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赤い糸

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連載している長編ミステリー『赤い糸』を一つにまとめています。
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【最終回】連載長編小説『赤い糸』17

【最終回】連載長編小説『赤い糸』17

        17

 足が宙に浮く感覚があった。それでいて妙に落ち着いている。ようやく、帰るべき場所に帰れるような不思議な感じだった。
 俺が殺人犯なんだときちんと話そう。理解されなくても、泉にだけは伝えなくてはならない。泉の幸せを、史緒里の平穏を奪ってしまったのだから。
 取り戻すことなどできないが、自分の口で事実を話すことだけが、たとえ自己満足でも、唯一の誠意の見せ方だと思った。
 昇降口

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連載長編小説『赤い糸』16-2

連載長編小説『赤い糸』16-2

 文字通り、修也は路頭に迷った。父と別れた後、行く当てもなく道という道を徘徊し、目の端に橋や対向車が映ると、体が浮いたようにふっとそちらに靡くことが何度もあった。
 おまえは殺人犯だと唐突に言われて受け入れられる者などいないだろう。
 身に覚えがないことだ。おまえは殺人犯だと言われても、何の冗談だと笑って一蹴する者が殆どなのではないか。
 修也もできればそうしたい。だがなぜか、くちゃくちゃと弾力の

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連載長編小説『赤い糸』16-1

連載長編小説『赤い糸』16-1

        16

 仄かに明らんだ寝室に母の鼾が木霊している。
 父が生きていると知ってからも、二人は同じ部屋で布団を並べていた。修也が寝静まってから母が帰宅し、息子を起こさないように布団に入っているのだ。
 起きていると居心地が悪く感じられたが、朝陽に顔を照らされて起き上がった時には、母が普段通り寝ていることにどこか安心感を抱いていた。うるさい鼾で起こされることもしばしばあったが。
 ここ

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連載長編小説『赤い糸』15-3

連載長編小説『赤い糸』15-3

 例によって店長は五分ほど早く上がらせてくれた。たった今来店した客のオーダーを取って厨房に戻ると、今日はこれで上がっていいと言われたのだ。
 すでに賄いも用意されていた。
 出勤した時に「今日は店で食べて帰ります」と伝えていたため、テイクアウト用の容器ではない。丼鉢には石畳のように敷き詰められた牛肉がすでに見えていた。
 母と和解したとは言えないが、賄いに関しては父の話を知る以前と変わりはなかった

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連載長編小説『赤い糸』15-2

連載長編小説『赤い糸』15-2

「これから病院に行くんだけど、修也都合どう?」
 掃除当番で教室の床を掃いていると麻衣に声を掛けられた。すぐ後ろに薫子がいるから、二人は一緒に見舞いに行くのだろう。二人はいつも一緒に泉の見舞いに行っていた。
 思えば不思議な組み合わせだ。泉が自殺を図って以来、二人が一緒にいるところをよく見るようになった。麻衣は薫子を目の敵にしていたはずだが、泉を心配する薫子を少し見直したのかもしれない。
 昨日の

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連載長編小説『赤い糸』15-1

連載長編小説『赤い糸』15-1

        15

 鞄から筆箱を取り出し机に置いた時、薄っすらと文字が書かれているのに気づいた。
 登校したら中庭に来て――。
 シャーペンで書かれていたので消しゴムで擦ると難なく文字は消えた。修也は消し滓をごみ箱に捨てると中庭へと降りた。
 昨日浅野に蹴られた腹部が階段を下りる度に痛んだ。呼吸をすると何回かに一度脇腹が痛むから、肋骨に罅でも入っているのかもしれない。どれだけ痛くても病院には

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連載長編小説『赤い糸』14-2

連載長編小説『赤い糸』14-2

 少し感傷に浸る自分がいた。
 泉を赦すことはないだろう。それははっきりと自覚しているのに、昼休みの会話のせいで視界が曇ってしまう。
 二人だからこそ――。
 そうした気持ちは修也にもあった。泉が赤い糸を嬉しそうに持って来た時は幸せの絶頂にいた。
 それもこれも、赤い糸のせいですべてが狂ってしまった。憎悪とやるせなさの連打に、修也は何度も打ちのめされそうになった。
 それを掻き消してくれるのはやは

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連載長編小説『赤い糸』14-1

連載長編小説『赤い糸』14-1

        14

 翌日、龍一は教室に現れると何気なく挨拶をしてくれた。昨夜のことがあるから、今日の龍一の反応を懸念していた修也だが、その心配はなかった。
 ホームルームが終わった後、龍一は僅かな時間だが修也の席に来て、短い会話をした。普段から一緒にいることが多いため、龍一が修也に話し掛けても誰も怪訝には思わないだろう。だが修也だけは、龍一が鯱張っているのを感じ取っていた。
 昼休みになると

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連載長編小説『赤い糸』13

連載長編小説『赤い糸』13

        13

 雨の音が室内に響く。窓やベランダに打ち付けられる雨音を聞くだけで、どこか陰鬱な気分になる。ここ数日雨が続いている。春が近づいているからだろう。しかし一昨日は雪混じりの雨だった。
 ちらりと外に目をやると、すでに夜の帳が下りたように暗い。絶えず響く雨音で、部屋の中の静けさを知る。母と二人、何をするでもなくぼうっとしている。
 森閑とした空気が妙に居心地悪く、修也はテレビをつ

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連載長編小説『赤い糸』12-2

連載長編小説『赤い糸』12-2

 すでに太陽は沈んでいる。外灯の乏しい路地は深海のように暗かった。今日は曇り空で月もなく、気味が悪い。
 背後に人が立つと、男の修也でも背筋が寒くなる。麻衣は修也の何倍も恐怖を感じているはずだった。丼屋へと向かう道すがら、夕闇深い道を歩いていると、午前中に南から聞いた話が意図せず再生される。
 十字路の死角からカタカタと自転車のペダルが回る音がして立ち止った。自転車は修也の通う高校の方角から走って

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連載長編小説『赤い糸』12-1

連載長編小説『赤い糸』12-1

        12

 午前十時を過ぎた頃、修也は指定された場所に集合した。引っ越し作業を手伝うアルバイトだった。
 これまで引っ越しのアルバイトは六度経験がある。何度かペアを組んだ社員の男性がいて、彼は修也を見て安心したように相好を崩した。細かな説明が不要だからだろう。社員の男性は概要を説明すると、出発まで待機するよう言った。
 修也と同じアルバイトは四人いた。その中の一人に見知った顔があった

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連載長編小説『赤い糸』11

連載長編小説『赤い糸』11

        11

 翌朝、学校に体調不良で休むと連絡した。電話をしている横には母がいたが、父の話をした昨日の今日で休むなとは言えないのだろう。体調不良などどこにもなかった。
 座椅子ソファに尻を沈めた修也は珍しくテレビをつけた。各局の情報番組を順に確認したが、史緒里の事件のことにはいずれも触れていなかった。
 事件のことなどもう誰も覚えていないのかもしれない。
 史緒里が逮捕されて、まもなく

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連載長編小説『赤い糸』10

連載長編小説『赤い糸』10

        10

 翌朝登校した修也は、泉が目を覚ましたことを麻衣に伝えた。麻衣は安堵の表情を浮かべるのと同時に緊張の糸がぷつりと切れたようで、目に涙を溜めていた。
「よかった。本当によかった」
「今日にでも見舞いに行ってやってくれ。きっと泉、喜ぶだろうから」
「修也は?」
「俺は今日、バイトがあるからいけない。でも泉とは昨日話もできたから」
 もう気に掛けてくれなくていいよ――。
 泉の声

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連載長編小説『赤い糸』9

連載長編小説『赤い糸』9

        9

 泉が倒れて六日が経つ。昨日、麻衣が龍一にチョコレートを渡しているのを見て、本当だったら自分達もああしていたはずなのに、と修也は羨んだ。泉はまだ目を覚まさない。
 だが意外なことに、アルバイトを終えてから綾香にチョコレートをもらった。僅かな喜びと後ろめたさが混ざり合い、ミルクチョコレートが苦く感じた。
 今日も修也は集中治療室の前にいる。下校時に直接病院に足を延ばしたため、制

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