「この人を”信用”する」と決めた自分を信用する
友達に「人を信用してないよね」って言われた。
※信頼と信用の違いは未だに理解していないので、同義だと思ってください。
人を信用しないのは、
人を完璧にまっすぐに”信用”するため。
私はそういうマインドで人と接しています。
人が大好きです。まっすぐに大好きであるために、このマインドが私には必要なんです。
信用しない”信用”ほど、
人を”信用”できる方法はないと思っています。
期待がなければないほど、
まっすぐに人に”期待”できるのと同じことです。
そもそも信用するしないという話は、自分と相手の2人の目線から成り立たないと成立しないわけです。
世の中、自分で意図的に操作できるファクタは自分しかありません。なのに、自分と相手がいないと成り立たない信用は、成り立つのだろうかと思ってしまいます。
私は、「この人を”信用”する」と決めた自分を信用しているんです。
その人を”信用”しているけれど、
信用しているわけではないのだろうと思います。
だから、その人から裏切られることもないわけです。裏切られるように見える出来事があったときには、「この人を”信用”する」と決めた自分が間違っていただけです。その人に裏切られたわけではないんです。ただ、自分とは合わなかっただけ。
私はこの生き方が楽だなって思いました。
まっすぐに人を”信用”できる。起こることは全て自分のせいにできる。身の周りに起こることを自分のせいにできた方が、楽です。そうしたら、私は生きやすくなりました。
「自分の人生の責任は自分しか取れない」
そう思っているだけ。
自分の人生を誰かのせいにして生きるのは、苦しくて、辛いからやりたくないと思っているだけです。まあ、人を信用できなくなるような大きなターニングポイントや絶望を味わったことがあるわけでもないんですけどね〜。
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