見出し画像

僕は「普通」になりたいという高望みをしていた

どうも、ふじくんです


僕は小さい頃からずっと「普通」になりたいと思っていました

幼少期で言えば、みんなが履いてるカッコイイ靴が欲しかった
小学生の頃はみんなが持ってたゲーム機が欲しかったし、運動も出来るようになりたかった
中学に入るとみんなのように勉強が出来るようになりたかったし、リーダー性も欲しかった

僕は他人の持っている物全てが「普通」だと思っていました
だから僕はそれが欲しくて仕方がなかった

その「普通」って僕の主観以外のなにものでもないです

でも「普通」を望んでしまうのって悪いことなのでしょうか

決して天才になりたい、スポーツのカリスマになりたいなんて思ってないんです

ただ「普通」になりたい
それだけなんです


高校生になった僕が見つけた1つの答えがあります
それは
「普通」を追いかけると全てが「普通」に見える
ということです

普通を望めば望むほど、新しい「普通」がやってきます
これ以上の高望みはないと言っていいくらい、普通になりたいという願いは傲慢だと気づきました

他人を「普通」と思ってしまうのは間違いで、実はそれは「特別」を持っているんだと

自分の当たり前が誰かの望みになっているかもしれません
その当たり前は誰かの「普通」の基準になりえます

そうなったら、あなたの当たり前はその誰かが高望みの無限ループにハマってしまうきっかけになるでしょう

それを救ってあげてくださいなんて綺麗事は言いません

ただ、それが高望みであると同時に貴方も特別を持っていると気づくきっかけになってあげてください

あなたの中で勝手に出来た「普通」の基準が、あなたを苦しめてしまうなら
本来あなたの中にある「特別」に目を向けてみてください


それが「普通」なんていう面倒な価値観と高望みと決別する方法です


僕は「普通」になりたかった
でもいまは「特別」だと思えている
だって、僕はこれらのことに同級生の誰よりも早く気づけたと思っているから

この感性が僕の「特別」です

あなたの「普通」はなんですか?
もしかして、それは「特別」じゃないですか?


終、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?