意識していますか?
アンガーマネジメントとか、ヨガとかカウンセリングとか、
最近けっこう心のことに言及するようになってきたような気がします。
でも、身体に置き換えるなら、カウンセリングとかってやっぱりまだ「ジム行ってます!」みたいなニュアンスないですか?
そういう大それた(ように感じてしまう)ものではなくて、手洗いうがいぐらいのめっちゃ手軽な心のケアってないかなあと思っていたら、ありました。
「ゆっくり食事をすること」
昨年12月、学校現場での仕事や演劇の稽古、その他個人の企画のことなど、いろんなことが予定に詰め込まれて、ご飯すらゆっくり食べる時間を取れていませんでした。
全部好きなことで、楽しいことをやっているから苦しくはないけど、
でもなんか心がざわつくなあ、
そんな気持ちでした。
ちょうどいいタイミングで年末年始を迎え、予定を入れない日を作って休みました。
そのときに気づいたのが「ご飯をゆっくり楽しんで食べれば、その日一日、心地よい状態を保てている」ということ。
人によって違うような気がします。
昼寝の時間を取れたら心が安定する人もいれば、
推しを眺める時間を取れば心が保てる人もいるだろうし、
それこそ身体を動かすことで精神安定につながる人もいると思います。
空を数分眺めたり、特定の音楽を聴いたり、歌ったり、
何かしら「手洗いうがい」ぐらい軽くできる心の洗浄方法がきっとあるはず。
今まで食べることは好きだと自覚していたけれど、自分がここまで食事を、それも食事の時間を大事にしたかったんだなとは思いませんでした。
「何を食べるか」「誰と食べるか」ももちろん大事なのですが、それ以上に「どれぐらいの時間をかけて食べるか」が僕にとっては重要だったようです。
食事が大切、というのはよく見かけるけれど、
もう少しそれを掘り下げてみると、より自己理解に繋がるんだなあと思いました。
How many(量)
How much(値段)
How long(時間の長さ)
How(どうやって)
When(いつ)
Where(どこで)
What(なにを)
Who(だれと)
Whose(だれの)
Why(なぜ)
食事ひとつとっても、こんなにいろいろと価値基準が異なります。
例えば食事において自分がなにを大事にするか、
まずはそれを知って、それを大事にしてみることで、
心の安定に繋がるかもしれません。
食事に限らず、どんなことでもこういう考え方は使えるんじゃないかと思います。
オミクロンが猛威をふるい出し、いろんなところで制限が戻りつつあります。
例えば学生劇団の活動ができなくなったとして、例えば卒業式ができなくなったとして、それがどの部分の代替によって満足できるのかを考える指標にもなります。
学生劇団の多くは、僕の知る限り「だれと」「どこで」やるかが価値なんじゃないかなあと思っています。だとすれば彼らにとって「公演ができない」というのは、ただ「公演ができない」以上に「人」と「場所」の条件が加わったものになります。卒業式とかも同じ感じじゃないかなあと思っています。ともに学んだ「人」と「場所」でやるから意味があるんだろうなと。
こうやって条件が増えれば増えるほど代替は効きにくくなります。でも逆に、その大事な価値を細分化して明らかにできたらきっと突破口は見つかります。
少し話が逸れましたが、僕は今年、どんな時でもゆっくり食事をとることを意識していこうと思います。そうやって得られた僕の心の健康が、僕と関わった人の心の安定に繋がっていくと信じて。
あなたにとって、私にとって、 今日という一日が、かけがえのない明るく輝く一日でありますように。
2022.1.13 共鳴|ゆっくり食べることを意識していく
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